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第10話 熱狂のコール&レスポンスと、勝利の本格ハンバーガー

 地下ライブハウスの客席は、完全にコントロールを失いかけていた。

 ステージ上で圧倒的なパフォーマンスを披露するタマモたちに向け、50人の観客が、まるで何かに取り憑かれたように目を血走らせて最前列の鉄柵へと殺到している。

 ギギギッ、と鉄柵を固定するボルトが悲鳴を上げ、将棋倒しの危険が目前に迫っていた。


「おい、お前ら! 落ち着け!!」


 その時、ステージの袖から、腹の底を震わせるような野太い怒声が響き渡った。

 声の主は、パツパツのスーツを着た巨漢のマネージャー、田村範朝である。彼の左腕には、先ほど拾ったばかりの柴犬の赤ちゃんがすっぽりと抱きかかえられ、スヤスヤと眠っている。

 田村は右手で予備の有線マイクを握りしめ、ステージの最前線へとずかずかと歩み出た。身長185センチ、体重90キロの筋肉の塊が放つ物理的なプレッシャーは、暴徒化しかけていた観客たちの動きをピタリと止めた。


「前を押しすぎだ! 息が浅くなってるぞ! お前ら、完全に酸欠とライブ特有の興奮による『集団トランス状態』に陥ってるじゃないか!」


 田村は、PA席から流れる重低音のダンストラックに負けない声量で、観客たちに「科学的かつ物理的なダメ出し」を叩きつけた。

 観客たちは、突如現れたスーツ姿の巨漢に「酸欠」と指摘され、ポカンと口を開けて瞬きをした。その瞬間、彼らの瞳を覆っていた濁った光がフッと晴れ、焦点が元に戻るのを田村は確認した。


(よし。強い外部刺激を与えて、彼らの過呼吸状態をリセットできたな。あとは、この有り余るエネルギーを安全な方向へ誘導してやるだけだ)


 田村はマイクを握り直し、ニヤリと笑った。


「彼女たちのパフォーマンスが最高なのは分かる! だが、怪我人が出たらライブはそこで中止だ! お前らの熱意は、そんな暴走で伝えるもんじゃないだろう!」

「あ、アンタは……昼間にチラシをくれた……」


 最前列のサラリーマンが我に返ったように呟く。


「応援したいなら、横隔膜を使え! 腹から声を出して、リズムに乗れ! 酸素を脳に回すんだ! 行くぞ、俺に続け!」


 田村は、空いている右腕を高く突き上げ、ダンストラックの重低音に合わせて力強く振り下ろした。


「オイ! オイ! オイ! オイ!」


 田村の腹から出るコールは、軍隊の教練のように正確で、圧倒的な熱量を持っていた。

 一瞬の静寂の後、最前列のオタクが我に返ったようにペンライトを振り上げ、「オイ! オイ!」と声を張り上げた。それに釣られるように、サラリーマンたちも、後方にいたヤンキーたちも、見よう見まねで拳を突き上げ、田村のリズムに合わせて叫び始めた。


「オイ! オイ! オイ! オイ!」


 50人の野太い声が、完全に一つのうねりとなった。

 先ほどまでの、ステージに這い寄るような気味の悪い狂気は完全に消え去り、そこにあるのは、純粋で熱狂的な「アイドルへの応援」だけだった。観客たちは腹から声を出すことで呼吸を整え、酸欠状態から完全に脱却したのだ。


「……タムラ……っ!」


 ステージの中央で硬直していたタマモが、ハッとして田村を見た。

 田村は無言で親指を立て、「あとは任せた」とばかりに舞台袖へと下がっていく。


 観客たちの統制された、しかし爆発的な熱量を持つコール&レスポンスを全身に浴びた瞬間。

 タマモの瞳に、再び強い光が宿った。彼女の背後に揺れていた静電気のような影は、いまや後光のように神々しく輝いているように見える。

 和田のダンスのキレが増し、森田のステップが床を大きく揺らし、サラの流し目が観客の歓声をさらに一段階引き上げる。


 田村の機転によって「酸欠の暴走」から「統制された推し活」へと変換されたエネルギーは、地下ライブハウスのボルテージを最高潮へと押し上げた。

 かくして、神無月の初ライブは、アンコールの鳴り止まない大成功を収めたのであった。


 ライブ終了から2時間後。

 高天原プロダクションの事務所に戻ってきたメンバーたちは、文字通り全員がソファや絨毯の上にへたり込んでいた。


「はぁっ、はぁっ……! 疲れた、もう一歩も動けないわ……」


 タマモがソファに沈み込む。


「腹減った……死ぬ……」


 森田が床で大の字になっている。


「……出し切った。もう無理……」


 和田はジャージのまま丸まり、サラは荒い息を吐きながらも、どこかスッキリとした表情で天井を見つめていた。


 だが、初日のレッスン後のような異常な静電気も、部屋を凍らせる冷気も、重苦しい低気圧も、今の彼女たちからは全く発生していなかった。


(よし。彼女たちのライブ中の異常な興奮とストレスは、観客とのコール&レスポンスによって完全に発散されたようだな。事務所の空調も正常に動いているし、心地よい疲労感だけが残っている)


 田村は、彼女たちのスッキリとした表情を「良い汗をかいた後の爽快感」として受け止め、満足げに頷いた。


「ノリくん、最高のライブだったわね! あの客席のグルーヴ、凄まじかったわ!」


 特別顧問の宮崎真琴が、上機嫌で給湯室から顔を出した。


「ええ。ですが、彼女たちは限界のようです。真琴さん、少し待っていてください。今夜は初ライブの大成功を祝して、俺の『本気』を出しますから」


 田村はそう宣言すると、ワイシャツの袖をまくり上げ、給湯室の簡易キッチンへと向かった。

 今日のライブで、彼女たちは尋常ではないカロリーを消費している。失われたエネルギーを最速で、かつ最高に美味しく補給するためのメニューは、既に田村の頭の中で完成していた。


 冷蔵庫から取り出したのは、牛肩ロースの塊肉。あらかじめ粗めのミンチにしておいた、牛肉100%の特製パティだ。田村はそれに素早く塩胡椒を振り、熱した鉄板の上に叩きつけるように乗せた。


 ジュワァァァァァッ!!


 肉が焼ける暴力的な音が響き、濃厚な牛脂の香りが事務所中に充満する。


「なっ……! 何この匂い! まさか……!」


 床に転がっていた森田が、ゾンビのように跳ね起きた。


 田村の調理は、プロ顔負けの手際だった。

 パティの表面に強烈な焼き色をつけ、肉汁を中に閉じ込める。その横で、薄切りにした玉ねぎを飴色になるまでじっくりと炒め、バルサミコ酢で甘みと酸味を引き出していく。

 さらに、半分にカットした特注のブリオッシュバンズの断面にたっぷりとバターを塗り、鉄板の空いたスペースでカリッと香ばしく焼き上げる。


「よし、仕上げだ」


 焼き上がったパティの上に、分厚いレッドチェダーチーズを2枚乗せ、少量の水を差してフタをする。数秒後、フタを開けると、熱と蒸気でトロトロに溶け崩れた黄金色のチーズが、肉の表面を完全にコーティングしていた。


 田村は、焼き上がったバンズの底に特製のオーロラソースを塗り、シャキシャキのレタス、分厚くスライスしたトマトを重ねる。その上に、チーズが絡みついた暴力的な熱量のパティをドンッと乗せ、最後に飴色玉ねぎをたっぷりトッピングして、上部のバンズで挟み込んだ。


「完成だ。特製・田村風クラシック・ダブルチーズバーガー」


 一人一つずつ、巨大なハンバーガーが皿に乗せられてテーブルに運ばれる。

 さらに田村は、もう一つの「秘密兵器」を用意していた。


「それから、ペアリングのドリンクだ」


 田村がグラスに注いだのは、鮮やかな薄緑色をした液体だった。氷がカランと涼しげな音を立てる。

 沖縄産のシークヮーサーの100%原液を、強炭酸水で割り、ほんの少しの蜂蜜で甘みを整えた特製ジュースだ。


「さあ、冷めないうちに食ってくれ」


 田村の合図とともに、四人のアイドルと真琴は、ハンバーガーを両手で鷲掴みにし、大きく口を開けてかぶりついた。


「んんんっ……!!」


 タマモが目を見開く。

 カリッと焼かれた甘いブリオッシュバンズを噛み切った瞬間、粗挽きの牛肉100%パティから、滝のような肉汁が溢れ出した。濃厚なチェダーチーズの塩気と、飴色玉ねぎの深いコク、そして特製ソースの酸味が、口の中で完璧なオーケストラを奏でている。

 ファストフードとは次元が違う、まさに「肉料理」としての圧倒的な完成度だった。


「ウメェ!! なんだこれ、肉の旨味がガツンと脳天を殴ってくるぜ!!」


 森田は顔を肉汁だらけにしながら、野生動物のような勢いでハンバーガーを貪り食っている。


「……おいしい。お肉、すっごくジューシー……」


 和田も小さな口を限界まで開けて、無心でかぶりついていた。


「そして、このジュース……!」


 真琴が、シークヮーサージュースをゴクリと飲んで感嘆の声を上げた。


「これ、シークヮーサーね! 濃厚なハンバーガーの脂を、強炭酸とシークヮーサーの鮮烈な酸味がスパッと切ってくれて、口の中が信じられないくらいサッパリするわ! まるで無限にハンバーガーが食べられそうな、悪魔のペアリングね!」


「その通りです」


 田村はコーヒーを啜りながら、得意げに頷いた。


「シークヮーサーには、レモンの数倍のクエン酸が含まれています。疲労回復とエネルギー変換を助けるには、強烈な肉のタンパク質と、このクエン酸の組み合わせが最強なんですよ。ライブで消耗した体に染み渡るはずだ」


「はぁん……っ、マネージャー君のご飯と気遣い、本当に最高……。私、もうマネージャー君なしじゃ生きられないわ……」


 サラが熱っぽい吐息を漏らしながら、うっとりとした表情で田村を見つめている。

 彼女の背後に何か怪しげなオーラが蠢きかけたが、田村が「ほら、口の横にソースがついてるぞ」と紙ナプキンを差し出すと、サラはボフッと顔を真っ赤にしておとなしくなった。


 部屋の隅に置かれたダンボール箱の中では、子犬のダイズが、肉の焼ける匂いにピクッと鼻を動かしながらも、安心しきった様子でスヤスヤと眠り続けている。


(集客ノルマは達成。メンバーの体調管理も完璧。これなら、港区が更地になるような違約金やペナルティも回避できそうだな)


 霊感ゼロで物理防御力最強のマネージャーと、彼の手料理に完全に胃袋を掌握された問題児アイドルたち。

 大波乱の初ライブを無事に乗り越え、『神無月』の物語は、ここから本格的なプロデュースの軌道へと乗っていくのだった。

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