Ep.1-1 魔術士エコと仲間たち(1)
「――ッ!」
薄暗い森の中、魔術士の少女は叫ぶ。叫びながら走る。
傍らに少女がもう一人。背中を覆うほどの大きな盾を背負っている。
二人とも必死になって逃げている。
後方には彼女達を追うように走る獣。
丸い胴体から伸びる長い四本の脚は、それだけで少女たちの身長を大きく超えている。
そんな獣が一頭や二頭ではない。両手でも数え切れない。
「――リッカのバカーッ!」
息が乱れているにも拘わらず、もう一度少女が叫ぶ。
森をかき分け逃げる二人だが、速度の差は大きく、獣達はもう背後まで迫っている。
加えて、二人の体力も限界が近かった。
「え、エコ――私、もう……ダメ、かも――」
盾持ちの少女が弱音を吐く。
叫んでいた少女は走りながら手を差し伸べようとするが――
「あ――」
振り返った事で注意が疎かになったのか、そもそも限界だったのか、躓いてしまった。
「エコっ」
盾持ちの少女が、咄嗟に伸ばされた手を掴む。
すんでのところで転倒は免れたものの、足が止まった少女たちに獣の群れが迫る。
――どうしてこんなことになったのか。
魔術士の少女、エコは前日のことを思い出す――
「――大事な話がある」
彼女達のパーティが拠点にしている宿屋、その食堂。
憂鬱な気持ちを振り払って、彼女、つまり魔術士のエコは切り出した。
「……ん?」
食事にはまだ早い時間で食堂は閑散としているものの、パーティメンバーは揃っている。
テーブルの向かい側、疑問形で返したのは剣士のリッカだ。
エコが彼を紹介するならば、男で、剣士で、トラブルメーカー。以上だ。
エコはリッカを無視し、隣の少女と視線を合わせた。
軽装鎧に身を包んだ真面目そうな彼女、騎士のベルは、いつも通り背筋よく話を聞いてくれている。
この二人にエコを加えて全員。まだ三人だけのパーティだ。
「あたしたちの生活費が、遠くないうちに尽きる」
「……おぅ」
何故だかリッカは歯切れが悪い。
まったく、なんでなんだろうねと心の中で毒づいて、エコは話を続けた。
「具体的にはあと三日分かな。今日含めて」
「きょう、ふくめて……」
ベルがぼそっと繰り返した。
ちなみに今は夕方だ。
つまり、あと二回陽が昇れば生活費が尽きる。寝食の保証がなくなる。危機だ。とてもまずい。
「……リッカが昨日買った剣の出費が痛かったね。『魔術を斬る剣』だっけ。ものは良いかもしれないけど、完全に予算オーバー」
エコは感情的にならないよう、淡々と事実を述べている。
ベルがびくっと震える。
エコは淡々としているつもりだ。出来ているだろうか。正直自信はない。
「……悪かったって」
リッカが頭を下げる。もう何度目か分からない。
エコはこの危機の元凶を問い詰めたくなったものの、隣のベルはかなり居心地が悪そうだ。
……やめよう。不毛だ。繰り返し口論したって仕方がない。
「……まあ、過ぎたことは仕方ないけどさ」
今はとにかく、話を進めよう。
「幸い他の装備は問題ない。消耗品も余裕があるから、当面大きな出費はない。だから、また出費が増えないうちに直近の生活費を稼いでいきたい。ひとまず一月分くらいかな」
「一ヶ月分……ちょっと大変だね」
「まあ、稼ぐならそれくらいじゃないとな」
エコ達は冒険者だ。多かれ少なかれリスクを取って、リターンを得る。
そういう生き方を選んでいるから、大まかな方向性は似通っている。しかし、方向性が同じでも度合いには個人差がある。
具体的にはこのリッカというヤツだ。やたらと難易度の高い依頼を選びたがる。
どの依頼を受けるか、何度揉めたことか。
「……で、時間もないから依頼を見つけてきた。明日はこの依頼に行こうと思う」
エコはギルドから持ってきた依頼書を鞄から取り出して、テーブルに広げた。
すかさずベルが身を乗り出し、依頼書を覗き込む。
「雲羊の羊毛の収集。羊毛一つにつき銀貨三枚。……雲羊って何だっけ」
「川の上流の方の山に棲んでるやつ。二枚目に描かれてるよ」
早速ベルは依頼書をめくった。そこには簡単な説明が書かれている。
・中型の獣
・数十頭の群れで餌場や水場を移動
・非敵対的。ただし体当たりや蹴りには威力があるため注意
・主な資源は羊毛。脆いため繊維としての価値はなし。加工により砂糖の代用に
「砂糖……どうなってんだよ」
「知らないよ。そんなもんでしょ」
そう。この世界の資源なんて、だいたいそんなものだ。
世界には魔力が満ちている。魔力は魔物のような害をもたらす一方で、人間に有用な資源も生み出している。
砂糖に加工しうる羊毛がどうやって生成されているか、それをどうやって加工しているかなんて、冒険者は気にする必要がない。気にしていては始まらない。
「原理は分からないけど使ってるやつだね」
「うん。とにかく、この羊毛が高く売れる。需要はいくらでもあるからね」
「甘いものは血液だからね」
「うん。……うん?」
真面目な顔のベルの言葉は、笑うところだったのだろうか。
資料には挿絵もついていた。
通常の羊と比較して毛量がかなり多く、胴体部分は球体に近い。絵で見る限り、とてももこもこしている。そこから胴体よりも長い脚が伸びている。
バランスの悪い生物だけれど、これで挿絵は正確だ。
「かわいい……」
雲羊の資料を読むベルに対して、リッカは依頼書の一枚目に目を通している。
「銀貨三枚で……ん? 納品数の上限なしか」
「そうだよ」
リッカにしては鋭い。そう。この依頼の要点はそこだ。
羊毛の納品一つあたり銀貨三枚。仮に三人が一日がかりで稼ぐと考えた場合、少し心許ない。
ただし、納品数に上限なしとなれば話が違ってくる。
雲羊の群れ全体から羊毛を収集できれば、一月分の生活費を稼ぐことだって不可能じゃない。
夢が広がる。
「二十個納品できれば一気に金貨六枚……夕食後に氷菓子が食べられるかな……?」
少なくともベルは共感してくれたようだ。
「もしそうなったら、一ヶ月くらいは毎食食べてもいいよ」
「――!」
たちまちベルの目の色が変わる。
籠絡完了。あとはリッカだ。
「リッカも異論はないよね?」
「俺はもうちょっと手応えが……」
「ないよね?」
エコはリッカを真正面から見つめる。
見つめる。
負い目もあってか、根負けしたリッカは目を逸らした。
「決まりだね」




