第一章 三ツ星副料理長、赤ちゃん転生する
過労死シェフと、コタツ部屋の芋ジャージ女神
「青田ぁ! 3番テーブルのメイン、まだ上がんねぇのか!!」
「申し訳ありません! 今すぐ!」
怒号が飛び交う厨房。
焦げたバターとニンニクの香り、そして胃が焼け付くようなプレッシャー。
フランスで修行を積み、弱冠25歳で都内の三ツ星フレンチレストランの副料理長に抜擢された俺、青田優也の毎日は、控えめに言って地獄だった。
朝5時の仕込みから始まり、終電を逃して店に泊まり込むのは当たり前。
睡眠時間は平均3時間。
月間の休日はゼロ。
それでも「三ツ星の看板」と「料理への情熱」だけで、すり減る魂に無理やり蓋をしてフライパンを振り続けた。
だが、人間の身体というものは、気合だけではどうにもならない限界値が設定されているらしい。
その日。
俺は極限の疲労の中、仔牛の骨から出汁をとる『フォンドヴォー』の鍋をかき混ぜていた。
ふと、視界がぐにゃりと歪んだ。
全身からスッと力が抜け、手から木べらが滑り落ちる。
(あ、ヤバい……火、止めなきゃ……)
そんな料理人としての最後の責任感すら、急速にブラックアウトしていく意識には勝てなかった。
ドサッ、という鈍い音が自分の体から鳴ったのを最後に、俺の記憶は途切れた。
死因、過労死。
皮肉なことに、三ツ星の美食を作り続けた男の最後の晩餐は、2日前にコンビニで買ったパサパサのツナマヨおにぎりだった。
* * *
「……ん」
気がつくと、俺は暖かな温もりの中にいた。
いや、正確には**『下半身だけが異常に暖かい』**という、極めて局所的な温もりだ。
ゆっくりと重い瞼を開ける。
まず目に飛び込んできたのは、見慣れた厨房のステンレス天井ではなく、昭和の日本家屋によくある木目の天井だった。
そして、自分の下半身を覆う、ダサい花柄の布。
「……コタツ?」
間違いない。俺は今、見知らぬ和室でコタツに入っている。
フレンチの副料理長が、なぜ死の淵からコタツに直行しているのか。
混乱する俺の鼻腔を、ふわりと独特の匂いがくすぐった。
タバコの匂い。それも、メンソール系の甘ったるい香りだ。
「あー、やっと起きた。遅いよ君。こっちは順番待ちが詰まってんのよ」
不意に、コタツの対角線上から声が降ってきた。
顔を上げると、そこには一人の女性がいた。
透き通るような金糸の髪。
彫刻のように整った、息を呑むほどの美貌。
間違いなく、これまで見たどんな女優やモデルよりも美しい。
――ただし、その『首から下』から目を逸らせば、の話だが。
彼女は、絶世の美貌に全くそぐわない、毛玉だらけのエグいピンク色の『芋ジャージ』を着込んでいた。
足元には、おっさんが履くようなイボイボの『健康サンダル』。
右手には最新型のスマートフォン(ケースはキラキラのデコ仕様)。
左手には、火のついた『ピアニッシモ・メンソール』が挟まれている。
おまけに、タバコの灰は飲みかけの缶ビールの空き缶にトントンと落とされていた。
「……えっと、どちら様ですか?」
「ん? あぁ、名乗ってなかったっけ。私は女神ルチアナ。永遠の17歳よ。よろしくね、過労死くん」
「……」
女神。17歳。過労死。
情報量が多すぎて、俺の優秀な頭脳(簿記1級所持)でも処理が追いつかない。
というか、永遠の17歳を自称する女神が、なぜコタツでタバコを吹かしながら缶ビールを飲んでいるのか。威厳という概念はブラックホールにでも吸い込まれたのだろうか。
「えーっと、青田優也。25歳。職業、料理人。死因は過労死っと。うんうん、最近の日本人はホントよく働くわねぇ。私なんて毎日定時退社でこれ(スマホゲーム)やるのに忙しいってのに」
ルチアナと名乗る残念な女神は、空き缶にタバコを押し付けて火を消すと、面倒くさそうに頭を掻いた。
「ま、要するにアレよ。君は死んじゃったわけ。でもって、私の管轄してる『アナスタシア』って世界に転生させてあげる。ラッキーでしょ?」
「……転生」
その単語を聞いて、俺の中でようやく現状が腑に落ちた。
なるほど、流行りの異世界転生というやつか。
だが、そんなファンタジーな感動よりも、俺の胸に去来したのは、前世での血を吐くような激務の記憶だった。
(次は……絶対に、楽をしてやる……!)
料理は好きだった。だが、命を削ってまで働くのはもうご免だ。
次は絶対に、自分のために美味しいものを作って、ストレスフリーで、徹底的に怠惰に生きてやる!
「あの、女神様! 転生するのは分かりました。ですが、お願いがあります!」
「ん? なに?」
「俺は前世で働きすぎました! だから今世では、絶対に働きたくないんです! スローライフを送れるような、平和で、安全で、チートなスキルをください!」
俺の必死の懇願を聞いたルチアナは、スマホから目を離さずに「あーはいはい」と適当な相槌を打った。
「チートね。オッケーオッケー。じゃあ、君にはコレあげる」
ポン、と俺の頭の上に何かの光が落ちてきた。
脳内に直接、文字が浮かび上がる。
【ユニークスキル:善行型ネット通販】を獲得しました。
「……ネット通販? 善行型?」
「そ。良いこと(善行)をすればポイントが貯まって、地球のアイテムが買えるってスキル。便利でしょ? ま、表向きは『召喚スキル』ってことで偽装しとくから、適当に生きてちょーだい」
あまりにも適当すぎる。
地球のアイテムが買えるのは、元料理人としては塩や調味料を取り寄せられそうで悪くないが、俺が求めていたのはもっとこう、「不老不死」とか「無限の魔力」とか、働かなくても生きていける絶対的な力だ。
「ちょ、ちょっと待ってください! これじゃスローライフどころか、ポイント稼ぐために善行(労働)しなきゃいけないじゃないですか! 別のスキルに――」
「あー、うるさい。月人(推し)のライブ配信が始まるのよ。さっさと行きなさい」
「えっ?」
ルチアナが、コタツからニュッと脚を出した。
イボイボの健康サンダルを履いた足が、俺の顔面に向かって迫ってくる。
「いってらしゃーい」
「は? ちょ、まっ、ぶふぉっ!?」
バコンッ!!!
永遠の17歳(自称)が放った健康サンダルのフルスイングが、見事に俺の顔面にクリーンヒットした。
鼻柱がへし折れるような衝撃と共に、俺の体はコタツ部屋の床を突き抜け、真っ逆さまに暗闇へと落下していく。
「ふざけんなクソ女神ぃぃぃぃぃぃっ!!!」
俺の叫びは、虚空に溶けて消えていった。
だが、落下する意識の中で、俺は改めて固く、固く決意した。
神がどれほど適当でも関係ない。
今世こそは絶対に――徹底的にローコストで、マイペースな、自分だけのスローライフを満喫してやる!!
それが、波乱と規格外のツッコミに満ちた、俺の新しい人生の始まりだった。
読んでいただきありがとうございます。
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