20話 冬花火の尾
時間というのは非情で、楽しかった数ヶ月は既に過去のものになってしまっている。
寒空の帰り道、時刻は今日と明日の境目。どんよりとした夜の帷が、星も月も覆い隠してしまっている。
頭上に広がる曇天は、真歩の心を写したみたいだ。でも、かえって好都合だと思った。真夜中の誰もいない時間、ぐずついた天候。ボロボロの己を誰かに晒さなくて済むのだから。
醜態を晒す前にさっさと帰宅すれば良いものの、疲れた体なんかでは歩調を急くことは叶わなかった。
かろうじて街灯が帰り道を照らしている。夕方ごろの通り雨のせいか少し湿ったアスファルトが冷気を放って、さらに冬たらしめた。
____あわせる顔も度胸もない。
霧島との約束を、なんとなくの言葉を使ってはぐらかし続けていたが、そろそろこちらの心がもたなくなってきた。
大半を仕事を理由に断っていたから、持て余した時間を全て業務に割いてしまっている。終電ギリギリの時間まで仕事に打ち込み、手料理をする気力もなくコンビニ弁当を食らい、繕うだけの日常生活の繰り返し。たった1人を思い出さない様に必死になるたびに、真歩がボロボロになってゆく。
あの頃の味を思い出す。無味と感覚のないフルコースを貪っていたあの頃の。同窓会で宇宙が瞬く前、社会の歯車として違和感を当たり前で隠して働いていた時と同じ……最悪な美味と。
アスファルトを踏み締めて、最後の角を曲がろうとする。積まれたブロック塀が死角のその奥。目と鼻の先に自分の家がある。あと数十歩で回復地点まで辿り着けるというのに、なかなかその一歩を踏み出せずにいた。
——紫煙が街灯の色に照らされて、ゆらゆらと死角から揺蕩っている。ほのかに香る燻った臭いからそれがタバコであることは明白だった。誰のものとも知らない副流煙が、諦めた男を思い出させる様で、少し涙腺が緩んでしまう。
どんなに必死に頭を振っても、頭の中を占めるのはあの男だけ。冬の花火の尾が、煙たい臭いが、真歩の視界を通して見せつけられた現実が、何もかもが。失恋の恐怖を五感から摂取させてくる。
霧島は、どんな銘柄を吸っていただろうか……。確か、定例の飲み会に真歩が遅刻した夜があった様に思う。その帰り道のコンビニ、真歩が渡した千円札で、真歩と霧島の分のコーヒーと新品のタバコを買っていたんだった。ライターを擦って橙色をフィルターに移していたあの手捌きが、脳内でなんとなく反芻された。
でも、その時霧島が吸っていたタバコなんて記憶の何処にも残っていない。それよりも〝霧島の手がどの様に動いていたか〟は今映画を見ている様に思い出せる。
余裕と色気を孕んだ指がタバコを挟んで、ライターを擦って、片手で風を遮って、それで、それで……。
諦めようと思っている想い人に対して、こんなにも鮮明に、熱烈に、感情を分け与えられている。そんな自分が持つ、酷すぎる切望が恐ろしくも思えた。
「(霧島とは〝友達〟だろ?諦めないと、諦めなきゃって、決めたじゃないか……)」
過去の模倣を繰り返した脳内は疲労を訴え続けている。手放したいのに脳にこびりつく温かな過去が、余計に真歩を苦しめた。自首する犯罪者の心地で、煙たい曲がり角を曲がる。
街灯に照らされた1人の男の影が、真歩へ伸びている。黒いコートのポケットへ手を突っ込み、もう片方の空いた手は、あの時の記憶と同じ様に色っぽくタバコを摘みあげている。
重たい雲がゆっくりと動き出す。割れた隙間から月光が差し込んで、艶やかな黒い髪と綺麗な顔立ちを見事に照らし上げていた。
冬の圧が2人を包み込む。感情を置き去りにして、時間だけが先行する。心臓が縮み上がって、寒空で発汗さえした様な気がする。震えてしまうのは冬の冷たさのせいか、目の前の男のせいか——。
横を向いていた双眸が真歩と絡む。伸びた影がひとつのシルエットを作り上げる。冷たくて、煙たくて、切なすぎる冬の空気が肺の中で停滞した。——呼吸を、止めてしまいたいと思う程に。
「霧、島……!?」
「……おかえり、神渡」
責めてもいない、怒ってもいない。ただただ、真歩の帰宅を愛しむような眼差しで諦めた男が、冬に降る雪の様な当たり前の姿をして、真歩の家の前で立っていた。
お世話になっております。武灯冬和です。
20話までお付き合いいただきありがとうございます!
気づけばなんと「キリ番」を踏んでおりました……!汗汗
この記念すべき(?)回に、真歩と霧島が再度出会えたことが何より喜ばしいですね。
これからも2人の物語を、一緒に見守っていただけると幸いでございます。




