第七話 関節の外れた街
こんなはずじゃなかったんだよ…!
窓も何もないこの薄暗い石の部屋に閉じ込められて、どのくらい経ったんだろう。僕は夜、こっそり街を抜け出す予定だったんだ。
だってそうだろう!?
街の人たちの話を聞けば、僕が特別そういう訓練を受けていなくたって、この街がおかしいのはわかる。「神隠し」なんて事にして、黙認されている人身売買。不正な処刑の数々。話を聞いているだけで気持ち悪くなる程、この街は腐り切っている。
酒をたかりながら演説するだけで良かった夜は、そう長く続かない。最近の酒場の男達は、いつ僕が領主を裁くのかと、期待と疑いの入り交じった熱い視線を投げて来るし、黄色い声援の女性たちからは、泣きつかれる。
噂に聞いたヒーローを、少し語ってみたかっただけなんだ。
軽い気持ちで口にしたのに、いつの間にか人々の中心で演説するようになり、奢られる事にいい気になって、本当にこの街の人が抱えている闇に触れてしまった。
だから逃げようとした。だけど、もう手遅れだったんだ。
「黒蛇の調査員が来ている」そんな噂が広まって、この街の領主が、何もせずに黙っているわけがなかった。僕はどうなるんだろう。こんなに無秩序な街で、こんなところで、死んでしまうんだろうか。
第七話 関節の外れた街
「―――っ!」
「あ、起きたの? 大丈夫?」
「……ゼン君…?」
半日が経って、モアさんが目を覚ました。エレナは今ガンズ君と一緒に別の部屋にいる。エレナには適当にモアさんの事を誤摩化した。まぁ、誤摩化さなくても、あの娘が理解できる内容ではないと思うけど。
「顔の痣は、すぐ消えると思うから安心して。あと、他に痛い所ない?」
「……―――っ私っ」
ぱちぱちと瞬きをしたかと思えば、モアさんは跳ね起きて立ち上がろうとした。俺は当然、それを押しとどめる。
「―――っ離して! 私、行かなきゃ…!」
「大丈夫。モアさん落ち着いて。大丈夫だから」
「何が大丈夫なの!? 何にも知らないくせに…!」
モアさんは、最初に見た大人の良い女、という風体を崩し、今はただの少女のようだ。混乱と不安に、どうしたら良いのかもわからない。けれど決して、この人は誰かに救いを求めたりしないんだ。
「大丈夫。わかってるから。モアさんの両親は、必ず助けるから」
「―――っ!」
俺の言葉に、モアさんは目を見開く。余所者の俺から、そんな言葉を聞いて驚いているんだろう。しかしそんな驚きも、すぐに警戒するような視線に変わる。
「……あなた…何者なの…?」
訝しみの目で俺を見る彼女に、俺はにっこりと微笑んだ。
「……助けるなんて…簡単に出来ると思ってるの…? 他人の不幸を見て、内心ほっと胸を撫で下ろすような街なのよ! 誰も他人を助けようとなんてしないわっ! それを、他所から来たあなたが…!? 馬鹿なこと言わないで!」
再び興奮して暴れだしたモアさんを、俺は強く抱きしめた。このヒトはきっと、一人きりでこの理不尽な状況を受け入れて生きて来た。
この街の、前の領主が死んでから約十年。跡を継いだのは、その馬鹿息子だった。道楽好きで、嫌われ者の現領主。それでも街の人たちは、領主に縋らなければ生きて行けなかった。飢饉が続き、食べ物もろくに手に入らないような暮らしが続き、他の街からの交易でなんとか物資を調達していた。その物資は、全て領主に届けられるのだ。始めは、街の人もそれで納得していた。けれど、物資の交易の為にと上がり続ける税は、確実に街人の暮らしを蝕み始める。そしてついに、税を納められず、領主に直訴する集団が出た。その集団は、直訴に行った翌日、広場の処刑台で見せしめに殺されてしまった。七日、首を晒されたその者達を見て、ついに街人達は、どこか歪んだこの街のシステムを知る。それからは、領主の好きにし放題。気に入った娘がいれば、領主のハレムに入れさせられ、税を納められなかったものは闇市での取り引きか、女であれば娼館で働かされる。耐えられなくなった街人が武器を取ったこともあったけれど、領主の雇っている街衛団という名の武装団になす術もなく、結局全員が処刑台に送られてしまった。
―――少し調べただけで、この街の歪みはわかる。そんな中、このヒトは、たった一人、親を助けようとしているのか…。
俺は腕の中で暴れていた彼女の背を撫でる。しばらくすると、彼女は暴れるのを止め、代わりに震えて泣き始めた。
「……もう、クソ領主の好きにはさせないから。任せて」
ガンズ君が調べてきた話では、モアさんの両親も、税を払えなくなったらしい。そしてモアさんも含めて親子三人、この街から逃げようとした。けれど当然、ずさんな計画ではこの街から抜けることは出来なかった。両親は、街衛団が連行していった。モアさんは、そのまま歓楽街の娼館に連れていかれた。偶然そこにいたガンズ君に、彼女は助けられたけれど、両親は反逆罪に問われ、牢屋に入れられているのだろう。三日後行われる公開処刑で、処刑するために。
モアさんの震えが落ち着いた所で、俺は彼女を離した。
「モアさん」
「……?」
「少し、エレナちゃんを見ててくれる? 俺たち、出かけなきゃいけないから」
モアさんを離し、別の部屋にいたエレナをモアさんに預けて、ガンズ君を連れて部屋を出た。
十分な証拠も、証人も大勢いる。この件に関して、裁くことは簡単だ。ただ、もう一つ、確認しなければならない事があった。
やらなければならない事を、わかっているつもりでいた。だけど、この時俺は怒りの余り、冷静ではなかったのかもしれない。「任せて」なんて言葉で、彼女が安心できるはずもなかった。俺たちが、何なのかも知らない彼女に、信じろという方が無理な相談だったんだ。