第一話:記憶はもう一度、夕焼けを選ぶ
西暦2048年。
世界中で社会現象となったVRゲームがあった。
タイトルは――
『Memory Rewrite』
発売からわずか一年で五億人以上がプレイし、医療、教育、心理カウンセリングにも導入された、人類史上最も影響力のあるゲーム。
そのキャッチコピーは、たった一文だけだった。
「過去は変えられます。ただし、あなたの心の中だけで。」
最初、その言葉を誰も信じなかった。
「タイムトラベルゲームか?」
「歴史改変シミュレーター?」
そんな予想は、発売初日に覆される。
ゲームはプレイヤーの脳を高精度スキャンし、生涯の記憶を読み取る。
映像だけではない。
その日に吹いていた風。
雨上がりの土の匂い。
食卓に並んでいた料理の味。
教室のざわめき。
胸の鼓動。
手の震え。
後悔した瞬間の苦しさ。
嬉しくて涙が出そうになった幸福感。
五感も感情も、その日の世界そのものが再現される。
プレイヤーは、自分自身の記憶の中へダイブする。
そこでは、もう一人の自分として自由に生きられる。
言えなかった「ありがとう」を伝えることもできる。
謝れなかった人に頭を下げることもできる。
好きだった人に告白することもできる。
亡くなった家族と、最後の夕食をもう一度囲むこともできる。
試験の日にもっと勉強していれば、と後悔した人は、満点を取る未来を体験できる。
高校最後のサッカーの決勝で外したPKを、今度こそ決めることもできる。
面接で頭が真っ白になった人は、完璧な受け答えをして合格通知を受け取ることもできる。
恋人と別れた夜。
「あの時、引き止めていたらどうなっていただろう。」
そんな"もしも"も、最後まで体験できる。
さらには、自分だけが知っている未来を利用することさえできた。
翌日に当選番号が発表されるロト宝くじ。
翌日に暴騰する株。
スポーツの勝敗。
競馬や競艇、競輪の結果。
過去の自分にその情報を持ち込み、何億円もの大金を手に入れることもできる。
もちろん、ゲームの中だけで。
現実の銀行口座の残高は、一円たりとも増えない。
「一度だけ、一億円持ちの人生を味わってみたかった。」
そんな夢さえ、このゲームは叶えてくれた。
恋愛も同じだった。
初恋をやり直す人。
別れてしまった恋人ともう一度恋をする人。
結婚式を何度もやり直す夫婦。
初めて誰かと手をつないだ日の緊張。
初めてキスをした日の鼓動。
人生で初めて異性と心を通わせた夜。
「あの時、もっと優しくできた。」
「あんな言葉を言わなければよかった。」
「もう少し相手を大切にしたかった。」
そんな後悔を抱えた人々は、何度でもその瞬間へ戻った。
失敗した記憶も。
成功した記憶も。
幸せだった記憶も。
後悔だけが残った記憶も。
人生のあらゆる瞬間を、好きなだけやり直せる。
まるで人生そのものをロードし直せるゲームだった。
だが、このゲームには発売以来、一度も破られたことのない絶対のルールが存在する。
『現実は、一切変わらない。』
ゲーム内で百億円稼いでも、現実では財布の中身は変わらない。
ゲーム内で試験に合格しても、現実の学歴は変わらない。
ゲーム内で恋人と結婚しても、現実では他人のままだ。
ゲーム内で事故を防いでも、現実では亡くなった人は帰ってこない。
ゲーム内で未来を知り、どんな大勝負に勝っても、現実ではその知識は過去には持ち帰れない。
歴史は変わらない。
世界も変わらない。
銀行口座も。
戸籍も。
家族も。
年齢も。
失われた時間も。
何一つ変わらない。
変えられるのは、たった一つだけ。
過去そのものではない。
過去を抱えて生きる、自分自身の心だけだった。




