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Last lachtara  作者: Tuile.
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プロローグ 犯罪者は手に負えない

———君は、苦しみの消えた世界を理想郷と呼ぶか?


「——ハァ、ハァッ……!! なんだってんだよ……クソッ!」


 "完全な幸福"と"意味のある苦しみ"のどちらかを選べと言われたなら、どちらを選ぶかは者によって判断は異なるだろう。

 "完全な幸福"とは、知性持つ者達が考える理想の中で最上の生活域だ。悩むこともなく、傷もなければ死という概念すら霧に包まれる。誰もが何一つ失うことなく、等価交換など得ずして無償の笑顔と、幸せがそこにある。多くの者にとって、それは幸福の完成系に見える。

 

 して、"意味のある苦しみ"とは。

 それは傷や悩み、不公平、感情、そして死と共に生きながら幸せを望むことだ。傷が直ぐに癒えるわけでもなければ、他者と話が毎度通じるわけでもない。生物は生きとし生ける中で悩み続け何れ死に至る。

 しかし、それこそが"生きる"という事であり、そうして求め続けた過程で得た有利な知性を育み次の生命へ伝えていくのだ。

 

 生物学的観点から見れば、生命活動とは種の存続に過ぎない。子孫を残し、世界の循環を絶やさぬよう、ただ連鎖を続けているだけだ。


だが、その存続という行為を肯定するためには、個々の生命が生きる理由を必要とする。


 世の中に生まれ落ち、どれだけ優れた生活を送り、生 そのものを実感できたとて、未だ"完全な幸福"に手を伸ばさずにはいられないのだから。


 ———苦しみがあってこそ、生命だ!


 それはただの自分を抑制するための言い訳であり、慰めになるとは言い難い。


「兄さん……! 撃ってくれ、アイツを……早くっ!!」


 弟は迫る恐怖に背を向け、身体中から汗という汗を滝のように流しながら一目散に眼前を走る。

 廃れたビル内のオフィスを横切り、空中に傾く瓦礫を伝いながら、必死に、必死に、逃げる。


 兄さんの方角を見ちゃダメだ。兄さんがいる方角がアイツにバレちまう。今、アイツをぶっ殺すには兄さんの射撃しかない……!


 兄がアイツを撃倒してくれることを願いながら、弟はまた違う廃ビルへと転がり込む。割れた窓ガラスを体に突き刺しながらも死角へと入った瞬間、鋭く巨大な斬撃が、すぐ隣にある壁を吹き飛ばした。


「ヒッ……」


 斬撃刃のキィンという音が耳に中に奥深く入り込み、その耳鳴りによって生じる"正確な音を把握できない間"という恐怖が、弟の体を震わせる。


 俺たち兄弟は、それなりにできる部類の人間だったと思う。生まれた場所こそ豊かではなかったが、この魔法が巡る世界では才能あると言われてきた。

 兄さんは魔力を弾に変える技術と、狙撃の腕がずば抜けていて、弟の俺は兄さんに背中を預けられるほど長けた身体能力を有していた。

 実力が認められ始めれば、金は自ずと入ってきたし、女だって寄ってきた。友人は俺たちを称え、かつての教師は媚びを売るようになる。

 2人が組めば、太刀打ちできるやつなんていなかったし、最強なんだと思ってた。


 人生って、案外楽勝。

 酒瓶を振り回し、如何に素晴らしい人生を歩んできたか、武勇伝を周囲に教えてやる。

 確かに才能に恵まれたが、その才能を磨き上げるための努力だってしてきたわけだし、今俺らがこうして越に浸っているのも不思議では無い。当然の結果だからだ。

 

 ガキの頃は苦労した。裕福じゃなかった。けどそれなりに人生努力したさ。だから文句なんてないだろ?俺らが上に立つのはさ。

 結局世の中、最終的にはどうにかなるようにできてる。

 

 わざわざ札に火をつけてロウソクに灯し、豪華な食事を蹴り上げて、店員が継いだばかりの酒を零し、グラスを落とす。


 苦しみを超えれば、報酬はやがて返ってくる。

 苦労したから成功した。

 過去の苦労には意味があった。

 やはり、苦しみ無くして生は実感できない。

 これが、これこそが、俺たちの人生。

 ———幸福ってやつさ!


 パリン


 ガラスが踏まれ、割れる音が聞こえて咄嗟に口元とを覆い、弟は息を殺す。できる限り足を閉じて視覚情報を減らし、気配を悟られないよう影の奥へ潜り込む。しかし、心音だけはやけに響いているような気がして、冷や汗が止まらない。

 頼む、心臓、今だけ鳴るのをやめてくれ。


なんでだよ……あんなバケモノだなんて、聞いてねぇよ!


 コツ、コツ

 恐怖が歩いてくる。

 弟の命を狙って。


 過去の苦しみには意味があった?

 それこそが"生きること"だと??


 ふざけるな!じゃあ今はなんだ!?

 耐えれば報酬が貰えるか!?逃げれば成長できるか!?

 この先は今以上に幸福になれるのか!?

 たまったもんじゃない。

 強くなったところで、敵が圧倒的すぎる。俺は今殺される寸前なんだ。今まで舞い上がっていた、今まで世界を舐めていた。それ程までに、あの恐怖が大きすぎる。

 俺は死にたくない。

 これは……なんの意味もない苦しみだ。

 俺は死にたくない。


 苦しみを乗り越えれば幸福になれる、と信じていた人間が、“苦しみには意味がある”という思想そのものを打ち砕かれた瞬間だ。

 結局世の中、最後まで不平等なんだ。


 足音と共に、金属が引き摺られる音が聞こえ始める。


 カァカァ


 どこかでカラスが鳴く声が聞こえた。それだけなのに、より心が抉られ、限界に達した弟は縮こまって涙を溢れさせる。手に持っていた剣の刃は粉々に砕かれ、もはや役目は存在せず、為す術など無い。


 ギギ……ギギギ…………


 金属を引きずる音が、弟の横で止まる。

 弟は祈るように目を閉じた。


 …………。

 ……。

 だが、静寂が響き、風も、瓦礫が落ちる音も聞こえなくなる。あの足音も、金属音も止み、もしかしたら、と浅はかな思考が脳裏を過ぎって、図らずも縋ってしまう。

 ゆっくりと、恐る恐る目を開いた。


 そうだな。実に浅はかな考えだ。

 音が無くなったから、もしかしたら、アイツがこちらに気づかず通り過ぎたのでは、なんて都合の良い展開にはならない。


 弟はその恐怖と目が合った。

 理不尽なことに、その恐怖は美しい灰白色髪と紫苑の瞳を宿らせており、隅まで憎たらしさでは埋めてくれない。

 高貴を感じさせる整った顔立ちと、スラリとした女の立ち振る舞いが、まず一言目に「美しい」という単語を引き出した。

 見た目18、19歳程度、身長は約165以上……といったところか。灰白色髪は腰下まで長く伸び、黒で埋め尽くされた大きい上着。薄暗いこの空間からでも分かるほど、柔らかい白い肌は、一瞬俺の心を釘付けにしてくる。

 しかしながら、女の瞳からは慈愛など微塵も感じさせず、何を考えているのか理解できない、無表情を貫いている。


 いっその事、見た目まで全部、バケモノだったら良かったものを。


 美しさを加えた、恐怖の塊。不吉の権化。


 女は片手に持っていた分厚く巨大な両刃の大剣を易々と振り上げると、弟に向かって振り下ろした。

 大剣が空気を切る音が聞こえ、弟は両腕で顔を覆って防御しようとするが、通用しないことなど見据えている。

 死んだ。

 確実に死んだ。

 もうダメだ。助からない。


「クソが…………」


 震えた声で、弟は最後にそう言葉を漏らし、死を受け入れる。

 今までやらかしてきたことを後悔する暇もなく、家族への愛を囁く訳でもなく、彼はただ現状の理不尽を恨んだ。


 カァカァ


 ………………。

 ……。

 女の動きが止まる。刃先は弟の眼前で静止し、それ以上動くことはなかった。


「……なん、で……?」


 ポロポロと涙を流しながら、弟はわけのわからない状況を理解しようと顔を上げる。

 すると、灰白色髪の女は武器を下げて割れた窓ガラスの先へ視線を向けた。

 理解に苦しむ。されど彼女の表情は変わらず虚無だ。

 

 俺たちを殺そうとしていたんじゃないのか?いいや、違う。コイツの動きは全部殺意丸出しだ。長年こういう仕事をしてきたからこれだけは分かる。

 じゃあ、コイツは今何を考えて……

 目線の先は……


「…………兄さん!」




 弟がボロボロになりながらビル内へと侵入した姿をスコープの中から覗き、兄は手に汗滲ませながらトリガーへと指を置いていた。

 先程までの激しい戦闘は一旦止まったようで、動きが単調になったあの女の頭を狙うチャンスだ。


 しかし弟の状態からして、兄である俺が早急にヤツを仕留めないと弟がやられるだろう。


 距離約1430。

 風向や抵抗力を計算している暇はない。

 スナイパーとしての感で構わない。やれる。

 ほんの少し姿が見えていればいい。位置情報さえあれば、この力を溜め込んだ魔弾なら、俺なら、やれる。


 ビル内の割れた窓越し。

 微かだが、ヒビとぼやけたガラスの奥に、あの灰白色髪の女を捉える。

 女の片腕が動き、弟を攻撃しようとしている姿が映し出された。


 兄はスコープ越しに見える女の頭に狙いを合わせ、トリガーを————



 その時、スコープ越しに見える女の瞳が動き、兄と目を合わせる。


「——ッ!?」


 訓練を重ねてきた体が自動的に近くの物陰へと動く。

 バレた、バレた。

 バレた!!

 隠れなければ。


「なんで気づかれた……!? 距離1430だぞ! バケモノが! まずい、まずいまずい……!」


 位置がバレた時の手段として、狙撃位置を変えるか逃げるかの選択肢がある。

 しかし今の兄には弟の危機がある。位置がバレたからと言って、弟を見過ごしていいとはならない。


 だが兄は数秒動けなかった。弟が上手く立ち回り、兄の居場所を悟られないよう戦ってくれたからこそ、自分は今ここにいられるのだ。

 

 あの女……"バケモノ"の強さはスコープ越しに見てきた。


「バレたから……すぐこっちに来るんじゃ……」


 嫌な考えが脳に溢れる。

 そもそもなんで気づかれた?それほどまでに彼女は規格外と言うのか?

 いいや、何か細工があるはず。だって、ずっとスコープで見ていたのに、気づかれたのはさっきが初めてだったのだから。


 こちらに気づくのにも時間がかかったわけだ。

 なら、その気づく方法は——


 カァカァ。


 兄は、空を飛び回る1羽のカラスを見上げると、全てを悟ったように歯を食いしばった。


「あのカラスか……! 最初から主従関係だったんだ……! クソが!クソッタレ!!」


 カラスなんてその辺にいる生き物だ。群れでいることもあれば1羽で飛んでいるなんて、不思議に思うことは日常で無いだろう。

 その通常こそが、落とし穴だった。盲点だった。


 上空を飛ぶカラスは、兄の存在を誰かに知らせるように円を描いて飛んでいる。

 

 カラス1匹の小細工によって自分は追い詰められていたのだ。こんな事に気づけなかったなんて。

 兄は怒り覚え、未だ飛び回る小賢しいカラスに銃口を向けると、どうしようもなく弾を撃つ。


「どっか行けよ! どっか行ってくれ! クソぉ!」


 怒りに任せた攻撃に思えたが、兄の射撃は正確だった

 発射された魔弾はカラスの胴体に真っ直ぐ飛んでいく。

 

 だが、あのバケモノが従えてるカラスだ。


 カラスは弾が当たる寸前で正六角形のシールドを展開し、攻撃を弾いた。そして変わらずクルクルと円を描くように飛び回る。

 普通のカラスなら銃声で危機を感じ取り逃げるところなのだが……あのカラスは何も気にしていないように見える。

 それが、まるでこちらを嘲笑っているように思えた。



「ハハ……威力は申し分ないはずなんだがな……こんなのどうしろってんだよ……」


 カラスに気を取られていたその時、弟の魔力を感じられなくなった。兄弟間にある強い絆はこれを最後に断ち切られたのだ。


「——まさか」

 

 まずい、まずいまずいまずい。


 殺された?俺の弟が?

 そんな、そんなこと——


 兄は方向転換し、女と弟が居た廃ビルにスコープを向ける。


 だが、再度スコープを覗いた時には女の姿は無く、弟の気配も見えなかった。


 殺された。

 殺されたに違いない。


 判断が遅すぎた。

 幸運に恵まれて、弟が逃げきれたとは思えない。弟が女を殺せたとも思えない。

 であれば、やはり弟は殺された可能性が高い。あの女は、今度は俺を殺しに来るだろう。


 ——兄は弟を救えなかった。


 兄はその場にライフルを抱えながら座り込み、乾いた笑いを響かせた。

 傾く高いビルの屋上で、兄は夕暮れに染まる空を見つめ、いずれ来るであろう自身の終わりを悟る。


 俺は弟みたく近距離は優れていないんでね……。重てぇライフル片手に、じゃあ、尚更だ。


 むき出しになったビルの骨組みに腰がけ、震える手でタバコを1本取り出し、咥え、炎魔法で指先に小さな火を生み出し点火する。

 そして、人生最後の毒ガスを吸い上げ、肺に悦を巡らせる。

 心地良いそよ風が、兄の髪をふわりと靡かせて、場違いな空気を漂わせる始末だ。


 フゥ、と口から煙を吐くと、その白い煙の先にあの灰白色髪の女が現れた。

 彼女は大剣を傍らに浮かせながら、両手をポケットに入れて余裕を持って歩いてくる。

 しかし目線は兄をしっかりと捉えていて、隙をまるで感じさせない。


「来るの速ぇよ。熟熟バケモノなんだな、アンタ」


「————」


「あいつは? 俺の弟は、死んだのか?」


「————」


「——ッそうかよ!」


 兄は懐からハンドガンを取り出すと、女の顔面狙って弾を撃ち出した。重いスナイパーライフルを持ち直すより、片手で持てるハンドガンの方が効率が良い。


 だが彼女の小さな顔の前に正六角形のシールドが即座に展開された。

 弾丸はシールドに衝突すると、そのまま無造作に転がり落ちる。

 シールドに割れ目が入っているような様子は無く。自分が丸一日かけて作った魔弾ってやつは、こうも容易く止められるものなのかと。最後の悪足掻きも当然のように通用することは無い。もはや悲しみの感情を通り越して虚無感が湧いて出る。


 だが、兄はこんなに、何も足掻けずに殺されるほど野暮じゃない。自爆魔法装置でも持っていれば、より良かったのだが……今回は失敗だらけだ。何もかも。


 俺が何やったって、この女に傷1つ付けられないんだろうな。


 弟の仇も取れずに俺は殺されるのか。


 兄はハンドガンを自分のコメカミに銃口を当てると、トリガーに指を置く。神々しい夕日に照らされながら、最後の最後に自分の意思で死んでやる。


 死に方くらいは自分で選んでやるさ。


 指に力を入れて、トリガーを引こうとした。


 だがその瞬間、あのカラスが兄の持っていたハンドガンに向かって体当たりした。ハンドガンはビルの下へと落ちていく。


「テメェ!」


 兄は自殺行為を邪魔したカラスに向かって手を伸ばし、掴もうとする。

 だがスルリと交わされて、怒りの矛先さえも見失なった。

 せめてもの報いを込めようとも、届かず。

 スナイパーライフルを持ち直し、銃口を自身の口元へ。


 ——あぁ本当に、何もかも上手くいかない日だ!


 カラスは兄の行動に反応し、「ガァ!」と鳴きながら魔力を込め始める。しかし、


「手を出すな、フレン。実に非効率的だ」




 

 ——気づいた時には女はこちらに向かって手を伸ばしていた。女はそのまま、兄の顔面を片手で掴み足元のコンクリートへと叩き込む。


「がァっ!」


 女の細い腕からは考えられない怪力によって、頭蓋が割れそうなほどの衝撃が走る。兄は横になった状態から体を起こそうとも、全身動かせなかった。

 何かが全身を押し潰しているような感触だ。

 

 兄は女の細い指の間から恨みを込めた鋭い目つきで女を睨む。

 変わらず女は無表情で、尚のこと腹立たしい。


 そんなこと気にも止めず、女は兄の顔面を押さえつけたまま口を開く。


「結晶をどこへやった? 誰に雇われた? 話せ」


「はぁ!? 結晶? なんだよそれ! 知らねぇよ!」


 顔が半分コンクリートに埋められながらも、兄は大声を出して返答する。

 返答内容は女の望んだものではないようで、更に上から圧力が追加されていく。


「とぼけるな。先程お前たちが私から奪い取った結晶だ。知らなければ奪おうとする事は無いだろう」


「本当に知らねぇっての……!」


 圧力が追加され続け、頭全体がミシミシと音を鳴らしている気がする。それでも、兄は口を固く閉じ、それ以上の発言をしようとしなかった。

 ——やむを得ない。

 すると、女は1つため息を零してから、兄の耳元で言葉を囁く。


「——お前の弟は生きている」


「——!!」


「さあ、情報の等価交換をしよう」


 兄は目を見開いて、女の声に耳を傾けた。

 この女の発言が本当かどうかは分からない。信用するに値しない。

 

 ——だが、もし仮に弟は殺されていなくて、自分が情報を吐けば弟に再会できるチャンスがあるのだとしたら。


 思わず口が動く。



「ど、どういうことだ? 確かに俺の弟の魔力を感じられなくなった。う、嘘だったら——」


「感覚共有か……そも、結晶を奪ったお前たちに在処を聞かないまま殺すと思うか?」


「それは……」


「それに、お前たち"程度"の実力なら、助言がなければ私の懐から結晶を盗む事などできないとわかった。雇われ主の助言に従っただけだと考えるのが妥当だな。だから誰に雇われたと聞いている。君らが主犯なら、とっとと殺してるさ」


「……俺らと戦ってて、カスだって分かったから殺す相手が別方向に行ったってだけかよ……」


 俺ら兄弟は約2時間ほど前にこの女から白い結晶を奪い取った。こういう悪事は何回も仕事で行ってきたから、今回の依頼もその程度に考えていたが……相手がこうも厄介なバケモノだとは知らなかったんだよ。

 

 それから結晶を盗られたこの女は、殺意剥き出しで取り返しに来た訳だが……俺らがカスすぎて助言者がいると推測し、殺意の矢印は俺らの雇い主に向いたってわけだ。


 悔しいがその推測は正しい。俺ら兄弟は今回、雇い主に結晶を奪うよう命令され、助言に従って動いたまでだ。


 今回の雇い主がくれた助言は本当に的確なものだった。だから俺ら兄弟はこの女の隙をあぶり出して結晶を盗めたと言える。

 

 女の言うその"程度"で済まされるような実力で動いてきた覚えはないが、この女に言われては言い返しは効かない。


 殺す必要があれば殺す。

 必要がなければ殺さない。

 合理的だ。

 俺らはその「必要がなければ殺さない」に該当しただけで、俺たちに選択権は無い。


「それで、結晶は? 雇い主のところか? 答えてくれれば2人とも見逃してやる」


「……弟は本当に生きてるんだろうな」


「あぁ」

 


 兄は埋まる顔を無理やり動かして口角を上げる。


 「あーあ。わかったよ。俺らみたいな弱者は弱者なりに、少しでも可能性ある未来に賭けるぜ。その情報交換、乗ってやるよ。」


「————」


「結晶についてはマジで知らねぇ。だが、在処なら雇い主のとこだ。……白い教会の関係者。多分。それ以外は分からん」


 すると、女は兄の顔面から手を離し、ハンカチで軽く手を拭くと、彼女に従うカラスを肩に乗せて後方へと歩き出した。

 体を動けなくしていた魔法はいつの間にか解除されており、兄は通常通り動けるようになっていた。


「今の発言に嘘は無いな。行こう、フレン」


 またポケットに手を突っ込んで兄に背を向ける女。

 今、ライフルで狙えば命を奪えるかもしれない。たが、兄はその場に腰を下ろしたままタバコを咥え直し、彼女の背中をじっと見つめた。


「今、お前の背後を狙えるぞ」


 わざと、そう挑発する。

 女は顔を少し傾けて、冷たい視線を兄に向けた。

 互いに戦う意思はもう無いというのに、馬鹿な発言だと呆れるような目線だ。


「……魔力切れで気絶した弟連れて早く帰るんだな。これ以上戦闘を交えることは、実に非効率的だ」


「意外と甘いのか? 俺らは……アンタから大切なものを盗んだんだぞ」


「さっきも言ったはずだ。主犯は別にいると。そうなんだろ?」


 兄は静かに頷く。すると女はビルの屋上から飛び立ち、姿を消した。

 兄がビルの下を覗き込むと、女は軽々とビルの間を飛び交い南の方角へと進んでいくのが見える。

 身軽に、華麗に宙を進む女の姿は、黒い服装も相まって、カラスそのもので。


 先程まで悍ましいバケモノと呼んでいた癖に、今となっては美しいカラスに見えてしまう。

 おかしなものだ。

 俺は、あの美しいカラスを眺めることしかできなかった。





 ——黄金の時間が消え、黄昏が街を照らすが、上空は既に夜の闇に支配されつつある。

 

 先々に見えてくるは空に浮かぶビル群と、空に漂う街灯の明かり。ビルの下にまたビルが存在し、そのまた遥か下に住宅街の仄かな灯りが光っている。

 申し訳程度に設置された木々は周囲を流れるように街中を循環しているが、空気の質を入れ替えきれてはいない。


 天界を模して作られたこの国は、高度な技術で近年高速に発展を遂げたが……その代償はこの国にある魔素と国民の魔力だ。

 天界という理想郷を完全に実現するためには、膨大な魔力が必要とされる。空気中の魔素を街の技術に注ぎ込み、技術維持のために魔法適性者の体内魔素5%が回収される。

 故に、街全体の魔素濃度は非常に低い。


 誰かの理想の為に、他者が利用された上で成立する国。

 理想郷として少しずつ発展しているが、酷く醜い国になったものだ。


 女は眼下の街を眺めながら、そんな矛盾を考える。


 この国の民は"完全な幸福"も、"理想郷"も実現する日を目にすることはできるのだろうか。


 完成できるかどうかすら分からない。まして完成した後どうなるかなど誰にも分からない。

 本当に全員が幸福になるのか?それとも幸福という概念そのものが変わってしまうのか?苦しみがなくなった人間は、幸福を幸福として認識できるのか?


 人間は幸福を求める。

 しかし、幸福を完全なものにしようとした瞬間、別の誰かの苦しみを生み出してしまう。

 では、苦しみを抱えたまま生きることと、苦しみそのものを消してしまうこと……どちらが本当に幸福なのか?


 ——君は、苦しみの消えた世界を理想郷と呼ぶか?



「……フッ、皮肉だな」


 灰白色髪の女は街を見下ろし冷たく、微かに笑う。

 長い髪を靡かせ、黒に染まる上着をはためかせながら。


 ——カルディラ、カルディラ。次はどうする?


 肩に乗るフレンの思考を読み取り、灰白色髪の女……

 カルディラは、口を開く。


「結晶を取り戻す為に、彼らの雇い主を探す。"白い教会"とやらに行ってみるか」


 カルディラは相棒のカラス——フレンの頭に人差し指を添えると、優しく撫でる。

 フレンは心地良さそうに目を閉じて、頭上をカルディラに差し出し、預ける。


「また協力してくれ。行こう、フレン」


 カァ。

主人公はカルディラです。兄弟はモブ。

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