魔族の親善試合と、極まる基礎剣術
大陸の北方に位置する『魔王領』。
かつてはおとぎ話の恐怖の象徴とされていたが、実際の彼らはただの「別種族」に過ぎない。
現在の魔王に至っては全ステータス10万を軽く超えるという、人類最強のセリアや規格外のミラですら単独撃破が困難なほどの生きた神話だが、当の本人は「戦争なんかするより、魔王領の特産品のトマトを輸出して内政を潤したい」と領地運営に精を出している平和主義者(というか苦労人)である。
そんな魔王領と人間の王国との間で、年に一度の『国境貿易会議』が開かれていた。
「――というわけで、今年の関税の引き下げに同意いただきたい。その代わり、我が魔王軍の『四天王』が、王国騎士団に親善の立ち合いを申し込む。互いの武を敬う、良き伝統行事としてな」
会議場にて、魔王軍の外交官がニカッと笑って提案した。
それを受け、王国側の代表として国境砦に出向いていたヴェルフェン副団長(33歳)は、静かに立ち上がった。
(……本来ならセリア総団長が出るべきだが、彼女を出せば立ち合いの余波で国境の砦ごと消滅し、国際問題になる。孤児院の双子やミラも論外だ)
つまり、消去法かつ極めて真っ当な人選として、彼が前に出るしかなかったのだ。
「承知した。王国騎士団副団長、ヴェルフェン。お相手願おう」
闘技場として解放された砦の広場。
ヴェルフェンの前に立ったのは、魔王軍『四天王』の一角、獣の風貌を持つ剣鬼・ガルムだった。
そのステータスは、物理攻撃力40,000、防御力40,000。
人類の規格からすれば絶望的なまでの高みにある、真のバケモノである。
「手加減はせんぞ、人間の騎士よ。我が剛剣、受け止めてみせよ!」
ドゴォォォォンッ!!
試合開始の合図と共に、四天王ガルムが地を蹴った。
空気を引き裂きながら放たれる、純粋な暴力の塊のような大上段からの斬り下ろし。並のSランク冒険者なら、剣ごと両断されて即死するほどの威力だ。
しかし、ヴェルフェンは表情一つ変えなかった。
彼が抜いたのは、何の変哲もない王国の支給品の騎士剣。アーティファクトの補正など一切ない。
彼の素の物理攻撃力は38,000。ガルムとほぼ同等である。
「――『流』」
ヴェルフェンはガルムの剛剣を「受け」なかった。
剣の腹をコンマ数ミリの精度で相手の刃に滑らせ、衝突のエネルギーを円を描くようにそらす。
ギィィィンッ! という甲高い金属音と共に、ガルムの巨大な剣は地面へと誘導され、石畳を深く抉った。
「なっ……我が一撃を、力で受けずに逸らしただと!?」
「隙だらけだぞ、四天王」
驚愕するガルムの懐に、ヴェルフェンは音もなく踏み込んでいた。
『極まる基礎剣術』。
何万回、何十万回と繰り返した素振り。天才たち(セリアや双子)の理不尽な暴力の嵐の中で、どうすれば凡人が生き残り、彼らを導けるかを考え抜き、削ぎ落としてきた究極の「基本」。
――ダンッ!
無駄な魔力放出も、派手なエフェクトもない。
ただ完璧な重心移動と腰の回転から放たれた、教科書通りの『突き』。
それが、四天王ガルムの分厚い鎧の継ぎ目を正確に捉え、その巨体を後方へと十メートル近く吹き飛ばした。
「ぐおおおっ!?」
ガルムは受け身を取り、信じられないという目でヴェルフェンを見た。
「バ、バカな……! 貴様の剣には、伝説の武器の加護も、特別な魔力も感じられん! なのになぜ、これほど重く、速い!?」
ヴェルフェンは油断なく剣の正眼を保ち、静かに答えた。
「俺は、王国騎士団の副団長だからな。俺の背中には……規格外のバケモノ(部下や生徒たち)に『戦い方の手本』を示すという、絶対に退けない理由がある」
(あの双子やセリアのデタラメな攻撃に比べれば、お前の剣は『見えすぎる』ほど素直で、とてもやりやすい……!)とは、口が裂けても言わなかった。
その後も、四天王ガルムは幾度となく猛攻を仕掛けたが、ヴェルフェンの剣理はその全てを上回った。
攻撃を流し、いなし、的確に急所を打つ。
力任せの暴力ではなく、知性と鍛錬の結晶が、魔王軍トップクラスの幹部を完全に封じ込めていた。
「……見事だ」
数十分の打ち合いの末、木端微塵になった武器の柄を握りしめ、ガルムは膝をついた。
「まさか、人間族にこれほど洗練された剣を使う者がいようとは。完敗だ、副団長殿」
「アンタも、素晴らしい剣気だった。怪我はないか」
ヴェルフェンが手を差し出すと、ガルムはそれを力強く握り返した。
「おお! 素晴らしい立ち合いであった!」
来賓席から立ち上がって拍手をしたのは、他でもない『魔王』その人だった。
見た目は角の生えた渋いナイスミドルである魔王は、ニコニコと笑いながらヴェルフェンに歩み寄る。
「いやぁ、人間の王国には恐ろしい猛者がいるものだ。これなら、今年のトマトと小麦の取引も安心して進められるというもの! ぜひ今夜は、我が軍の幹部たちと親睦会をしてくれ!」
「はっ。ありがたき幸せに存じます、魔王陛下」
ヴェルフェンは完璧な騎士の礼をとり、涼しい顔で応えた。
……しかしその直後。
国境砦の医務室に駆け込んだヴェルフェンは、机の引き出しから手掴みで強力胃薬を取り出し、水で一気に流し込んでいた。
「……死ぬかと思った。全ステータス10万の魔王が歩み寄ってきた時のプレッシャー、セリアが本気でキレた時と同じじゃないか……ッ! なぜ俺は、こんなバケモノばかりの外交を一人でやらされてるんだ……!」
表向きはクールで最強な「四天王を単騎で下した英雄」。
裏では胃壁をすり減らす「中間管理職」。
ヴェルフェンの真の実力と、彼の苦労が全く報われない悲哀は、国境の平和と共に今日も確かに保たれているのであった。




