心の傷の痛み
「星が見たい!」
そう言って、華子は御玉と別行動で帰ることになった。
街の気に疲れた御玉は靖親が連れ帰り、華子は星を見てから孝明が和泉沢家に送って行くことになった。
「華子、酒に酔っているな。」
そんなに飲んでいないだろうが、18歳で猫になったので酒を飲む機会などなかった華子だ。
孝明が華子の歩みを手助けする。
「ふふん、ちょっとねー。」
ご機嫌に華子が孝明に答える。
孝明は車を待たせて、店から華子を散歩に連れ出した。
街の明かりでも夜空にはいくつか星が見える。
孝明にもたれて歩きながら華子が星を指差した。
「あれが、ひかるかな?」
孝明は頷いて、そうだよ、と答えた。
「孝明。」
「どうした?」
「怖かったの。」
そう言いながら華子が孝明に顔を向ける。
「まだ18なのに、とか。
結婚もしてないのに、とか。
孝明はアメリカなのに、とか。」
8年前のことを言っているのだな、と孝明も察する。
「孝明の赤ちゃん嬉しかった。
でも不安がいっぱいで、結婚してないのに赤ちゃんが出来てどうしよう、って。
もし、孝明がそんな事しらないって言ったら、一人で産めるかなって。」
華子の唇は震えている。
「生理が遅れているだけならいいな、って。
大学入ったばかりで辞めたくないって、思う気持ちもあった。」
華子の心の奥底に隠した気持ちなんだろう、酒のせいで出て来たのだ。
孝明は華子と早く結婚したかった。
両家からは大学を出て収入を得るようになるまで結婚出来ないと言われていた。
子供が出来れば結婚を早められるとさえ思ったのだ。
だから避妊しなかった。
孝明の身勝手が、華子を苦しめていた。
「だから病院に行くのが遅くなったの。
病院に行って、妊娠しているって確定されるのが怖かった。
もしキチンと妊娠と向き合っていたなら、ひかるを助けられたかもしれない。」
男は子供が出来ても何も変えずにいれるが、女は違う、身体が変わっていくのだ。
子供ができたかもしれない、という不安を18の華子はかかえていたのだ。
アメリカにいた自分はそれに気づくことは出来なかった。
毎日メールや電話をしてもわからなかった。
自分の考えの甘さを今さら思い知る。
「華子、ごめん。
僕が不甲斐ないばかりに、苦しめた。」
孝明が華子を抱きしめる。
「違う、私が守ってあげれなかったの。」
亡くした子を思う母だ。
「不安になるのは普通のことだ。
まだ18だったんだから。
華子は何も悪くない、間違ってない。」
あの頃も今も同じ気持ちで華子が好きだ。
あの頃、守れなかった華子を、今度は守りたい。
幸子が手をくだしたが、孝明の安易な思いが華子を苦しめた。
子供を授かった時に結婚していない華子にどれ程の葛藤があったのだろう。
それは、子供が流れた事で罪悪感となり、華子を傷つけ苦しめている。
華子は8年の間、苦しんできたのだ。
18歳の未婚の華子にとって、子供が出来る事は、嬉しいだけでないのは当たり前のことなのだ。
「ごめん、ごめん、華。」
その当たり前に気がつかず、華子を苦しめたと孝明は思う。
でも産みたかった、と呟く華子。
孝明の腕の中で泣く華子を通りすがりの人が、振り返っていく。
心配しているのか、面白がっているのかわからない。
車に戻ろう、と華子の手を取り、孝明は思う。
周りの人々が華子を心配していると願いたい、華子が奇異の目で見られることがないように。そして、自分は他人のどんな目からも華子を守りたい。
車に戻ると酒の酔いと暖房と走行の振動で華子はすぐに寝息をたて始めた。
華子が愛しい、1000年以上生きている先祖がいようが、猫になろうが気持ちは変わらない。
どうして好きになったとか、いつから好きかなどわからない。
華子がいい、ただそれだけだ。
この幸せを守るためには、幸子はじゃまな存在であり、取り除かねばならない危険人物なのだ。
孝明が御玉より、もっと深く暗い笑みを浮かべている事に気付く人間はここにはいない。
孝明と華子を乗せた車は夜の街を和泉沢家に向かう。
この街のどこかに幸子がいるかもしれない、どこかに逃げおせたとしても許しはしない。
出来る事なら、警察よりも先に幸子を見つけたい。
2年前から幸子の父親は探偵が調査を続けている、警察とは違った観点でみているだろう。
明日は2年間の資料を持って来させよう。
車窓を見ると、あの雨の日に華子を見つけた場所を走っていた。
孝明は横で眠る華子を見る、静かな寝息が聞こえて安心する。
ここから8年間止まっていた時が動き出したのだ。
孝明と華子を乗せた車は信号に止まる事もなく、車窓はもう違う場所を映している。




