第10話 ふたつのお守り
朝の光が、割れた窓を塞ぐ板の隙間から差し込んでいた。
昨夜まで響いていた戦闘音は消え、外からは瓦礫を片づける声や、荷車が石畳を転がる音が聞こえてくる。遠くで大工を呼ぶ声に誰かが応じるのを聞き、グレイはようやく街が朝を迎えたのだと感じた。
台所ではライカが朝食を作り、ライアンが食器を並べていた。途中で鍋の中身をつまもうとしたライアンの手を、開いた鉄扇が遮る。
「にーちゃん、つまみ食いする暇があるなら、お皿を運んでください。人数が増えたんですから、いつもより仕事も多いんですよ」
「ちょっと味見しようとしただけっスよ、ねーちゃん。そんなに怒らなくても、ちゃんと運ぶっスって」
「味見なら私が済ませています。ほら、手を動かしてください」
ライアンは肩をすくめ、素直に皿を持ち上げた。
椅子に腰を下ろしていたグレイは、その様子を眺めながら口を開く。
「朝から元気だな。昨日はあれだけ動いてたんだから、もう少し静かにしててもいいと思うぞ」
「姫さん、俺はちゃんと働いてるっスよ。ねーちゃんが朝から厳しいだけっス」
「お姫ちゃんも、そこで見ていないで手伝ってください。人数が増えたのは、お姫ちゃんが新しい家族を迎えたからでしょう?」
「それはそうだな。じゃあ、俺は何をすればいい?」
「まずは座っていてください。今から運ぶので、邪魔にならないように」
「……手伝えって言ったのはお前だろ」
「そうでしたっけ?」
涼しい顔で答えるライカに、グレイは小さく笑った。
いつもと変わらない朝だった。ただ、食卓に並べる皿が二枚増えている。
そのことを考えていると、廊下の奥から足音が聞こえた。
姿を見せたのはリインだった。昨夜用意された服に着替え、長い髪も整えているが、食卓を見渡したところで足を止める。
「おはようございます。あの、何かお手伝いできることはありませんか?」
「おはよう、リイン。身体の調子はどうだ?」
「昨日よりは動かしやすくなりました。まだ少し違和感はありますけど、痛いところはありません」
「そうか。無理に慣れようとしなくていいぞ。普通に生活しながら、少しずつ確かめていこう」
「はい。ありがとうございます」
丁寧に頭を下げたリインへ、ライカが声をかけた。
「リインさん、よければ食器を並べていただけますか?」
「はい、もちろんです」
頼まれた途端、リインの表情が和らいだ。
ライカから皿を受け取り、一枚ずつ慎重に運んでいく。新しい身体の感覚を確かめるように、指先へ余計な力が入らないよう気をつけていた。
「ミリアはまだ寝てるのか?」
「はい。何度か目を覚ましていましたけど、今はよく眠っています。昨日はずっと緊張していたみたいなので、もう少し寝かせてあげようと思って」
「そうだな。起きるまで待とうか」
リインは頷き、皿を並べ終えると今度は匙を運び始めた。
横顔にはまだ疲れが残っていたものの、何かを任されている間は落ち着いて見える。グレイはそれ以上声をかけず、ライアンが運んできた水差しを受け取った。
◇
ミリアが目を覚ましたのは、朝食の準備がほとんど整った頃だった。
寝癖のついた髪を押さえながら廊下へ出てきた少女は、食卓を囲む人々を見て少し驚いたように立ち止まる。
「……おはようございます」
「おはよう、ミリア。よく眠れたか?」
「はい。でも、起きたらお姉ちゃんがいなくて……ちょっとびっくりしました」
「ごめんね、ミリア。朝ご飯の準備を手伝っていたの。起こした方がよかった?」
「ううん。大丈夫」
ミリアは姉の隣へ歩み寄り、その手を握った。リインも自然に握り返し、食卓へ目を向ける。
「ほら、もう朝ご飯ができるみたいよ。顔を洗ってきましょうか」
「うん」
二人が廊下へ戻ると、ライアンがグレイの隣へ腰を下ろした。
「姫さん、あの二人、まだかなり緊張してるみたいっスね。まあ、昨日の今日なんだから当たり前っスけど」
「ああ。無理に元気になれって言っても仕方ないだろ。俺たちが普段どおりにしてれば、そのうち慣れてくれると思う」
「それなら得意っスよ。普段どおりにしてるだけなら、俺は何も考えなくていいっスから」
「にーちゃんは、もう少し考えて行動してください」
台所からライカの声が飛んできた。
「……聞こえてたんスか?」
「聞こえる距離で話しているでしょう」
グレイは二人のやり取りを聞きながら、目の前の皿を少し横へ寄せた。
ほどなくしてセバスとロイも戻り、全員が食卓を囲んだ。
昨夜は慌ただしく済ませた食事だったが、今朝は温かい料理をゆっくり味わえる。
ミリアは最初こそ遠慮がちだったものの、ライアンが料理を褒めると、つられるように口を開いた。
「……おいしいです。お母さんが作ってくれたのとは違うけど、こういう味も好きです」
「そう言っていただけると嬉しいです。今度はお二人の好きなものも教えてくださいね」
ライカが答えると、ミリアは小さく頷いた。
隣のリインも、妹がもう一口食べたのを見て料理へ手を伸ばす。
新しい身体になっても、こうして食卓を囲み、味を楽しめる。
グレイにとっては、それを確かめられただけでも十分な朝だった。
◇
朝食後、セバスが姉妹の身体の動きを確かめることになった。
家の裏には小さな庭があり、塀の一部は崩れていたものの、身体を動かすだけの広さは残っている。
グレイとライアンが危険な瓦礫を片づけると、セバスは二人を庭の中央へ呼んだ。
「まずは歩くところから始めましょう。新しい身体は以前と同じように作られていても、感覚まで完全に一致するとは限りません。急がず、ご自分の歩幅を確かめてください」
「はい。よろしくお願いします」
リインが頭を下げ、ミリアも隣に並んだ。
二人は庭の端まで歩き、ゆっくり戻ってくる。
リインの足取りは比較的安定していたが、ミリアは方向を変えた際に身体が傾いた。姉が手を伸ばしかけたものの、自分で踏みとどまる。
「……大丈夫。ちょっと足の力を入れすぎただけ」
「そう? 無理しないでね」
「うん。もう一回やってみる」
ミリアは同じ場所へ戻り、今度は慎重に向きを変えた。
「よろしいですね。今の感覚を覚えておいてください。力を入れることより、必要な分だけ使うことを意識すると動きやすくなります」
セバスの言葉に、ミリアは嬉しそうに頷いた。
その後も歩く、止まる、身体を捻るといった動きを繰り返し、最後には軽く走ってみる。何度か足をもつれさせながらも、二人は少しずつ新しい身体に慣れていった。
庭の隅から眺めていたグレイは、姉妹の違いに気づいていた。
リインは動く前に足元や距離を確かめるのに対し、ミリアは一度感覚を掴むと大きく動こうとする。
「セバス、二人の様子はどうだ?」
「どちらも順調でございます。慣れれば以前と同じように動けるでしょう。ただ、戦闘の訓練を始めるには、もう少し基礎を確かめる必要があります」
「そうか。じゃあ、今日は無理させない方がいいな」
グレイが頷くと、リインが遠慮がちに声をかけた。
「あの……グレイさん。少しだけ、武器を持ってみてもいいでしょうか?」
「武器?」
「はい。まだちゃんと戦えるとは思っていませんけど、自分に何ができるのか、知っておきたくて」
グレイがセバスへ目を向けると、彼は少し考えて頷いた。
「重い武器を振り回すのでなければ構いません。ただし、今日は適性を見るだけにしましょう」
「ありがとうございます」
リインがほっとしたように頭を下げると、ミリアも手を上げた。
「私もやってみたいです。お姉ちゃんだけじゃなくて、自分に合うものを探したいから」
「もちろんいいぞ。二人とも、気になるものを試してみよう」
◇
セバスが訓練用の武器をいくつか用意し、ライアンは自分の短剣を見せながら特徴を説明した。
「短い武器は取り回しがいいっスけど、その分、相手との距離が近くなるんスよ。俺みたいに動き回るのが好きなら合うと思うっス」
リインは短剣を受け取り、慎重に構えた。
以前にも護身術を習っていたため、武器を持つこと自体には抵抗がないらしい。しかし、何度か振ってみると首を傾げた。
「……軽くて扱いやすいです。でも、もう少し距離を取って戦えるものの方が、私には合っている気がします」
「なるほど。だったら、こっちはどうっスか?」
ライアンが差し出した訓練用の剣を受け取り、リインはゆっくりと振ってみた。
先ほどより握りやすそうだったが、何度か試したところでグレイへ目を向ける。
「グレイさん。以前、東方の剣術について本で読んだことがあるんです。刀を鞘から抜く動きで斬る技術があると書かれていたんですけど……」
「抜刀術か。知ってるぞ。実際に使う奴とも戦ったことがある」
「本当ですか?」
「ああ。鞘に納めた状態から一気に抜くから、最初の一撃がかなり速いんだ。ただ、見た目ほど簡単じゃないぞ」
リインの表情に興味が浮かんだ。
「……一度、試してみてもいいでしょうか?」
「もちろん。セバス、刀はあるか?」
「訓練用のものならございます。少々お待ちください」
セバスが持ってきたのは、刃のない木製の刀だった。
リインは両手で受け取り、鞘に納めて腰へ添える。そのまま抜こうとしたが、途中で引っかかってしまった。
もう一度試しても、今度は鞘の向きが合わず、腕が不自然に伸びる。
「……難しいですね。普通に剣を振るのとは全然違います」
「そうだな。抜く動きと斬る動きを一緒にするから、身体の使い方も変わる。焦って速くしようとすると、かえって上手くいかないぞ」
「まずは鞘から滑らかに抜くことを覚えましょう。速さを求めるのは、その動作が自然にできるようになってからです」
セバスの助言に従い、リインはゆっくりと抜く動作を繰り返した。
少しずつ動きが整っていく中、グレイは彼女が刀だけでなく、足元や周囲の位置にも注意を向けていることに気づく。
「リイン、お前は距離を測るのが得意そうだな。相手がどこにいるか、よく見てる」
「……そうでしょうか。ギルドで働いていた頃も、人の動きを見ることは多かったですけど……」
「それもあるかもしれないな。刀は間合いが大事だから、その感覚は役に立つと思うぞ」
リインは手元の刀を見下ろし、少し考えた。
「……私、この武器を使えるようになりたいです。まだ上手くできませんけど、ちゃんと覚えてみたい」
「いいと思う。自分で使いたいと思える武器の方が、練習も続けやすいだろ」
グレイが頷くと、リインは小さく微笑んだ。
それは昨日から何度か見せていた、相手を安心させるための笑顔とは少し違っていた。
◇
続いてミリアが手に取ったのは、姉と同じ訓練用の刀だった。
しかし、鞘から抜こうとしたところで手元がもつれ、困った顔になる。
「……お姉ちゃん、これ難しいね」
「そうね。私もまだ上手くできないわ」
何度か試したあと、ミリアは刀を戻した。
短剣や普通の剣も持ってみたが、どれも物足りなさそうだった。
「ミリアちゃんは、もう少し大きく動かせる武器の方が好きなのかもしれないっスね。剣より長いものを試してみるっスか?」
「はい。お願いします」
セバスが持ってきた槍を両手で構えると、ミリアは何度か前へ突き出した。
最初は長さに戸惑っていたが、次第に動きが大きくなっていく。
「……これ、ちょっと好きかも」
「そうか。だったら、こういうものもあるぞ」
グレイは槍の隣へ、先端に斧の刃と槍の穂先を備えたハルバードを置いた。
「……大きい」
「突くことも斬ることもできる武器だ。ただ、扱いは簡単じゃないし、今は訓練用の軽いものを試した方がいい」
ミリアはセバスから木製のハルバードを受け取り、慎重に構えた。
長い柄を両手で握って前へ突き出し、続いて横へ振ろうとする。しかし、先端の重さに引っ張られて身体が傾いた。
「わっ……!」
リインが思わず踏み出したが、ミリアは足を踏ん張って姿勢を戻した。
「……大丈夫。ちょっとびっくりしただけ」
セバスが近づき、手の位置を直す。
「今は武器に振り回されていますね。先端が重いものほど、腕だけで動かすと姿勢が崩れます。身体全体で支えるようにしてみましょう」
「はい!」
教えられたとおりに構え直すと、先ほどより安定して振ることができた。
何度か繰り返したあと、ミリアは嬉しそうに顔を上げる。
「……これがいいです。ちゃんと使えるようになりたい!」
「気に入ったのか?」
「はい。長いから少し離れたところにも届くし……ちゃんと持てるようになったら、すごく頼りになりそうだから」
「いいじゃないか。ただ、最初から大きく振り回そうとするなよ。まずは自分の身体と武器の動きを合わせるところからだ」
「分かりました!」
元気な返事を聞いて、リインも表情を緩めた。
◇
武器の適性を確かめたあとは、魔法の相性を見ることになった。
グレイは二人を庭の中央へ呼ぶ。
「今の身体でも魔力は使えるようにしてある。ただ、以前とは感覚が違うかもしれないから、まずは自分の中にある魔力を確かめてみてくれ」
リインが目を閉じて集中すると、やがて指先へ淡い光が集まり始めた。
光は大きく広がらず、細い糸のようにまとまっている。
「……あ、できました」
「うん。いい感じだな。今度は、その魔力を少しだけ動かしてみよう」
リインが指先を動かすと、光もゆっくりと形を変えた。途中で途切れそうになったものの、すぐに持ち直す。
「……細かい操作が上手いな。初めての身体でそこまでできるなら、かなり器用な方だと思うぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。魔力をたくさん出すより、少ない量を正確に扱う方が難しいこともあるからな」
もう一度試すと、先ほどより滑らかに光が動いた。
グレイは足元の小石を拾い上げる。
「じゃあ、次は空間魔法との相性を見てみようか。少し難しいから、できなくても気にするなよ」
「……空間魔法、ですか?」
「ああ。俺がよく使っている魔法だ。離れた場所を繋いだり、物を移動させたりできる。ただ、最初からそんなことをする必要はない」
グレイが手のひらの空間をわずかに歪ませると、小石は一瞬だけ姿を消し、すぐ隣へ現れた。
「……すごい。こんなに自然にできるんですね」
「慣れればな。最初は空間の違いを感じ取るところからだ」
グレイはリインの前に小さな魔力の揺らぎを作った。
目を閉じたリインは、しばらく考えてから指を向ける。
「……ここ、でしょうか?」
ほとんど正しい位置だった。
グレイが別の場所へ揺らぎを作っても、リインはかなり近い位置を指し示した。
「……へえ。お前、空間を感じ取るのが上手いな」
「本当ですか? 何となく、そこだけ周りと違う感じがするんです」
「その感覚は大事だぞ。空間魔法は力任せに使うものじゃないからな。細かい違いを見分けられるなら、向いているかもしれない」
リインは自分の手を見つめた。
「……刀と、空間魔法を一緒に使うこともできるんでしょうか?」
「できると思うぞ。ただ、かなり難しい。刀の動きと魔力の操作を同時にやることになるから、まずは別々に覚えた方がいいな」
グレイは木製の刀を手に取った。
「例えば、刃先だけを別の場所へ繋げられれば、離れた相手にも斬撃を届かせられる。理屈としては可能だが、相当細かい制御が必要になる」
「……そんなことができるようになったら、離れた場所にいる人も守れるんですね」
「そういう使い方もできるな。でも、今はまだ先の話だ。まずは刀を扱えるようになることと、魔力を安定させることから始めよう」
「はい。頑張ります」
リインは力強く頷いた。
まだ技術は身についていない。それでも、自分の進みたい方向を見つけられたことは、悪くない始まりだった。
◇
ミリアが魔力を指先へ集めようとした途端、足元の小石がかすかに震えた。
「……あれ?」
驚いて手を止めると、小石の動きも止まる。
「ミリア、もう一度やってみてくれ。今度は石のことを気にしなくていいから」
「はい」
ミリアが集中すると、再び小石が震え、周囲の砂も地面へ押しつけられるように沈み込んだ。
「……重力か」
「重力……?」
「ああ。物を引っ張ったり、重さを変えたりする魔法だ。お前の魔力は、そっちと相性がいいみたいだな」
「……私がやったんですか?」
「そうだと思う。まだ無意識に出てるみたいだから、少しずつ確かめてみよう」
グレイは小石を一つ拾い、ミリアの前へ置いた。
「この石を、ほんの少しだけ重くするつもりで魔力を流してみてくれ。大きく変えようとしなくていいぞ」
ミリアが両手を伸ばして集中すると、小石が地面へ沈むように動いた。
しかし、周囲の砂まで一緒に押しつけられ、慌てて魔力を止める。
「……ご、ごめんなさい!」
「謝らなくていい。今のはちゃんと魔法が働いてたぞ。ただ、範囲が少し広すぎたな」
グレイは小石を拾い直した。
「重力魔法は便利だけど、使い方を間違えると自分や周りにも影響が出る。まずは、どこまで魔力が届いているかを覚えよう」
「……はい。気をつけます」
セバスも横から助言する。
「ハルバードとの相性も考えられますね。武器の重さを扱えるようになれば、戦い方の幅は広がるでしょう。ただし、魔法に頼る前に、武器そのものを正しく扱えることが大切です」
「分かりました。ちゃんと練習します」
「そうだな。今は魔法も武器も、できることを少しずつ増やしていけばいい」
ミリアはハルバードの柄を握り直し、隣のリインも刀へ目を向けた。
二人にはまだ不安も迷いもあるだろう。それでも、自分の手で何かを掴もうとしている。
グレイはその様子を確かめ、今日の訓練を終えることにした。
◇
昼を過ぎると、リインとミリアは家の片づけを始めた。
壊れた家具や割れた食器を分け、使えるものを棚へ戻していく。ライカも手伝い、ライアンは重い家具を運んでいた。
グレイが棚の奥を整理していると、小さな箱が見つかった。
「リイン、これも片づけていいのか?」
「あ……それは、おばあちゃんのものです」
「ミナの?」
「はい。おばあちゃんが使っていた小物を残してあるんです。お母さんが大切にしていたので……」
グレイは箱を開けずに渡した。
リインが蓋を開くと、中には古い布や小さな飾りが入っていた。ミリアも隣へ寄ってくる。
「……おばあちゃんのだ」
箱の底には色褪せた青い布が敷かれていた。
「おばあちゃん、これでお守りを包んでたんです。私たちにくれるときも、傷がつかないようにって」
リインの言葉に、グレイは二人の胸元へ目を向けた。
細い鎖に下がった青白い石には、今も亀裂が残っている。
「……そういえば、その石。直せるかもしれないと思ってたんだ」
「……本当ですか?」
「ああ。完全に元どおりになるかは分からないけど、形を整えるくらいならできると思う。二人がよければ、少し預からせてくれないか?」
リインは石の表面を指でなぞり、少し考えた。
「……お願いします。おばあちゃんからもらった、大切なものなので」
「私も……直してほしいです」
ミリアも鎖を外し、両手で差し出した。
グレイは二つの石を受け取る。
どちらも大きく欠け、以前のような淡い光は失われていた。
かつてミナへ贈ったものが、こんな形で戻ってくるとは思っていなかった。
「形はどうしたい? 前と同じようにしてもいいし、別の形に作り直してもいいぞ」
「……できれば、今までと同じ形がいいです。おばあちゃんがくれたときのまま、持っていたいので」
「私も。割れたところが少し残っててもいいから、なくならないようにしてほしいです」
「分かった。できるだけ元の形を残して直してみよう」
グレイは二つの石を丁寧に布へ包み、懐へしまった。
◇
その日の夕方、グレイは家の奥にある小部屋で石の修復を始めた。
机には二つの青白い石と、細かな欠片が並んでいる。
どちらも強い衝撃によって内部の魔力の流れが乱れており、単に繋ぎ合わせるだけでは、以前のようなお守りとして使うことは難しそうだった。
それでも、石そのものを取り替えるつもりはない。
ミナが大切にし、その娘が受け継ぎ、今は孫たちが持っている。長い年月を経て残ったものを、できるだけそのまま返したかった。
グレイは指先へ魔力を集め、欠片を慎重に繋ぎ合わせていく。
砕けた表面が整い、細い亀裂が目立たなくなっていった。ただし、すべてを消すのではなく、元の石が持つ形や色を残しながら補強する。
しばらくすると、扉が軽く叩かれた。
「お姫ちゃん、入ってもよろしいですか?」
「いいぞ。ちょうど少し休もうと思ってたところだ」
入ってきたライカは、机の上を覗き込んだ。
「……綺麗ですね。もう、ほとんど元の形に戻っているんですか?」
「形はな。ただ、お守りとしての働きはまだ戻ってない。中の魔力の流れを整えないと、またすぐ壊れるかもしれないから」
「ミナさんから受け継がれたものなんですよね。お二人にとっては、きっと特別なものなんでしょうね」
「ああ。ミナも大事にしてくれてたみたいだしな。せっかくだから、もう少し長く持っていられるようにしてやりたい」
グレイが石の亀裂を指でなぞっていると、ライカが静かに口を開いた。
「……リインさん、今日もずっと妹さんのことを気にしていました。ミリアさんが少し離れるだけで、すぐに目で追っていたんです」
「そうか。まだ昨日のことが頭から離れないんだろうな」
「ええ。でも、無理に離れさせる必要はないと思います。今は二人でいられる時間を大切にしてもらえれば」
「俺もそう思う。少しずつ慣れてくれればいい」
ライカは頷き、机へ目を戻した。
「それにしても、お姫ちゃんはこういう細かい作業もお得意ですね。戦っているときとは、ずいぶん違って見えます」
「……褒めてるのか、それ?」
「もちろんです。普段からもう少し丁寧に物を扱ってくだされば、私も助かるんですけどね」
「それは余計だろ」
グレイが笑うと、ライカも小さく微笑んだ。
やがて彼女が部屋を出ていくと、グレイは再び石へ向き直った。
今度は内部の魔力を整え、小さな術式を組み込んでいく。
以前と同じものを完全に再現することは難しいが、二人の新しい身体に合わせて調整することはできる。
強い衝撃を受けたとき、一度だけ魔力が働いて持ち主を守る。その機能を残しながら、普段は邪魔にならないように整えた。
時間をかけて仕上げ、最後に細い鎖を通し直すと、二つの石は淡い光を取り戻した。
以前より少し小さくなっていたが、どちらにもミナから受け継がれた石が残っている。
グレイはしばらく眺めたあと、そっと布へ包んだ。
◇
翌朝、グレイは食卓に座った姉妹へ二つの包みを差し出した。
「昨日預かったお守り、直してみたぞ。前と全く同じではないけど、できるだけ元の石を残してある」
リインが包みを開くと、淡い光を宿した青白い石が現れた。
細かな亀裂の跡は残っているものの、欠けていた部分は綺麗に整えられ、以前のように鎖へ下がっている。
「……これ……」
ミリアも包みを開き、目を見開いた。
「……光ってる……!」
「ああ。お守りとしての働きも、ある程度戻してある。ただし、前と同じように強い衝撃を受ければ壊れるかもしれない。これがあるから大丈夫だとは思わないでくれよ」
リインは石を両手で包み、ゆっくりと頷いた。
「……ありがとうございます。こんなに綺麗にしていただけるなんて、思っていませんでした」
「おばあちゃん、喜ぶかな……」
ミリアの呟きに、グレイは少し考えてから答えた。
「喜ぶと思うぞ。あいつ、自分の大事なものを誰かが使ってくれるの、結構好きだったからな」
ミリアは石を胸元へ当て、小さく笑った。
リインも鎖を首に掛け、服の上からそっと触れる。
「……これからも、大切にします」
「ああ。そうしてやってくれ」
朝の光を受け、二つの石がかすかに輝いた。
かつてミナへ贈ったものが、長い年月を経て孫たちの胸元へ戻ってきた。
グレイはその光を眺めてから、二人へ声をかける。
「さて、今日は何をしようか。身体の訓練を続けてもいいし、街の様子を見に行ってもいいぞ」
「……午前中は訓練をしたいです。午後からは、家の片づけを進めたいと思っています」
「私は、お姉ちゃんと一緒にやりたいです。でも、街の人たちのことも気になるから、少し見に行ってみたいかも……」
「じゃあ、午前中は訓練で、午後は街を見ながら必要なものを探そうか。家の片づけも、できるところからやればいい」
二人が頷くと、ライアンが隣で伸びをした。
「じゃあ俺も、午後は街の方へ行こうかな。昨日見た限り、まだ人手が足りなさそうだったっスから」
「にーちゃんが行くなら、ちゃんと役に立ってきてくださいね。余計な騒ぎを起こさないように」
「分かってるっスよ。俺だって、こういうときくらい真面目に働くっス」
「こういうときだけでは困るんですが」
ライカの言葉にミリアが小さく笑い、リインも口元を緩めた。
グレイはその様子を見て、椅子から立ち上がった。
◇
それから数日、グレイたちは街に留まった。
戦闘は終わっても、壊れた建物や道はすぐには元へ戻らない。避難していた人々が戻り、失った家族を探す者もいれば、家の修理を始める者もいた。
グレイたちも、それぞれ復旧を手伝った。
ライアンは瓦礫の運搬や屋根の修理、ライカは食事の準備や負傷者の世話を担当し、セバスとロイも資材を運んだり危険な場所を確認したりしている。
リインとミリアは家の片づけを進めながら、ときには近所の人々を手伝った。
最初のうち、リインは誰かに声をかけられるたびに身構えていた。以前からの顔見知りに無事を喜ばれても、どう答えればいいのか分からないらしい。
それでも、ミリアが隣で話し始めると、少しずつ言葉を返せるようになっていった。
ある日の午後、グレイが家の前にいると、姉妹が小さな籠を抱えて帰ってきた。
「おかえり。何か買ってきたのか?」
「ただいまです、グレイさん。近所の方が野菜を分けてくださったんです。私たちが無事だったことを喜んでくれて……」
「お姉ちゃん、前にその人のお手伝いをしたことがあるんだって。だから、今度は自分が手伝いたいって言ってくれたの」
「そうか。よかったな」
グレイは籠を受け取り、二人と一緒に家へ入った。
台所ではライカが夕食の準備をしていた。
「ありがとうございます。ちょうど何を作ろうか考えていたところなんです。これなら、少し品数を増やせそうですね」
「私も手伝っていいですか?」
「もちろんです。では、こちらの野菜を洗っていただけますか?」
「私もやる!」
「それならミリアさんは、こちらの葉を分けてください。力を入れすぎると潰れてしまうので、ゆっくりで大丈夫ですよ」
「はい!」
二人が並んで作業を始めると、グレイもライカに呼ばれ、食卓の準備を任された。
今度はちゃんと仕事を与えられたらしい。
皿を並べながら台所の会話に耳を傾けていると、ミリアが葉を一枚落としてしまった。
リインが手を伸ばしかけたが、ミリアは自分で拾い上げ、洗い直す。
それを見たリインは何も言わず、作業へ戻った。
グレイはその小さな変化に気づき、口元を緩めた。
◇
訓練も毎日少しずつ続けられていた。
リインはセバスから足運びや姿勢を教わりながら、刀を抜く動作を繰り返している。
最初は鞘から抜くたびに身体が傾いていたが、数日経つ頃には、ゆっくりなら滑らかに抜けるようになった。ただ、速さを求めるとまだ動きが乱れる。
「……難しいですね。ゆっくりならできるのに、急ぐと途端に上手くいかなくなります」
「それでよろしいのです。今は速さより、正しい動きを覚えることが先ですから。焦らず続けましょう」
セバスの言葉にリインは頷き、再び刀を構えた。
何度も同じ動きを繰り返す姿を見て、グレイが声をかける。
「リイン、少し休んだらどうだ? ずっと続けてると、変な癖がつくこともあるぞ」
「……もう少しだけ、やってもいいですか?」
「いいけど、疲れたらちゃんと止めろよ。急いで覚えたって、明日には全部できるようになるわけじゃないんだから」
「……はい」
リインは刀を納め、少し離れた場所へ座った。それでも手は、まだ鞘の位置を確かめるように動いている。
一方、ミリアはハルバードの扱いに苦戦していた。
ライアンが相手役になり、ゆっくりとした動きで間合いを確かめさせている。
「ほら、ミリアちゃん。俺が近づいてきたら、まずは先端を向けてみるっス。無理に振らなくても、長さがあるだけで相手は入りにくくなるっスから」
「……こうですか?」
「そうそう、いい感じっスよ。ただ、足元もちゃんと見ておくっス。武器ばっかり見てると、簡単に転んじゃうっスからね」
ミリアは頷き、足元にも注意を向けて構え直した。
魔法の練習も続いている。
リインは空間の揺らぎを感じ取れるようになったが、自分で作ろうとすると魔力が散ってしまう。ミリアも小石を重くできるものの、周囲の砂まで巻き込むことが多かった。
それでも、二人は失敗するたびに原因を確かめ、次の練習へ繋げていた。
グレイはその姿を見守りながら、今は無理に先へ進ませず、できることを一つずつ増やしていけばいいと考えていた。
◇
ある日の夕方、リインは一人で庭にいた。
セバスとの訓練は終わっていたが、まだ刀を抜く動作を繰り返している。
グレイが庭へ出ると、リインは慌てて刀を納めた。
「……すみません。もう練習は終わりだと言われていたんですけど……」
「別に怒ってないぞ。ただ、ずいぶん熱心だなと思ってさ」
グレイは近くの石へ腰を下ろした。
リインは少し迷いながら、その隣へ立つ。
「……早く、強くなりたいんです」
「そうか。じゃあ、何か目標はあるのか?」
「……まだ、はっきりとは。でも、今度こそミリアを守れるようになりたいです。あの子が怖い思いをするのを、もう見たくないから」
リインの表情は真剣だったが、刀を握る手には力が入りすぎていた。
「……リイン。お前がミリアを大事にしてるのは分かる。でも、あいつも自分で強くなりたいって言ってたろ?」
「……はい」
「だったら、全部お前が守ろうとしなくてもいいんじゃないか。二人でできることを増やしていけば、その方がずっと楽だと思うぞ」
リインはしばらく黙り、やがて柄から手を離した。
「……そうですね。頭では分かっているんですけど、どうしても先に身体が動いてしまって……」
「それは仕方ないだろ。今までずっと妹のことを見てきたんだから、急には変えられないと思うぞ」
グレイは立ち上がり、庭の入口へ目を向ける。
「ただ、ミリアが自分でできることまで奪わないようにはしてやれよ。あいつも、ちゃんと頑張ってるからな」
リインは少し驚いたようにグレイを見つめ、それから小さく笑った。
「……はい。気をつけます」
グレイが家へ戻ろうとすると、リインが呼び止めた。
「……グレイさん」
「ん?」
「……私、ここへ来てよかったです。まだ何もできないですけど、皆さんと一緒にいると、少しだけ安心できます」
「そうか。それならよかった。俺たちも、二人が来てくれて嬉しいぞ」
リインは丁寧に頭を下げた。
グレイは頷き、家の中へ戻った。
◇
旅立ちの日が近づく頃には、街の通りにも少しずつ人の姿が戻っていた。
修理中の建物はまだ多いものの、市場には小さな露店が並び、人々が必要なものを買い求めている。
グレイたちも旅の準備を進め、リインとミリアは家に残されたものから持っていきたい品を選んでいた。
リインは父親の使っていた小さな筆記具と、母親が大切にしていた布を手に取る。
ミリアは棚の上の写真立てを見つめ、しばらく迷ってから姉へ尋ねた。
「……これ、持っていってもいいかな?」
「もちろんよ。私も持っていきたいと思っていたの」
ミリアは嬉しそうに頷き、家族の写真立てを布で包んで荷物へしまった。
グレイは片づいた家の中を見渡した。
割れた窓は応急的に直され、床に散らばっていた木片もなくなっている。まだ修理は必要だが、雨風をしのげる状態には戻っていた。
「……家は、このまま残していくのか?」
「はい。いつか戻ってくることがあるかもしれませんし……それに、ここはお父さんとお母さんが残してくれた家なので」
「そうか。だったら、ちゃんと鍵をかけておこう。戻ってきたとき、また使えるようにな」
「……ありがとうございます」
リインは静かに頭を下げた。
その隣で、ミリアが玄関へ目を向ける。
「……お姉ちゃん。出発する前に、もう一回だけ家の中を見てもいい?」
「もちろん。私も一緒に行くわ」
二人が廊下の奥へ向かうと、グレイは荷物をまとめていたライアンへ声をかけた。
「ライアン、準備はどうだ?」
「もうほとんど終わってるっスよ。あとは二人の荷物を積むくらいっスね。姫さんの方は大丈夫っスか?」
「ああ。俺も問題ない。じゃあ、二人が戻ってきたら出発しよう」
ライアンは頷いて荷物を運び始め、ライカは最後に台所を確認した。セバスとロイも家の周囲を見て回っている。
やがて、リインとミリアが戻ってきた。
二人の胸元には、修復された青白い石のお守りが下がっている。
「……お待たせしました」
「もういいのか?」
「はい。ちゃんと、お別れしてきました」
リインは玄関の鍵を手に取り、扉を閉める前にもう一度だけ家の中を振り返った。
そこには、家族と過ごした時間が残っている。
ゆっくりと扉を閉め、鍵をかけると、ミリアが隣へ寄り添った。
「……行こう、お姉ちゃん」
「……そうね」
グレイは二人を見て頷き、先に歩き始めた。ライアンとライカが続き、セバスとロイも荷物を持って歩き出す。
リインはしばらく家を見つめていたが、やがてミリアが手を差し出した。
「……お姉ちゃん。一緒に行こう?」
少し緊張したように笑う妹の手は、まっすぐ差し出されている。
リインはその顔を見つめ、ゆっくりと手を握った。
「……うん。一緒に行こう」
二人の胸元で、青白い石が朝の光を受けて淡く輝いた。
リインとミリアは手を繋いだまま、グレイたちの後を歩き始めた。




