旅立ちと邂逅
「こんなもんかな」
「こんなもんだ」
育ての親が遺した魔女の家には大した財産があるわけでもなく、生ものも皆無だ。
簡単な旅支度と、小さな玄関扉の戸締まりをするだけして、さて、とベルは山を下りた。
片手には元魔王の杖が携えられている。
「おや、ベルちゃんじゃないの。そんな恰好でどこか行くのかい?」
開口一番鋭いのは、ふもとの村の雑貨屋のおかみさんである。
「はい。ちょっと遠出して、見聞、を広めたくて」
まさか喋る杖に脅されているとは言えず、当たり障りのない返事をすると、おばさんは感心したように何度もうなずいた。
「そうだね、そうだ、それがいいよ。あんたみたいな若い女の子が、ずっと山にいるのもいいけどね、やっぱりちょっとは世の中を見て回らなくちゃ」
「はい。それで……、もしどこかから便りがあったら、しばらく留守にしていると伝えてほしくて」
ベルに連絡をしてくる知り合いはいないが、ばあちゃんは顔が広かったらしく、たまに旧知の誰とかが依頼や手紙を寄越すのだ。
住所がわかる相手には葬儀の連絡をしたが、そうではない相手も多く、今でも五月雨式に訪問客が訪れたり便りが届いたりすることがある。
「わかった、手紙が来たらうちで預かっておこうね」
「よろしくお願いします」
おばさんは「昼に食べるんだよ」とサンドイッチを渡してくれた。「一人旅なんだから、よくよく気をつけてね」とも念を押される。
「いい人だよなあ」
しばらく歩いて、雑貨屋が見えなくなったあたりでぼそっと杖がつぶやく。
ベルも同意した。
「うん、そうだね」
──で、どこを目指すかである。
「とりあえず、村から出たらどっちに行けばいいのかな?」
「そうだな。ばあさんの机から地図を持ってきただろ? 広げてみい」
なるほど、地図とはこういう時に使うのか。
「右下の、アナナスと書いてある場所がこの村だ。一番近い街はバノック、この地図の上が北だから、西北西に向かえばよい。とりあえずそこを目指すか、手頃なレストランの一つや二つあるだろ」
「れすとらん?」
「そこからか……」
杖はこころなしかしょんぼりした。
「ええと。一番近い街までは、歩いて一日って聞いたことあるけど」
記憶を掘り起こすと気を取り直した杖が教えてくれる。
「そうだな。今は昼前だから、気持ち急いで歩けば夕方、閉門の頃には着けるだろ」
「閉門? 門が閉まるの?」
「うむ。このあたりはだいぶ平和だが、獣や魔物がおらんでもないからな」
「なるほど」
そうと決まれば、急いだほうがよさそうだ。
ベルは村を出て、土の道を西に向かって歩き始めた。
途中で何度か休憩を取り、太陽がてっぺんにあるときにはサンドイッチをありがたくいただいた。
久々の味の違う食べ物に、杖は大喜びである。幸先がいい。
空がだんだんオレンジに染まってきた頃、遠目に建造物が見えた。
「あれが街?」
「おそらく。街をぐるりと囲んでおる城壁だろうな。地図にあったが、もう少しこの道を進めば大きな街道とぶつかるはずだ」
「ふうん?」
「わしらと同じような、旅人にも会うかもしれんな。行商人だの冒険者だの」
「あ、山に来てた人たち」
ベルの住んでいた山は自然の恵み豊かで、採集や狩猟を生業にしている村人の他、たまに冒険者が依頼をこなしに訪れることもあった。
「街って、あの人たちのギルドがあるんだよね?」
「そうそう。……そうか、冒険者ギルドに加入する、というのもいいかもしれんな」
「っていうと」
「確か、簡単な身分証明や収入基盤になるはずだぞ。基本的には戦闘能力があれば加入できるはずだ。依頼とやらをこなす必要があるかもしれんが……」
「戦闘能力? あるかなあ」
杖は呆れた声を出した。
「何言っとんだ。魔女だろ、おぬし」
そういうものなのか?
などと言っていたが、腕を試す機会は早々に訪れた。
ちょうど道が合流する、といったところで、ベルが来たのとは別の道から走ってくる人々に遭遇したのだ。
「どうしたんだろ」
戸惑っていると、大きな荷物を背負った行商人のような人に声を投げられた。
「あんたも、早く逃げろ!」
「何があったんですか!?」
とりあえず並走しながら聞き返す。
「魔物が出たんだ!」
「魔物!?」
「ああ、俺らを逃がしてくれた冒険者が一人で食い止めてるが、ありゃいつまでもつかわからない……おいっ!?」
ベルはくるりと踵を返して、彼らが走ってきた方に向かう。
「急いだほうがよかろう」
「そうだね。……飛翔!」
杖にまたがり、宙を駆ける。
しばらくすると、金属音が響いてきて現場がわかった。
街道のすぐ横、片足をついた男が盾を掲げて、飛行型の魔物からの攻撃を防いでいる。
魔物のコウモリのような翼も片方は切り裂かれていた。
「双方手負いか。あれは大兎蝙だな」
「倒したことある!」
よかった。
ベルは空中で右手を振りかぶる。
「氷投槍!」
呪文とともに腕を残された翼に向けて振り抜いた。
「ギャアア!」
氷の魔法に翼を撃ち抜かれ、魔物は絶叫して墜落する。
「!!」
地面に激突する寸前、男が剣を一閃させた。
魔物の首が宙を舞う。
「わ、お見事」
地面に降り立ち、ひとまず男に声をかけてみる。
「怪我、大丈夫?」
「加勢、助かった。大丈夫……と言いたいところだが、悪い。脚に食らっちまってな」
どうも立ち上がれないようである。
「そのへんに荷物が落ちてるはずだから、ポーションを探してくれないか?」
「それなら……治癒」
「うわ」
男は即座に立ち上がって、全身を確認している。
「……驚いた。あんた、攻撃だけじゃなくて治癒もいけるのか」
感心されて満更でもないベルである。
「それほどでも。……魔物は、一匹だけ?」
「たぶんな。こいつだけいきなり現れた。とっさに注意をひきつけて、護衛してた行商人やら一緒に歩いていた他の人らを逃がしたんだが……」
「それなら三叉路ですれ違った。無事だよ」
「よかった。……そこまで行けてれば、街にも入れるだろうしな。ま、俺達は野営になりそうだが」
あたりは既に、とっぷりと暮れている。
「野営?」
「野宿のことだ」
そこまで黙っていた杖が、突然口を挟んだ。
「わっ」
「……その杖、喋るのか」
男は目を丸くしている。
「あ……ええと、うん」
喋る杖のことは秘密じゃなかったのだろうか?
「わしはこの娘の保護者だ。おぬし、不埒な真似は許さんぞ」
「不埒、って」
妙に厳しい態度をとる杖にベルは困惑する。だが、男は神妙に頷いた。
「わかった。もとより、命の恩人だ。失礼を働けるわけがない」
「誓えるか?」
何にだ、とベルは思ったが、あっさりと頷く男に拍子抜けする。
「もちろん」




