ひとりごと
「ぼくが日本からベルギーに渡ることになったのは、中学に上がる前の春休みのことでした。
渡白するまで顔を拝んだことすらなかったのですが、ベルギーにはしがないヴァイオリン弾きの父がおりまして、彼がぼくの身元を引き受けてくれることになったのです。
不器用なぼくが初めての海外生活でできることといえば、簡単な家事と父の仕事にくっついて回ることくらいで、お客様に混じって父の演奏を聴いたり、合間合間にヴァイオリンを教わったり……そうですね、子供らしく気ままにやっていたように思います。
そんなある日、父の伴奏者が急用で来られなくなったことがありました。
確か、ガールフレンドの誕生日を忘れていたとか、そういう理由だったかと。
父としてはプログラムを独奏に変更しても支障はなかったようなのですが、ふとぼくを見て〝試しに伴奏をしてみないか〟と提案しました。
母にピアノを習っていたことは伝えていなかったはずですが、父のアパルトマンにあった古いピアノをこっそり弾かせてもらっていたので、こっそり聴いていたのかもしれません。長らく疎遠だったとはいえ母がピアノ教師であることはさすがに知っていたでしょうから、弾けないはずはないと思われたか、そのどちらかでしょう。
もちろん、二つ返事というわけにはまいりませんでした。
そのときのぼくは〝人前で演奏するなんてとんでもない。まだまだ先延ばしにすべきだ〟と頑なに思い込んでいました。
渡白する数年前の話ですが、日本で大きな失敗をして、その……トラウマになっていたんです。
ですからぼくは、父に何度も〝できない〟と訴えました。
しかしどうしてか父の方がむきになるわけです。
〝どんな演奏になっても文句はないし、途中で放り出したって構わないから〟と。
そうは言われても、怖いものは怖い。
もしもですよ、それで本当に途中で放り出しでもしたら、ぼくはピアノを見るのも嫌になっていたことでしょう。
ですがそのとき、日本である女性がくれたある言葉を思い出しました。
するととたんに勇気が湧いてきて、手の震えが収まったのです」
これまでぴくりとも反応を示さなかったルノワール氏が僅かに首を傾げる。
ぼくを勇気づけた〝ある言葉〟が気になったのかもしれないが、つまらない話がさらに長くなってしまうので触れずにおいた。
「あの時ぼくが任されたディナータイムのBGMの伴奏は、結果的に成功と言って差し支えないステージになりました。
お客様はぼくどころか父のことすら眼中になかったのですが、それがむしろ良かったようです。
ぼくの伴奏に合わせてヴァイオリンを弾く父の満足そうな笑顔を見て、ぼくはもう進むことができるのだと気づけたのでした。
以来父はぼくが同行する週末は可能な限りピアノの用意があるステージを選ぶようになります。
それまでは決まった伴奏者を呼んでいたようですが、依頼料を節約したかったのかもしれませんね」
と、そこまで話したところではっとする。
すまし顔で小首をかしげたルノワール氏に恐れ多くも本題はここからであることを告げてみると、彼は眉一つ動かさずにテーブルに肘をつき、手の甲に顎を置いた。
「いいから続けろ」ということでよいのだろうか。
推しのなんでもない仕草にいちいち胸を擽られるようで、ぼくの哀愁なんか些細なことのように思えてくる。
そしてふと、もしあのままずっと父の伴奏を続けていたら、今頃は父のように世界のどこかでのらりくらりとやっていたのだろうかと考えた。
小さなステージで誰かの伴奏をするのだって、プロの演奏家であることに違いはない。
今から選び直すことだって――と、ほんの少し考えて、すぐにそうならなくてよかったと考え直した。もちろん悪い道だとは思わないが、その道が斎藤さんと出くわす道に繋がっているとはどうしても思えない。だったらぼくは、師匠や生徒たちと共に音楽を学べるこの道がいい。
とんとん、と氏の指先がテーブルをたたく。
ぼくは一言詫びてからやっと本題に入った。
「あれは確か、父の伴奏をするようになってから半年ほどが経った頃だったと思います。
いつものように父の影でピアノを弾くぼくの前に、世界屈指のヴィルトゥオーソ、ピエール・ヴァンデンベルヘ氏が、偶然、お客として居合わせたのです。
そうとは知らずに何やら父と見知らぬおじさまが話し込んでいるなあと見ていましたら、突然そのおじさまと目が合ってしまいました。
ぼくは驚いて目を逸らしたのですが、彼はのそのそとやってきて、にこやかにこうおっしゃいました。
〝私のところへ来なさい、アノン君〟
そこから言葉に尽くせない修業の日々が始まったわけですが、残念ながら、ぼくは師匠の恩に報いることができないまま大人になってしまいました。
ついには、ピアニストの道を断念し、路頭に迷おうとしていた。
そんなぼくを見捨てるのを師匠は忍びなく思われたのでしょうね。
ご友人が理事長をされているCMVの講師に、こんなぼくを推してくださったのです。
つまりぼくがお話ししたかったのは――あの日ぼくが師匠の目に止まったことや、指導者という立場で音楽に携われていることは、奇跡ともいうべき僥倖に預かったにすぎないということです。
母がぼくの養育に音を上げていなければ、今なお狭い世界に閉じ籠もっていたかもしれない。
そう考えると、子供のうちに母に見放されたことすら幸運だったと思うのです。
この通り自分で成し得たことなんてひとつもないわけですから、真剣に音楽の道を歩まれている学生のみなさんが、ぼくを師と認められないことは至極真っ当であるといえるでしょう」
更けきった夜のような瞳に映るぼくの顔に、なんとも絶妙な笑みが浮かぶ。
対していつもと同じ彼の無表情には哀れみも蔑みもなく、鑑賞するだけで心が洗われるような無二の美しさだけが、モネの睡蓮やミロのヴィーナスのように静謐に据え置かれていた。
ぼくが進んでいなかった食事を再開すると、再び沈黙が訪れ、周囲の声が大きく聞こえ始めた。
あまり減っていないぼくの皿とは対照的に、ルノワール氏はドルチェまで綺麗に平らげている。
今の気分を最悪だとは思わない。
憧れのアンリ・ルノワールと二人でディナーなんていう夢のような経験をしたのだ。こんな機会はもう二度とないだろう。
しかしハッピーとはかけ離れたあやふやな心持ちでエスプレッソを飲み干して、さっさと会計に向かう氏に続いて席を立つ。
彼の足取りは速い。
目には見えない足枷をひきずるぼくと彼との間に、真っ暗で底の見えない溝が広がっていく。
すとんと、ぼくはその溝に落ちた――というのはもちろん比喩で、実のところはなんの変哲もない通路で何かに躓いて転んだだけだ。少々派手めに。
本来ならいててで済むなんてことはない出来事だが、なにせ起きたのは注目の的であるルノワール氏のすぐ背後。全方位から突き刺さる視線の数に、ぼくは情けなくも震え上がった。
駄目なのだ。注目を浴びるのも、可哀想にと憐れみを向けられるのも。
大丈夫、大丈夫、転んだだけなのだから、みんなすぐに興味を失って視線は散ってゆくはず。
大丈夫だと何度も自分に言い聞かせながらよろよろと体を起こし、さらっとした木の床に膝をつく。
頭をぶんぶん振りながら顔を上げると、ぼくの狭い視界に、大きく目を見開いてすっ飛んでくるルノワール氏が飛び込んできた。
その口が「はのん」とぼくの名前を叫んだように見えたのは流石に気のせいだろう。
えっと口から驚愕が漏れる頃には彼もぼくのすぐ前の床に膝をついて、ぼくの力無い右手を両手で包んでいた。
今しがた頭を庇うべく本能が床に突き出した手だ。
このいたって凡庸な手の、指の一本一本、関節のひとつひとつを、美しい音を生み出すに相応しくあるべしと神が丹精を込めて形作ったと思わしき彼の指が、懇切丁寧に検めている。
たった一人分の真剣な眼差しが、四方から注がれるいくつもの視線を弾き返すように、ぼくの惚けた顔色を注視している。
「なんともありません。大丈夫です」
呆気に取られつつも、ぼくの口は彼がいちばん欲しがっていそうな言葉を呟いた。
すると右手は無事に離されたが、今度は自然の流れで左手を明け渡してしまう。
「だっ……大丈夫ですから」
たじろぐぼくを差し置いて右手と同じように検めた氏は、ほっと息をついて立ち上がった。
もたつくぼくまでひょいと床から引っ張り上げ、ぼくの背後の斜め下を昼間のスマホと同じ目つきでぎっと睨んだ。
恐る恐る振り返ると、学生か院生らしきグループのうち通路側の席の酔った男がぎょっと顔を引きつらせている。
彼は少し前に理事長とぼくを中傷した声と同じ声で「こいつが勝手に転んだんだ!」と訊いてもいないのに言い訳をし始めた。もちろん日本語。
それを聞いたルノワール氏は、苦々しく唇の端を噛みながらぼくを見た。
何か言い返せと言いたいのだろうが、ぼくは小さく首を横に振り、フランス語でこの男と言い争う気はないことを伝える。
氏に日本語の理解があることを、ここに居合わせた人たちに知られたくなかった。
当事者含め、成り行きを見守っていた大抵の客には、ぼくが男の言い分を氏に通訳したように見えたかもしれない。
彼がどうしても何か言ってやりたいというような顔をしながら黙りなのも、言語の問題であると思い込んでいるはずだ。
けれど、ぼくには彼の抱える問題が別にあると分かる。
というより、今ようやく疑惑が確信に変わった。
持てる者、アンリ・ルノワール氏には、持たざる者であるぼくですらが当たり前に持ち合わせるものが無い。
それは、いまさら勿体ぶるまでもなく声だ。
彼がぼくに一言も話さないわけは、彼には話すための声が無いからなのだ――
が、大変だ。由々しき事態だ。




