第二十一話:星影への密談と、仕掛けられたコンクール
あの日、Kの秘密のスタジオで、月島暦という13歳の少女の、そして彼女が持つ魔法のような力の存在を知ってしまった東雲翔真。
その衝撃は、彼のプロデューサー人生において、間違いなく最大級のものだった。しかし、彼はその驚愕を瞬時に冷静な分析へと切り替え、そして、この規格外の才能をどう守り、どう輝かせるかという、壮大な「設計図」を描き始めていた。
まず東雲が向かったのは、社長である星影龍一郎の執務室だった。
「社長、少々お時間をいただけますでしょうか。例のK様の件で、極秘にご相談したい事項がございます」
東雲のただならぬ雰囲気に、星影も表情を引き締める。
密室で、東雲は星影に対し、Kの正体が非常に若い――まだ中学生である可能性が高いこと(具体的な年齢や「魔法」のことは伏せたが、尋常ではない才能と、極めてデリケートなプライバシー保護が必要であることを強調した)、そして、その才能を最大限に活かしつつ、彼女の未来を守るためには、会社として前例のないレベルでのサポート体制が必要であることを熱弁した。
特に、報酬の受け渡しや税務処理に関して、彼女の年齢と匿名性を考慮した、クリーンかつ安全なスキームの構築が急務であると訴えた。
「…つまり、Kは我々が想像していた以上に若く、そしてそれ故に、我々が負うべき責任も、計り知れないほど大きいということか」
星影は、腕を組み、静かに東雲の言葉に耳を傾けていた。
「はい。そして、その才能は、間違いなく世界を変える力を持っています。ですが、その力を正しく導き、守るためには、細心の注意と、そして大胆な発想が必要です」
東雲の瞳には、揺るぎない覚悟が宿っていた。
星影は、しばらく沈黙した後、重々しく頷いた。
「…分かった。東雲くん、君に委ねよう。ただし、条件は一つ。Kの未来を、最優先に考えることだ。もちろん会社の利益も重要だが、その後でいい。Kがうまくいけば、必然的に会社も上向くだろう」
それは、社長としての、そして一人の人間としての、東雲への信頼だった。
社長の承認を得た東雲の動きは、迅速かつ巧妙だった。
彼はまず、K(暦)が以前「イメージ資料」として見せてくれた、あの幻想的で美しい風景画――暦が無意識のうちに、元の世界の記憶の断片を描き留めていたもの――に目をつけた。
(この絵のクオリティは、明らかにプロレベルだ…いや、それ以上かもしれない。もし、これを「月島暦」の作品として公表できれば…)
東雲は、キララチューブが社会貢献活動の一環として、また未来のクリエイター発掘という名目で、不定期に開催している「キララ・アート&クリエイション・アワード」というコンクールに目をつけた。このアワードは、一般にはあまり知られていないが、業界内では若手の登竜門として、それなりに認知されているものだった。
彼は、法務部や経理部と連携し、K(暦)のプライバシーを完全に保護した上で、このコンクールの中学生以下アート部門に、あの風景画を「月島暦」の名前で、しかし連絡先は東雲が管理するダミーのものを使って、極秘裏に応募したのだ。もちろん、審査員には事前に根回しをするような野暮なことはしない。作品の力だけで勝負できるという確信があったからだ。
そして、数日後。
東雲の予想通り、いや予想以上に、その風景画は審査員たちから圧倒的な高評価を得て、見事「大賞」を受賞した。受賞者名は「月島暦」。年齢は非公開だが、中学生以下の部での受賞ということで、早熟の天才出現かと、一部の美術関係者の間で小さな話題となった。
東雲は、その結果を静かに受け止め、次の手を打つ。
彼は、その受賞者リストを、さりげなく、しかし確実に、関係各所――特に、教育関係や若手育成に関心のあるメディアや団体――に情報提供した。もちろん、月島暦個人の情報は伏せつつ、「キララチューブが才能ある若者を発掘・支援している」という企業イメージ向上にも繋がる形で行った。
そして、その情報が、巡り巡って暦の通う中学校の美術部顧問である田中先生の耳にも入るように、巧妙に仕向けたのだった。
全ては、月島暦という少女が、Kとは全く別のルートで、「美術の天才少女」として公的な評価を得るため。そして、それがKとしての活動で得られる報酬を、彼女に「美術奨学金」や「活動支援金」という形で、クリーンに還元するための、巧妙に仕組まれた布石だった。
キララチューブ社内では、「Kプロジェクト」は最重要極秘事項として扱われ、東雲を中心とした専門チームが、水面下で着々と準備を進めていた。Kの公式チャンネル開設、流出動画の完全削除と公式版の再編集、そして新曲の制作…。オフィスには、かつてないほどの熱気と緊張感が漂っていたが、誰もKの正体については知らされていなかった。ただ、「東雲部長が、とんでもない才能を見つけてきたらしい」「会社の未来がかかっているらしい」という噂だけが、囁かれる程度だった。
東雲自身は、K(暦)の秘密を守り抜くという重圧と、この壮大なプロジェクトを成功させなければならないという使命感で、心身ともに極限状態に近い日々を送っていた。しかし、彼の心の中には、不思議な高揚感があった。
(この少女となら、本当に世界を変えられるかもしれない…)
それは、プロデューサーとしての彼のキャリアの中で、最もエキサイティングで、そして最も危険な賭けだった。
そんな中、あの美術室での出来事が起こる。
暦が木炭デッサンで並外れた才能を見せ、田中先生が「キララチューブのコンクールで大賞を受賞した月島暦さん」として彼女を認識する。
東雲にとっては、まさに計画通りの、しかし直接手を下したわけではない、自然な形での「実績の露見」だった。これで、「月島暦」への公的な支援の道筋が、より自然な形で開かれた。
東雲は、その日のうちに暦へ例のメッセージを送る。
『K様、月島暦様としての「公的な実績作り」の第一歩、無事完了いたしました…』と。
その時までは、彼の計画は完璧に進んでいるはずだった。
そう、あの13歳の「尋問官」からの、鋭い呼び出しメールが届くまでは…。
『東雲さん。先ほどの件、確認いたしました。…つきましては、いくつか、お伺いしたいことがございます。明日の放課後、お時間いただけますでしょうか? 場所は、いつものスタジオの、あの「花瓶が割れた」控え室で結構です。もちろん「K」として、ではなく「月島暦」として、です。…まさか、お忘れではないですよね? 私が、まだ13歳の中学生で、あなたに色々と「説明責任」があるということを』
翌日の放課後。
東雲翔真は、約束の時間きっかりに、例のプライベートスタジオの控え室で待っていた。K――いや、月島暦からの呼び出し。一体どんな話になるのか、そして彼女はどんな姿で現れるのか。緊張と、ほんの少しの好奇心が入り混じる。
部屋には、東雲一人。彼が用意したミネラルウォーターのペットボトルが、テーブルの上に静かに置かれている。
チッ、チッ、チッ、チッ…壁の時計の秒針の音だけが、やけに大きく響く。
約束の時間を数分過ぎても、ドアが開く気配はない。
(まさか…来ないのか? いや、彼女に限ってそんなことは…)
東雲がわずかに眉を寄せた、その瞬間。
ふわり。
部屋の中央、何もない空間が、まるで水面が揺らぐように、ほんのわずかに歪んだ。
次の瞬間、そこには音もなく、一人の少女が立っていた。
制服姿の月島暦。しかし、その雰囲気は、いつものKとも、普通の女子中学生とも違う、どこか凛とした、そして挑戦的な空気を纏っている。彼女は、ゆっくりと東雲に向き直ると、静かに彼を見据えた。
「…お待たせいたしました、東雲さん」
その声は、年齢にそぐわないほど落ち着いており、有無を言わせぬ響きを持っていた。
東雲は、息を呑んだ。テレポート。Kの能力の一つであることは理解していたが、こうして目の前で、しかも予告なしに現れられると、やはり度肝を抜かれる。
「…いや、時間通りだ、暦さん」
なんとか平静を装って答える東雲。
暦は、そんな彼の様子を面白がるでもなく、ただ静かに見つめ返すと、おもむろに目を閉じた。
すると、彼女の体が淡い光の粒子に包まれ始めた。それは、まるで星屑が舞い降りてくるかのような、幻想的な光景だった。東雲は、その神々しいまでの変化を、ただ固唾を飲んで見守るしかない。
光が収まった時、そこにいたのは、もはや月島暦でも、いつものKでもなかった。
純白の、古代ギリシャの女神を思わせるようなシンプルなローブを身に纏い、銀色の髪は複雑かつ優雅に結い上げられ、その額には小さな三日月の髪飾りが静かに輝いている。その手には、どこからともなく現れた、黄金の小さな天秤。その姿は、荘厳で、美しく、そしてどこか人間離れした威厳に満ちていた。
「なっ…!?」
東雲は、思わず後ずさりしそうになるのを、必死で堪えた。これは、Kのどの姿とも違う。そして、明らかに、ただならぬオーラを放っている。
暦――いや、その神々しい姿の「何か」は、ゆっくりと目を開き、そして、どこまでも透き通るような、しかし心の奥底まで見透かすような声で告げた。
「東雲翔真さん。これより、月島暦による、あなたへの『事情聴取』を始めさせていただきます。…心して、真実のみを述べるように。あなたの魂の重さを、この天秤が測っていますよ?」
その声は、まるで脳内に直接響いてくるかのように、荘厳で、そして有無を言わせぬ迫力があった。部屋の空気までもが、ピリリと張り詰めていくのを感じる。
東雲は、ゴクリと唾を飲み込んだ。背中に、冷たい汗が一筋流れる。
(これは…まずい…完全に、彼女の世界だ…そして、この威圧感は一体…!?)
13歳の尋問官、いや、もはや「審判の女神」とでも呼ぶべき存在の尋問が、今、静かに、しかし厳粛に始まろうとしていた。
その後の打ち合わせ(という名の、一方的な尋問と要求の提示)で、東雲がどれほど冷や汗をかき、そして暦がどれほど的確に自分の権利を主張し、報酬面や養父母への対応について、彼女にとって最善の形を勝ち取っていったかは…読者の皆様のご想像にお任せするしかない。
ただ一つ言えるのは、この日を境に、東雲翔真は、月島暦という少女の底知れない才能と、そしてその可愛らしい外見の下に隠された、恐るべき交渉術と、時として神々しいまでの威厳を放つ意志の強さを、改めて、そして骨身に染みて思い知らされることになったということだ。




