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「……くっそ、何やってんだ俺は」

 というより何もしていなかった。時間ばかりが無為に過ぎていく中、陽虎は苛々と部屋の一隅を睨みつけた。

 露出の多い黒革の上下を纏った黒褐色の肌の女がごろりと横になっている。櫻子の家から戻って以来、ずっとこの調子だった。動物園のアライグマだってきっともっと野性味を残しているはずだ。


「おい、シャルロッテ」

 じっとしていることに耐えきれず、陽虎はまるで喧嘩を売るような調子で名を呼んだ。だが何の反応も返ってこない。まるっきり活動意欲が失せている風情だ。


 陽虎の魂の核は、シャルロッテの剣の中に封じられている。いわば鎖に繋がれているようなもので、どれだけ櫻子を助けたいと焦っても、自分一人好き勝手には動けない。

 ひどい話だ。当り前だった陽虎の日常は、砂の城さながらに崩れてしまった。それもこれも全部。


「あんたのせいだ。あんたさえいなければ、俺も櫻子も平穏無事にいられたんだ。いい加減うんざりなんだよ。早くどうにかしろよ」

 降り積もった恨みをぶつける。シャルロッテは薄目を開けて陽虎を見た。だが短く鼻を鳴らしただけで、すぐに寝る体勢に戻る。陽虎は拳で床を叩いた。


「聞いてんのかよ」

「つまんねえけどな」

「ふざけんな! 居眠りしてる暇があったら、さっさと櫻子を助けに行けよ、この役立たず! 戦いの前に霊気を溜めるなんて嘘なんだろ? ほんとはびびってるだけだよな。俺と櫻子に偵察させたのだって、自分で行くのが怖いから身代わりにしたんだ。見損なったよ。あんたは口ばっかの卑怯者だ」


 シャルロッテを本気で怒らせれば、陽虎は今度こそ完全に殺されるかもしれない。だけど感情を抑えられない。

「なんで俺のとこなんかに来たんだよ……俺、あんたに何も悪いことしてないだろ? 殺される理由なんか一個もないよな。悪いのは全部あんたなのに……」


「そうだな」

 冷えた水のような声音だった。

「で、どうする。何もかも全部あたしが悪い。お前はそう思ってる。それで? お前はどうするつもりだ。文句を言ってすっきりしておしまいか? だったらもう満足しただろ。よかったな」

 いきなり平手打ちを喰らわされたみたいに、陽虎はびくりと震えた。


「あたしは違う」

 シャルロッテはおもむろに身を起こした。

「お前の言う通り、悪いのはあたしだ。認めるさ。だって弱かったんだからな。弱いからシュシュの罠に嵌まった。弱いから力を蓄えてからでなきゃ戦えない。全部あたしが弱いのが悪い」

 あぐらをかき、背中を丸めた怠そうな格好だ。なのに陽虎は餓えた獣を前にしているような緊張を覚えた。


「けどな、陽虎、それはお前も同じだぜ。弱いからあたしに首を獲られた。弱いから櫻子を守れなかった。弱いから吠えるばかりで何もできない。あたしが弱いのが悪いなら、あたしより弱い陽虎はあたしよりもっと悪い」

「そんな勝手な理屈……」

「あたしは最強でなきゃいけない」

 黒い瞳が炯々と光を放つ。


「誰もあたしを舐めたままになんかさせない。必ず借りは返す。まずは陽虎の首から下と、櫻子の魂を攫った奴をぶちのめしてやる。あたしもちょっかい出されてるしな」

 襲ってきた霊鬼を操っていた術士は間違いなく矢部の邸にいる。微かながらも同じ「匂い」がするのを陽虎は感じ取っていた。

 それから、とシャルロッテは拳を掌に打ちつけた。


「あたしはあたしの世界に還ってシュシュ・クライシュをぶっ潰す。どうせなら逆にあいつをこっちに叩き落としてやるのもいいな。きっとめっちゃ笑えるぜ」

「絶対やめろ」

 陽虎は反射的に突っ込んだ。大迷惑にも程がある。


「だいたい、そうやってなんでも思う通りにいくか」

「いくさ」

 黒褐色の頬にシャルロッテは猛々しい笑みを刻んだ。

「全部あたしの思う通りにいく。あたしはこれまでそうやってきたし、これからもそうしていく。だから陽虎」

「なんだよ」

「あたしは寝るぜ。約束の時間になったら起こしな」

「知るか」

 陽虎は即行拒否したが、シャルロッテは軽く聞き流すと、手を枕にして横になった。次の瞬間にはもう寝息を立て始める。魔法じみた早さだった。


「……本当にやる気あるのかよ。やっぱり口だけなんじゃないか?」

 毒づくが、シャルロッテは目を覚まさない。十二歳というのは信じがたいにしても、眠り顔はそれなりにあどけなく少女っぽくて、大剣を振るって自分の首を斬り飛ばした相手というのが突飛な冗談に思えてくる。

 だが奇妙な縁も今夜までだ。陽虎はあるべき未来を心に描いた。俺は自分の体と櫻子の魂を取り戻す。それでシャルロッテともさよならだ。

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