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一歩踏み出す

 「縁談……ですか?」


 貴族の娘に生まれたからには、しかるべき家に嫁ぐのは義務のようなものだ。私もそのことは承知していた。しかし、父の秘書となってから、そのことは私の頭からスコーンと抜け落ちていた。ほんとにまったく結婚ということを自分の身に起きることとして考えたことがなかったのだ。気がつけば、私はもう19になっていた。貴族の娘としては遅いくらいだ。

 姉の結婚式に出たときでさえ、自分の結婚のことをまったく思いつかなかった自分自身に改めて呆れてしまった。


 「無理強いするわけではないよ。けれど、マデリーンも結婚した。次はマリーのことを考えても不思議ではないだろう?」


 父はほほえみながら、私に言った。

 確かにそうだ。


 「そう、ですね」


 曖昧な笑みを父に返して、心の中で、どうしたものだろうと狼狽していた。


 「どなたか……具体的にお話があるのでしょうか?」


 私のその問いに、おやおやという顔をして父は答えた。


 「ははは……。マリーらしいというか。お話自体はあるよ。それはもう山のように。君を欲しいという話はもう前からいくつも来ていたんだが、私の一存でことわっていたんだよ」


 初耳である。私は(おそらく)びっくりした顔で、父を見ると、ひとつうなずいてから、父は続けた。


 「うん。君は、この3年、正に自分の持てる力をすべて注いで、私の秘書となるべくがんばっていただろう。だから、まだそのときではないと思ったのだよ。しかし、マリー、君はちゃんとやり遂げた。

 最初は私たち夫婦、そう私もエレノアもとても心配していた。マデリーンは大丈夫だからやらせろと言ったが気が気じゃなかった。兄さんたちも本当に心配していたよ。ところが、今や、君は誰が見ても立派に仕事をこなしている。私たち夫婦はすばらしい娘を持ったと、誇らしい気持ちでいっぱいなのだよ」


 そこまで言って、父は言葉を切った。

 私は感激で言葉が出なかった。父はそんな私を抱き寄せて、幼い頃のように背中をぽんぽんと軽くたたいてくれた。


 「あ……ありがとう、ございます。お父様」


 嬉しくて嬉しくて、ことばが出て来なかった。泣き出すのを我慢しただけでも自分をほめたいくらいだ。

 父はからだを少しはなして、私の顔を見て、話を続けた。


 「そして、ちょうどマデリーンも結婚した。今度はきちんと君の将来のことを考えてもいいかな、と。今まで、上の娘が結婚してから、と断っていた縁談を、その理由で断ることもできなくなったしね」


 父はにっこりわらって私の顔を見、そして言った。


 「君は結婚に関して、今まで何も考えていないだろう。少しそちらにも心を向けてごらん。もちろん、すぐに嫁に行け、ということではないよ。いきなり優秀な秘書がいなくなったら、私が困ってしまうからね。それに、娘をいっぺんに二人ともとられたら、寂しくてたまらないしね」


 父はそう言って、もう一度ほほえんだ。




 結婚。

 誰かと新しい家庭をつくる。

 考えたこともなかったけれど。

 そういえば、夜会に出ると、ダンスに誘ってくださる方はけっこういたわ。あの中のどなたかが、申し込んでくださったのかもしれない。

 そうだ。私も侯爵家の娘なのだから、この先のことも考えよう。お姉様のように熱烈な恋はできなくても、私なりに大切にできる人を見つけて、そう、あたたかい家庭を築いていけばいいのではないか。

 ここまで考えて、私ははっとする。今までだったら、きっと不安でたまらなくて、もしかしたらパニックに陥っていたかもしれない。姉と同じ道を歩けない自分に自己嫌悪して、落ち込んでいたかもしれない。……でも、私は今、自分のことを自分自身のこととしてしっかり考えることができているじゃない!


 私ははじめて「私は大丈夫だ」と思えた。

 ちゃんと自分の伴侶を探そう。

 お父様は急がなくてもいいと言ってくれたのだから。




 次の日、父に、「前向きに相手を探したい」旨を伝えると、父は「では何人かとお見合いをしてみるかい?」と提案してくれた。それに「はい」と答えて、そのお見合いのお相手選びを父と母に任せることにした。今まで結婚を考えたことのない私には、相手選びのデータもないし、方法もわからないのだから。


 最初に会ったのは、やはり侯爵家の方。近衛の騎士様で、私もご挨拶程度は何度かかわしたことがある。うちの庭で、お茶を飲みながらお話しすることとなった。


 「時間のある時などは、何をされているのですか?」


という私の問いに、


 「近衛に自由時間はあまりありません。強いて言えば、鍛錬です」

 「そうですか。読書などはお好きですか?」

 「自分はあまり本が好きではない。強いて言えば、仕事関連の本なら」


と、まるで尋問のような受け答えで、話が弾むどころか、糸口さえみつからないありさまだった。


 この方は、いったい私と結婚される気があるのだろうか。そんな疑問さえ浮かぶほど。その後、散歩をしながら、食べ物の話など向けてみたのだが、やはり尋問的応答というか……。相手方から私にあった質問は、「あなたはおしゃべりな女性か」の一つだけ。それほどでもない、と答えると、「それは美徳である」とほめられた。


 相手の方がお帰りになったあと、母エレノアにどうだったか聞かれたが、「わかりません」と答えるしかなかった。母は、そのあとこう言った。


 「では、もう一度会ってお話ししてみたい?」

 「……いえ……」

 「では、このお話はなかったことにしましょう」


 母の一言で、このお見合いは決着した。


 その後、3人の方に会ったが、どの方も、もう一度会って話したいというほどではなかった。タイプも違うし、寡黙な方も話し上手な方もいらしたのだが、なぜかどなたも心惹かれることがなかった。

 そして、5人目にお会いしたのは、マルベリー伯爵家の嫡男ロイドという方で、ご自身は学者さんという方だった。

 植物の研究をされていて、あまり水の豊かでない場所でよく育つ作物のお話とか、触るだけでかぶれる毒性のある草の話など、とても興味深いお話をしてくれ、楽しい時間を持てた。


 ロイドが帰ったあと、母がいつものように聞いた。


 「もう一度会ってお話ししてみたい?」

 「……ええと、そうですね。もう一度、お話ししてもいいかもしれません」

 「……そう。では、お父様に伝えておくわね」


 夕食の席でびっくりしたことには、父と母の他に、兄ふたりと嫁いでいった姉までそろっていたことだ。兄ふたりもお城に詰めていることが多く、ふたりがそろうことすらめったにないのに。


 「今日はいったいどうしたのでしょう。勢揃いだなんて。とても嬉しいですが」


と私が言うと、マデリーンが、


 「いえね、あなたのお見合いのことで、興味深い話を聞いたので、来てみたのよ」


と言う。


 「え? 興味深い?」

 「ええ、そう。もう一度会ってもいいと言ったそうじゃないの。いったい今日はどんな話をしたの?」

 「ああ、それでしたら……」


と私は、今日聞いた有益な話をみんなに披露した。


 「ですから、うちの領地の山の中腹の地区に植えたらどうかと。向いてると思うんです。どうでしょう?」


 喜々と話す私に、姉は言った。


 「……なるほど。それは興味深いわね。で、その方はふだんどんな生活をされていて、あなたとどんな家庭を作りたいと言ってらしたの?」

 「え?」

 「え? ……えっ?て、あなた、仕事相手とお話ししてたわけじゃないんだから、少しは将来のことも話したのでしょう?」

 「あっ」

 「あっ? まさか何にも話してないの?」


 まわりを見回すと、兄ふたりが「あちゃー」という顔をして私を見ていた。


 確かに私は父の秘書としてのスキルは上がったようだが、結婚についてスキルは皆無だったようだ。父などは、


 「うーむ。あと3年間見合いを繰り返すわけにもいかんしなぁ」


とため息をついた。


 「ごめんなさい」


とあやまる私に、姉は言った。


 「あやまらなくてもいいんだけど……、そうね、その方は今までの方たちよりはうち解けられたのでしょうから、もう一度会って将来の話をしてみれば?」


 というわけで、話はおしまいになり、その後、私はテラスで姉と話をした。姉とルーセントに私が祝いを述べたあのテラスである。


 「お姉様、私はなんでこんなに駄目なんでしょう。友人たちもちゃんと伴侶を見つけて嫁いで行くのに、私はどうやって見つければいいのか、見当もつかないのです」

 「そうねぇ。でも、それは、考えても仕方の無いものなのかもしれないわ」

 「え?」

 「考えるより、そうね、わかるというのかしらね」

 「わかる?」

 「すぐにわかることもあれば、だんだんとわかってくることもあるようだけれども」

 「難しいのですね。お姉様はいかがだったのですか?」

 「私? そうね。将来、彼と寄り添って笑っている絵が見えたのよ」

 「絵、ですか?」

 「そう。こんな感じのテラスで、言葉を掛け合いながら、笑っている姿が想像できたの」


 あの宰相様とですか? とノドまで出かかった言葉は飲み込み(そんな平和な絵が浮かぶ感じじゃなかったんだもの)、でも、姉の言うことをしっかり心にしまった。


 次にロイド様に会った時に、彼の現在の生活と、将来のことを聞いてみた。


 「私の生活ですか? うーん、研究ひとすじという感じですかね。あちこちを飛び回って調査をしたり、家にいるときも、採集した植物を栽培したり、研究所に出向いて、他の研究者と話し合ったり。そんな感じです」

 「その、結婚したら、調査旅行には、私もご一緒できるのでしょうか?」

 「えっ!? それは……考えたこともなかったから、ああ、うん、行ってもつまらないんじゃないかなぁ」

 「おじゃまということですか?」

 「じゃま、ということではないですが……」

 「では、1年のうちで、どのくらい家においでなのでしょう?」

 「研究所にも詰めていたりするから、家にいるのは1年のうち2ヶ月ぐらいかな」

 「私は家で何をすればよろしいのでしょう」

 「えっ? そうですね、母はお茶会をしたり、買い物に行ったり、楽しそうに暮らしてますよ。そうだ、母に聞くといいんじゃないかな。私より詳しいと思うし」


 そこまで話して、私はロイド様と暮らす様子がまったく浮かんで来なかった。「絵が浮かばない……」とつぶやく私に、ロイド様は首をひねっていた。


 ロイド様をことわったあと、数人の方とお見合いをしたが、私にはどの方との未来も浮かんでは来なかった。一人などは4回もお会いして、そのゆったりとした笑顔が素敵だなぁとまで思ったのだが、それでも将来の絵が浮かばない。私はほとほと困ってしまった。もう季節は春になっており、様々な花が庭を彩っていたのだが、私はそれを楽しむ心のゆとりさえ無くしていた。

 そこで、お父様に、当分お見合いをお休みしたい旨を伝えた。それを聞いて、母は、


 「ああ、それがいいわ。悩んだときは、一度立ち止まってみることも重要よ」


とアドバイスしてくれた。


 お見合いお休み宣言をした数日後の夕食に、兄のハリーと一緒にルーセントがお城から帰ってきた。ふたりとも久しぶりに休暇をとったのだと言う。お城での失敗談などをおもしろおかしく私に話して聞かせる二人に、みんなで大笑いをして、いつもより長い夕食を楽しんだ。


 その後、テラスでなんとなく月を見ていた私に、ルーセントが近づいて来て、話しかけた。


 「お見合いしてるんだって?」


 突然の言葉にびっくりして振り返り、しかもその内容に、恥ずかしさで顔が赤くなった。最近は、少しのことでは動揺しないようになったのに、家族や家族に次ぐルーセントの前では、ちっとも昔とかわらない様を見せてしまう。


 「ぜんぜん駄目なんです。ちっとも結婚できる気がしないんです」

 「……そんなに結婚したいの?」

 「うーん、結婚したい、というよりは、した方がいいと考えているというか」

 「年齢のこと?」

 「適齢期がどうの、ということではないのです。私は将来家庭を持ちたい。どなたかと支え合って生きていきたい。これは心から思っていることです。父に結婚の話をされたとき、正直、私は初めて自分の未来というものを考えました。そして、一人で生きていくよりは、私の家のような家庭を作っていきたいなと。……でも、どうすればそういう家庭を作れるようになるのか、そこのところが皆目わからないのです」

 「君は……まじめというか、なんというか」

 「他のご令嬢はどうやって決めているのでしょう。皆さん、優秀なのですね」

 「は? 優秀?」

 「だって、教わらなくとも、未来の伴侶を決めることのできる能力があるのですもの」

 「ははっ、ははははっ……!」


 おなかを抱えて笑うルーセントを見ながら、私は途方に暮れた。


 その後、むくれてしまった私に「ごめん、ごめん」と言いながら、ルーセントは最近お城のそばにできた大きな本屋のこと(本好きの私は一気に機嫌が直った)や、私のすぐ上の兄クリスが王太子様の侍医なりそうだという話(クリスは医者だ)や、あとは外務大臣のおじさまについて隣国に行った話などをしてくれた。私の方も、領地をまわったときの話や、我が家の愛犬が子どもを産んだ話まで、まるで小さい頃のように、いろいろな話をした。

 おかげで、お見合いのせいで、ここのところ、すこし沈んでいた気分がすっかり晴れた。



 その晩、私はなんだかよく眠れなかった。でもそれは不快ではなく、なんだか高揚したような幸せな気分で、浅い眠りを楽しんでいた。そして明け方、そんな眠りさえも訪れてくれなくなり、ベッドに横たわったまま、昨夜のルーセントとのひとときを思い返していた。

 ルーセントと話したのは姉の結婚式以来だったが、本当に楽しかった。話したことを思い出しては、つい笑みをこぼしてしまったほど。そんな自分に気がついて、私ははっとした。ルーセントとなら、この先ずっと笑って過ごせるのではないか……そう思ったとたん、薔薇の咲きほこるテラスで話している二人の絵が浮かんだのだ。

 

 「絵……、絵がっ!」


 がばっと身体を起こした私は、絵が浮かんでしまったことの衝撃に耐えるために、深呼吸をした。そこで、唐突に理解してしまった。マデリーンが言うように、「わかって」しまったのだ。

 どうやら私はどうあってもルーセントを忘れられないらしい。他の人とどれだけお見合いをしても、絵が浮かぶはずはなかったのだ。そうだったんだ……とつぶやいて、カーテンをあけると、朝日がうっすらと昇ろうとしている空が見えた。


 もう一度ベッドに入って目を閉じる。もちろん、眠れるはずもない。しかし、私は自分でもびっくりするほど落ち着いていた。自分で自分がわかったのが嬉しかったのだ。


 朝食が終わると、私は母親に、「でかけてきます」と伝え、馬車を用意してもらった。どこへ行くのかという母の問いに「お隣りへ」という言葉を残して。


 シェファード公爵邸に着くと、顔なじみの家礼が快く応接間に通してくれた。


 「朝早くから申し訳ないのですが、ルーセント様はいらっしゃいますか」


 そう伝えると、彼はすぐにルーセントを呼びに行った。

 ルーセントを待つ間、私の心は不思議なほど静かだった。自分が自分でコントロールできている気がして、とても気分が良かった。

 ほどなくルーセントがやってきた。


 「いらっしゃい、マリー。どうしたの?」

 「おはようございます。お話ししたいことがあって、参りました」

 「……じゃ、庭でも散歩するかい? 今、うちの庭は、母上自慢の白い薔薇が満開だよ」


 そういう彼の言葉に促されて、庭に出た私は、その色彩と香りに驚いた。ああ、こんなに美しい季節になっていたのね! 胸がいっぱいになった私は、ルーセントの方を見ると、こう言った。


 「ルーセント様、私と結婚してください」


 びっくりしたのはルーセントだ。


 「えっ、あっ、はっ!?」


 ぽかーんと口を開けて、一時私を見つめていたが、はっとした様子で自分を取り戻して、こう言った。


 「マリー、今のは聞かなかったことにしてくれるかい?」

 「……やっぱり駄目ですか……」

 「いや、そうじゃなくて、ああっ、もう!」


 焦れたようにそう言うと、ルーセントはいきなりそこにひざまずき、マリーの手をとった。


 「マリー、マリー・ガーフィールド嬢、私と結婚してください」


 今度は私が驚く番だった。目を見開いて、ぱちくりしたまま固まった私に、完全に自分を取り戻したルーセントは言った。


 「マリー、返事は?」

 「……は、はい。はい」

 「よくできました」


 そう言うと、はははっと笑ったルーセントに、こわごわと、


 「冗談なのですか?」


と尋ねる。


 「そうじゃないよ。ほんとに驚かせてくれるからさ。君に求婚されるとは思ってもみなかった。僕がする前に、ね」


 そう言ってほほえむルーセントを見て、私は真っ赤になって、でも嬉しくて自分も頬がゆるむのをとめられなかった。





 その顛末を聞いた両家の喜びようは半端なかった。

 そして、ルーセントは私に今までのことをすっかり話してくれた。

 ふたを開けてみれば、この結末はあの結婚式が取りやめになった夜に決まっていたのだそうだ。それを計画したのは、そう、マデリーンその人だった。あの時点で、ルーセント自身は、数年したら私と結婚することに異論はなかった。両家の親ともまったく反対意見はなかった。


 それにマデリーンが待ったをかけた。

 まず、私の力量について。

 公爵夫人ともなれば、その大きな領地に関するいろいろな仕事をこなさなければならない。しかもルーセントは外相候補である。外国に行く機会も多く、その妻となれば、かなりの力量が求められる。いざそのときになって、右往左往するようでは話にならない。今まで、がっちり周りの人間に守られてきた私のことだ。だんだんと覚えれば……などと甘いことを言っていては、一生身につくかどうかわからない。そんな状態では幸せに過ごすことなどできないだろうと。


 そして、マデリーンは、ルーセントにも不満だった。自分と結婚するときは、自分も似たようなものだったのでかまわなかったのだが、私が相手となれば話は別だと彼女は言った。「周りがうるさいから結婚するか、などというやつにはマリーをやりたくない。マリーが真剣なだけになおさら」という趣旨のことをルーセントに言ったらしい。

 「俺は、マリーを大事にするぞ!」と怒るルーセントに、


 「ルーセントがマリーを大切にしない、と言っているわけじゃないの。マリーをちゃんと妻として愛せるようになって欲しいのよ」


 マデリーンがこう返したと後で聞かされた時は、恥ずかしさで穴があったら入りたいほどだった。


 というわけで、私は父親の秘書として修行することとなり(実は、秘書は別に娘である必要はなかったのだ。マデリーンが優秀で、「やってみたい」というのでやらせていただけだった)、それが一通りできるようになった時点で、まだ私にルーセントとの結婚の意思があり、ルーセントにもその意思があるなら結婚を、ということになったのだ。「まあ、5年も待てばなんとかなるんじゃない?」というマデリーンに、ルーセントはため息が出たと言っていた。


 マデリーンは、私の修行中、「ぜったいにマリーの成長のじゃまをしていけない」と家族に厳命したそうだ。自分も含めて、ともかく私を溺愛している家族である。甘やかしたくて甘やかしたくて仕方ない気持ちを何年にもわたって抑えるのは、とても苦しいことだったとこぼしていたそうだ。慣れないことに必死で奮闘している私を目の前にしているのだから、なおさらだったろう。


 また、マデリーンは、私の意思をとても重要視していたので、ルーセントが私に近づくことを禁止していた。「ルーセントより素敵な人と出会うかもしれないでしょ。その機会を奪うのはやめて」という、ひどい言葉をルーセントに投げつけて。さらに、「いいのよ。別の人と結婚しても。あなたを縛っているわけじゃないのだから」と言われて、彼も他の女性に目を向けたこともあるが、小さい頃からかわいがっている私のことを思うと、結婚しようとまでは思えなかったと。

 そして、一定期間会わなかったことで、ルーセントは私の成長にびっくりし、そんな私に惹かれもした。おかげで、私のお見合いの話をイライラしながら聞き、最後には我慢できずに、ガーフィールド侯爵邸に乗り込み、私と話す機会を持った、というわけだ。

 「まんまとマデリーンのワナにはまった」と嬉しそうな顔で彼は言った。


 ことの次第をすべて聞かされた時は仰天し、少し怒りもわいたのだが、最後にはマデリーンに感謝することとなった。だって、やはり今の幸せをつかめたのは、姉のおかげだと思うのだ。あの甘えんぼマリーのままで、周りの人のお膳立てで結婚しても、うまくはいかなかっただろう。自分が勉強して、必死に身につけてきたものがあるからこそ、それがわかる。そして、そう思える自分が嬉しいのだから。


 「すっかり姉様の手のひらで踊ってしまったのね。なんだかちょっと悔しいわ」


 後日、侯爵邸での夕食の席で、そう話す私に、マデリーンはこう言った。


 「なに言ってるの。まったく想定外よ。まさか、マリーからプロポーズするなんて、誰が思うの! でも、よくやったわ。これで、ルーセントも一生マリーに頭があがらないわね!」


 マデリーンの最後のひと言を聞いて、「もしかしたら、それも彼女のワナだったのでは?」と兄二人がぶるっと震えたのはご愛敬、ということで。


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