幼女とじじいと侍が、龍に追われて現れた
この時代、旅人は一日に八里ほど、30km以上も歩いたというのだから驚きだ。一般道であれば、車でも1時間はかかる距離である。日の長い夏であれば、さらに歩を進められたことだろう。今のようにスニーカーなどという足に優しいものも無かったわけだから、呆れるほどの健脚だ。現代の若者など、信号待ちですら耐え切れずに地面に座ったりもする。スカートはいてる女子学生でも座っている。するとちょっと見えたりする。いいぞもっとやれである。こう考えると昔の人は損している。今っていいね。
さて、新兵衛はどうかというと、
「疲れた。だるい。もう帰っていいかな、俺?」
「えええ! まだ最初の関にも着いてませんよっ! 今日の宿ってそこで取る予定じゃなかったでしたっけ? もっと頑張らないと、日暮れまでに着けませんよっ! 野宿することになっちゃいますよっ!」
もう心が折れていた。普段、新兵衛が歩く距離など茶屋との往復ぐらいである。いきなり厳島まで行こうなど、旅を舐めているとしか思えない愚挙だった。
最初の関といえば、お隣の郡山藩である。豊臣政権下では柳生の郷まで増田長盛が領していたが、関ヶ原の戦で西軍に属していたことにより召し上げられ、今は公儀御料地となっている。しかし、増田長盛は領地を没収されたものの、三河武士らしい正直さで有名な徳川の忠臣、高力清長の懇願により助けられ、その一命を取り留めた。出家した今は、高野山にて身柄を保護されている。
増田長盛。豊臣政権五奉行の一人。石田三成とともに稚拙で杜撰な徳川打倒を画策した――”豊臣政権を滅ぼした男の一人”である――
「そうか。じゃあ、野宿もやむ無しだな」
新兵衛は道の脇にある手頃な石に腰掛けた。ここは柳生と郡山を結ぶ峠道の半ばである。夜になれば犬やら猫やら狼やら、熊やら鹿やら質の悪い雲助やら夜鷹やら露出狂やらまで出没する。無論、魔性生物とてどこに潜んでいるか分からない。山とは危険がいっぱい夢いっぱいな場所なのだ。新兵衛の判断は、旅慣れた者なら「あんたバカぁ?」と言ってしまうようなものだった。
「いえいえ、まだ日は茜にもなってないじゃないですか! 急げばきっと間に合いますよっ!」
「澄。俺の人生に”急ぐ”という言葉はないんだ。もう、意味すら忘れてしまった」
「そんなキメ顔で何ダメなこと言ってるんですかっ! 今の新兵衛、ダメな男の見本みたいになってますよっ!」
「ダメダメ言うなよ。本当にダメな男になるだろう。まぁいいさ。俺ってホントにダメダメだし」
「めんどくさっ! 新兵衛って、こんなにめんどくさい人だったんですかっ!」
「供の人間がいればなぁ。俺を運んでくれるのに。やっぱりお供は必要だった」
「それ、『お供なら、背中の紋所だけで十分さ』なんて、カッコ良く断ってたじゃないですかっ! 私、本気でカッコいいとか思ったのにっ! 私の感動を返せですっ!」
澄はぐいぐいと新兵衛の袖を引っ張って立たせようとするのだが、やはりそこまでの力はない。澄に出来るのは、せいぜい”触る”くらいなものだった。二人がそうこうしていると、峠の上の方から妙な音が聞こえてきた。なにやら随分と慌てているような声である。
「ん? 人? 女の声か?」
「ですねっ。あと、野太い声に、しわがれた感じの声。多分、おじいちゃんですねっ」
「……まだ、なんか混じってないか?」
「……ですねぇ……。なんか、これって……」
新兵衛と澄は、峠道を見上げた。微かな地響き、そして賑やかな声。いや、声は賑やかと言うよりも。
「なんか、怒ってない?」
「ですねぇ。怒鳴り声、みたいな」
地響きは地鳴りへと変わった。声ははっきりと怒鳴っている。何を言っているのかは分からないが、かなり怒っていたり急いでいたり恐怖していたりしているようだ。そして、その正体が猛スピードで峠を下って現れた。
「にぎゃあああああああ――――!」
叫んでいる。幼女が。
「ばあさ――――んっ! どこだ、ばあさぁ――――んっ!」
探している。じじいが。
「姫! お戻りくだされ、姫――――!」
怒鳴っている。若い侍が。
「ギュオオオオオオオオオオオオオ!」
口から火を吹いている。龍が。
「ちょっと待てぇ――――!」
「幼女とじじいと侍と龍が一団となって来ているのですっ! 幼女とじじいと侍はともかく、最後のは何ですか――――っ!?」
「いや、驚くのはそこじゃないぞ、澄!」
「えっ? 他のどこに驚けと言うのですっ?」
「そんなもん決まってる。じじいだ! あのじじい、なんであんなに速く走れるんだよ! 見るからに死にそうなじじいのくせに!」
「やっぱり新兵衛っておかしいですっ!」
説明しよう。最後に出てきた龍は、魔性生物の一種である。魔性生物には業刹のような人型で知性の高い種は数少ない。たいていは今現れた龍のように、人とも動物ともかけ離れた姿をしているものなのだ。そして、龍とは、その数ある魔性生物種の中でも、ほぼ頂点に君臨する”最強種”だった。




