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第一章 三ツ星副料理長、赤ちゃん転生する

過労死シェフとコタツ部屋の芋ジャージ女神~健康サンダルによる顔面キックは異世界への片道切符~

俺、青田優也あおたゆうや、25歳。

商業系高校を卒業して簿記1級の資格まで取ったというのに、何血迷ったか「手に職をつけて自分の店を持つ」と意気込んで料理学校へ進み、そのまま気合いと根性で洋食系三ツ星レストランの厨房に飛び込んだ。

寝る間を惜しんで包丁を握り、フライパンを振り続け、先輩からの理不尽なシゴキにも耐え抜いた結果、25歳という異例の若さで副料理長の座を勝ち取った。俺の作る『仔牛のロティ~濃厚デミグラスソース~』は、鬼のように厳しいシェフですら舌を巻く仕上がりだったと自負している。

幼少期から歴史マニアの祖父に『天極流』という、剣、槍、弓、組手を合わせた将軍家さながらのハイブリッド古武術を叩き込まれていたおかげで、体力と精神力だけは人一倍あったのだ。

だが、光があれば深い影がある。

三ツ星という輝かしい称号の裏側は、徹頭徹尾、純度100%のブラック労働だった。

朝5時の仕込みから始まり、夜中の3時まで明日の仕込みと後片付け。休日は名ばかりで、新作メニューの開発や食材探しのパシリに消える。睡眠時間は平均2時間。労働基準法などという言葉は、あの厨房では都市伝説以下の扱いだった。

「おい青田! このソース、香りが飛んでるぞ! 気合いが足りないんじゃないのか! 作り直せ!」

「はい! 申し訳ありませんシェフ!」

そんな日々を5年間続けたある日のこと。

俺は、何百時間煮込んだか分からない渾身のフォン・ド・ヴォーを裏ごししている最中、ふっと意識が遠のいた。

(あ、ヤバい。これ、原価率どころか俺の生命線ライフラインが完全に赤字だわ……)

ガシャーン! というボウルが床に落ちて弾ける音と、「青田!?」というシェフの焦った叫び声を最後に、俺の記憶はぷつりと途切れている。

――要するに、過労死である。

ふと、意識が浮上した。

「……ん? なんだこれ、あったけぇ……」

目を開けると、俺はなぜか**【コタツ】**に入っていた。

厨房の冷たいステンレス製の床でも、病院の消毒液の匂いがする白いベッドでもない。昭和の香りが色濃く漂う、四角い木製のコタツである。

鼻を突くのは、赤ワインを煮詰めた高貴な香りではなく、ツンとするメンソールタバコの匂い。

「あ、お目覚め? 奇遇だね、私も今起きたところ」

声のする方を見上げると、コタツの対面で、一人の女があぐらをかいて座っていた。

……いや、顔だけ見れば、息を呑むほどの超絶美少女だ。長く美しい銀色の髪、透き通るような白い肌、どこか神秘的で深い黄金の瞳。間違いなく、人間離れした美しさを持っている。

だが、その出で立ちと空間が、全ての神秘性を台無しにしていた。

彼女が着ているのは、上下ともにどこかの学校の指定ジャージかと言いたくなるような絶妙にダサい『えんじ色の芋ジャージ』。足元には、健康促進のためのイボイボがびっしりついた『健康サンダル』が突っ掛けられている。

片手には『ピアニッシモ・メンソール』が挟まれ、もう片方の手にはエンジェルすまーとふぉん(通称スマホ)が握られている。

さらに周囲を見渡せば、空き缶とポテトチップスの袋が散乱し、壁には『朝倉月人(20)』とデカデカと書かれた謎のイケメンアイドルのポスターやらうちわやらが所狭しと飾られていた。

なんだこの、実家暮らしの限界オタク女子大生みたいな空間は。

「えっと……ここは? あなたは?」

俺が恐る恐る尋ねると、女はタバコの煙をふぅーっと吐き出しながら、面倒くさそうに頭を掻いた。

「ん? ああ、ここは天界の待合室的な場所。私はルチアナ。アナスタシアっていう世界を管理してる世界神。あ、ちなみに『永遠の17歳』だから。そこんとこヨロシク」

「……17歳? ピアニッシモ吸いながらストロング系の缶チューハイ飲んでるのに?」

俺が冷静なツッコミを入れると、ルチアナはチッと盛大に舌打ちをした。

「うるさいなー。神界のコンプラは人間界とは違うの! いいから話を進めるよ。君、過労死したでしょ? 青田優也くん、25歳。三ツ星レストランの副料理長。いやー、働きすぎは良くないよホント。私なんて定時帰り命だもん」

「あ……やっぱり、俺、死んだんですね」

「そ。で、君の魂はちょっと特殊な縁があって、私が管理する『アナスタシア世界』ってところに転生することになったわけ。剣と魔法と闘気とモンスターがウロウロしてる、コテコテのファンタジー世界ね。人間と獣人と魔族が覇権争いしててさー、色々面倒くさいのよ」

ルチアナはスマホをポチポチとタップしながら、生返事で言葉を続ける。

「そうそう。でね、異世界に行くんだから、なんか適当に『ユニークスキル』ってやつをあげないとダメなのよ。規定で決まっててさー」

「適当って……もっと真面目に選んでくれませんか? こっちの第二の人生、ひいては命がかかってるんですけど。簿記1級の観点から言わせてもらえば、初期投資とリスクのリターンが全く合ってない……」

「うるさいなぁ。私、今忙しいの! ゴッドチューブのPV率チェックしなきゃいけないし、魔王のラスティアと一緒に月人君のライブツアーのチケット争奪戦に参加しなきゃいけないの!」

「職務怠慢の極みじゃないですか! ていうかゴッドチューブって何!? 月人って誰!?」

「あーもう、ごちゃごちゃ煩い男だね! 君、現代人だし、商業高校卒で料理もできるんでしょ? じゃあ、『ネット通販』にしとくわ! ポチッとな!」

ルチアナがスマホの画面を乱暴にタップした瞬間、俺の身体が淡い光に包まれ始めた。

「えっ!? ちょっと待って、今何を付与したんですか!? 契約書の内容も確認せずにサインするようなマネは……」

「うるさーい! 早く行って! そろそろ月人君の生配信が始まっちゃうから!」

ルチアナはコタツからガバッと立ち上がると、そのまま俺の顔面に向かって足を大きく振り上げた。

「ちょっ、おま――」

「いってらっしゃーい!!」

バゴォォォンッ!!

俺の顔面に、ルチアナの履いていた健康サンダルがクリティカルヒットした。

イボイボの強烈な感触と、ありえないほどの衝撃。

神の筋力(?)で放たれた顔面キックにより、俺の意識は一瞬にしてブラックアウトした。

「理不尽すぎるだろおおおおぉぉぉぉぉ……っ!!」

薄れゆく意識の中で、俺は確かに聞いた。

「あ、やっば。ネット通販スキル、そのまま渡したら宗教的に問題になりそうじゃん……。ま、いっか! 適当に『召喚スキル』ってことに偽装しとこ! てへっ☆」

という、芋ジャージ女神の絶望的にふざけた後乗せのやらかし発言を。

「オギャアアアアア!! オギャアアアアアア!!」

次に意識が覚醒した時、俺は天を仰いで号泣していた。

いや、泣きたくて泣いているのではない。声帯が勝手に震え、涙がとめどなく溢れてくるのだ。視界がぼやけて、うまく焦点が合わない。手足を動かそうとしても、プルプルと震えるだけで、まるでマシュマロのように力が入らない。

「あらあら、元気な泣き声ね。よしよし、リアン。お腹が空いたのかな?」

ふわりと、優しい花の香りがした。

見上げると、俺を抱きかかえているのは、信じられないほど美しい顔立ちをした女性だった。亜麻色の髪に、優しげな翡翠色の瞳。深い知性と、どこか底知れぬ魔力を感じさせる。

「あなた、見て。リアンが目を開けたわ」

「おお! 俺の息子! 天才剣士になる俺とマリアの最高傑作!! ぶわっはっはっは!!」

横から、筋骨隆々でいかにも歴戦の猛者といった大男が覗き込んできた。

マリアと呼ばれた女性と、この暑苦しい大男。

彼らが喋っている言葉は日本語ではないはずなのに、転生の恩恵か、なぜか脳内で自動翻訳されてスッと理解できた。

(……マジか。俺、本当に赤ん坊に転生したのか)

どうやら、ここはアナスタシア世界の田舎街『ルナハン』。

そして俺の新しい名前は『リアン・クライン』というらしい。

父アークスはルナハン騎士団の騎士団長であり元A級冒険者、母マリアは元A級冒険者の賢者だということが、彼らの親バカな会話から察せられた。

過労死の果てに、芋ジャージ女神の健康サンダルで顔面を蹴り飛ばされ、赤ん坊からやり直し。

「……あー、あー」

俺は抗議の声を上げようとしたが、口から出るのは間抜けな喃語だけだった。

(まあいい。ブラックな厨房からは解放されたんだ。これからは前世の知識を活かして、ホワイトでスローライフな第二の人生を……)

そう安堵しかけた矢先、下半身に強烈な違和感が走った。

じわぁ、と広がる生温かい感覚。脳の指令を完全に無視して放たれた、生理現象の暴走。

(なっ……!?)

「あらら、おしっこしちゃったのね。気持ち悪かったわねー、今すぐ替えてあげるからねー」

美しい母マリアが、手際よく布のおむつを解いていく。

(やめろおおおお!! 待ってくれ! 俺の中身は25歳の立派な成人男性だぞ!! 下半身を、下半身を見ないでくれえええ!!)

「オギャアアアアアアアアッ!!(俺の尊厳がああああああっ!!)」

俺の悲痛な叫びは、元気な赤ん坊の泣き声としてルナハンの街の青空に吸い込まれていった。

かくして、三ツ星レストランの副料理長・青田優也改め、リアン・クラインの、波乱と屈辱に満ちた異世界ライフが幕を開けたのである。

読んでいただきありがとうございます。

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