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出来ることなら崩れ落ちてしまいたい。足の下の石は一つ一つが信じられないほどの強い強い強い痛みを私の足裏に齎している。そして私は瞬時に悟った。これはツボだ。足ツボだ。様々な石たちが私の足裏のツボを抉るように刺激し激痛を生んでいるのだ。


 「いやだ、健康遊歩道を知らないの?」

 「…………」


 認めるか、認めないか。まだ決めかねている私は中腰になりながら歯を食い縛った。健康遊歩道は知らないがテレビでお笑い芸人達に足ツボマットを歩かせる罰ゲームを見たことはある。身悶える芸人が大袈裟に騒いでいるのだと思ったけれど、確かに芸人たちは身体を張って笑いを取っていたのだと今私は文字通り身をもって理解した。

 

 「ほーら、早くしないとどんどん痛みが増すわよぉ?一体どこまで耐えられるのかしらね?」


 さっきは般若の面だったキャロルは若女の面みたいな無機質な微笑を浮かべながら小首を傾げている。そしてアイスピックを突き立てたまま左手を私の肩に乗せぐっと力を込めた。


 ちょっとなにするのっっっ!あっぶないじゃないのよ!あと強烈に痛いんだけどッ!


 恐ろしさと悔しさとそして凄まじい痛みで声を圧し殺して泣きながらキャロルを睨むがキャロルは全く動じていない。一度緩めた肩に乗せた手の力を少しずつ少しずつ焦らしながら強めている。


 「知っているのよ。あんたが数式を解く時にエア算盤を弾くこと。この世界には無いわよねぇ、ソ・ロ・バ・ン!」

 「っ!!」


 見開かれた私の目を見てキャロルはケラケラと笑い声を立てる。


 なんてことだ!全然やる気がないのに無理くり通わされた算盤塾でしかも履歴書には書けない四級までしか取っていないのに、それなのにこんな形で墓穴を掘るだなんて!だから嫌だって言ったのよ!私は友達みたいにバレエとか新体操とかそんな華やかな習い事がしたかったんだからぁ。算盤なんて、算盤なんて習わせたお父さんとお母さんの馬鹿っ!二人のおかげで異世界転生して最大の危機になっちゃったじゃないのっ!


 前世の両親を恨んでももう遅い。元はと言えばエア算盤を弾いた私が悪いのだ。私は自分への悔しさに大きくしゃくりあげて泣いた。


 「それにね、良いものを見せてあげるわ」


 肩に乗せた手を離したキャロルは制服のポケットを探り、取り出した一枚の紙をパサリと開いて私に突き出した。


 完敗だ……もう……私には、成す術がない……


 それは私が書いた一枚のメモ。小論文の為に行っていた実験の途中経過を纏めようと統計を取っていて検体を四つに分類した時のもの。それを私は……私は……


 正の字で…………数えていたのだ。


 「ね?もう言い逃れはできないわ。それにご丁寧に確認したものにマークまで付けているんだもの」


 キャロルが微笑みながら紙を眺める。そこには正の字と共にニコちゃんマークが書き込まれ、更に一番発現数が多かった物には花丸が付けられていた。


 算盤同様この世界に存在しないもので埋め尽くされた一枚のメモは、私が転生者であることの動かぬ証拠だ。


 身体から全ての力が抜け出してしまったかのように私は崩れ落ちた。しかしキャロルは満足そうに眺めているだけで声を荒げはしない。うずくまる私の姿こそが肯定だと確信しているのだろう。

 

 キャロルの声はその仮面のような笑顔で妙に弾んだ声を上げた。


 「算盤、正の字、ニコちゃんマークに花丸……という事はそんなに若くはないわね?あんた昭和生まれでしょう!」


 ズバっと指をさされた私の脳内でまた二つのランプが点滅する。認める、認めない、一体どうしたら良いのだ。話を合わせて危険を回避する?でもバレたらキャロルは怒り狂うだろう。


 「…………へ、平成……です」

 「なんですって!」


 キャロルの能面がまた般若に変わった。もう能面というよりも人形浄瑠璃の清姫だ。一瞬で鬼みたいになるアレだ。


 「あー、でもギリッギリなんです。信じてください!」

 

 私は懇願しながら泣きじゃくった。アイスピックで脅された時よりも、足ツボを痛めつけられた時よりも号泣しているのが平成生まれだと認めたって事で混乱が深まる。これはもうギリギリ平成生まれが平成何年まで該当なのか、キャロルが突っ込んで来ないのを多々ひたすら祈るばかりだ。


 私が転生者だと気が付いた……即ちこのキャロルも転生者と言うことだ。でもキャロルが前世の記憶を取り戻すのは卒業パーティーで婚約破棄を言い渡された時。まだまだ八ヶ月も先のはずなのに。

 

  「でも……やっぱり二十歳くらい違うわ……」


 顔を歪めポツリとそう言って俯いたキャロルに私は恐る恐る尋ねた。


 「あなたは……長谷川寿子さん……ですか?」

 「そう、私は……私の前世は長谷川寿子よ。だけどあなたの知っている長谷川寿子じゃないわ」

 「どういう……こと?」

 「さぁ?私にもわからない…………」


 キャロルは肩を竦めて側に置いてあった箱に腰掛けた。


 何故私が彼女の名前を知っているのか?それは彼女が『婚約破棄された悪役令嬢は若き公爵に溺愛される』に登場する転生者だからである。


 「認知症の姑の介護で疲れ果てていてね……そうしたらスーパーでばったり会ったママ友がネット小説の事を教えてくれたの。隙間時間に気軽に読めるし気分転換になるわよって。それでたまたま目について読み始めたのが『婚約破棄された悪役令嬢は若き公爵に溺愛される』だったわけ」

 「……はい?」

 「私も読者だったのよ」


 キャロルの中の人も読者ってどういうこと?


 「初めて読んだ時はゾッとしたわ。名前も同じ年格好も同じ、学歴も職歴も職歴も同じ。それだけじゃなくて今の状況まで一緒だったんだもの」


 長谷川寿子はアラフィフの主婦。夫と息子三人、そして姑と暮らしていた女性だ。国立大経済学部卒で子育てをしながら一部上場企業の経理部で働いてきたバリキャリ女性。だが数年前に退職し今は姑の介護に専念している。確か寿子は入浴を嫌がり暴れた姑に突き飛ばされて柱に頭を打ち意識を失くして……気が付いたら卒業パーティーで婚約破棄を言い渡されていたのだ。


 そう、キャロル に転生して。


 「始めは気味が悪くて堪らなかったけれど、よくよく考えたら知り合いの誰かが私をモデルにして書いた小説を投稿したんだって予想がついたの。投稿するだけなら誰でもできるらしいじゃない?名前を変えるくらいの配慮は欲しかったけれどまさか本人が読むなんて思わなかったんでしょうね」


 キャロル、いや、寿子は淡々と話を続けた。


 


 


 

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