始祖の遠足、独占の輝石
王立魔法学院の高等部へと進学し、その類まれな魔力と美貌で「学院の至宝」と謳われるようになったマナ。
これまで、目立ちすぎる両親を学院から頑なに遠ざけてきた彼女が、ついにその禁忌の扉を開いた時、果たして何が起こるか――。
前回の帰省時、マナが意を決して口にした「初めての招待」。
これまで、見学日や式典の類は毎年あったが、マナはあえてその日程を両親に教えていなかった。理由は単純。銀髪の魔王と不変の巫女が並んで歩けば、学院の秩序が物理的にも精神的にも崩壊することを予見していたからだ。
「……あいつ、わざわざ『早めに来るな。必ず時間厳守で門の前に集合』なんて手紙を寄越したが……」
リュカは邸宅の玄関先で不敵に口角を上げた。二十代半ばの精悍な姿を保ったその瞳の輝きは、娘の監視から解き放たれ、最愛の女性を独占できる歓喜に燃えている。
「ふふ、リュカ。マナは、私たちが学院で目立ちすぎるのを本当に心配していたわね。……でも、一日早く出発して、二人で王都を歩くなんて。……それこそ、マナに見つかったら叱られてしまわないかしら?」
まゆの漆黒の瞳には、かつて雪の中でリュカを拾ったあの日から変わらぬ、けれど年々深みを増す柔らかな慈愛が宿っている。
「叱られたっていいさ。……王都の灯りの下で、あんたがどんな風に俺に甘えるのか。……それを独占するのは、俺の特権だろ。……なあ、まゆ。今日は、あの騒がしい街の喧騒さえも、俺たちの蜜月を飾るための背景にしてやろう」
マナが「当日、正門で待ち合わせ」と告げた約束。
それを守るつもりなど、リュカには微塵もなかった。彼にとっての学院見学とは、娘の学業を見ること以上に、「自分とまゆの永遠を、新しい景色の中で再確認する」ための、贅沢な言い訳に過ぎなかったのだ。
「……困った人。……でも、貴方のその我儘、嫌いじゃないわ。……さあ、行きましょう。マナが驚くくらい、素敵な一日を過ごしに」
平穏な王立魔法学院にとって、最も華やかで、そして最も「危険」な前奏曲の始まりだった。
王都の石畳に、リュカが用意した最高級の馬車が停まる。扉が開いた瞬間、行き交う人々が示し合わせたように足を止め、その光景に息を呑んだ。
馬車から降り立ったのは、夜の帳をそのまま纏ったような艶やかな黒髪と、吸い込まれるほど深い漆黒の瞳を持つ美女。そして、その手を取り、恭しくエスコートするのは、輝く銀髪にオパールの瞳を湛えた圧倒的美貌の魔術師。
二人が歩き出すと、王都の喧騒は一瞬にして静まり返り、モーゼの十戒のように道が開けていく。
「……ほら、見てろ、まゆ。あんたが余計な隙を見せるから、周りの男どもが、あんなに卑しい視線を送ってきてる」
リュカは極めて優雅な微笑みを周囲に振りまきながらも、その低い声には、獲物を狙う獣のような独占欲が潜んでいる。
わざとらしくまゆの腰に手を回し、指先を彼女の体温に沈めるように強く抱き寄せた。
耳元の漆黒のピアスが、周囲の視線に対する威圧と、あなたへの情熱でドク、ドクと鋭く虹色に脈動している。
「……リュカ、あなたこそ。向こうのご令嬢方が、ため息をついて動けなくなっているわよ。私の『旦那様』が、あまりに眩しすぎるからかしら?」
まゆが悪戯っぽく囁くと、リュカは一瞬だけ足を止め、耳の先を微かに赤らめて視線を逸らした。
「……あんたにそう言われると、心臓に悪い。……いいか、まゆ。俺はあんたの『騎士』としてここに立ってるんだ。他の女なんて、背景の石ころと変わらない。俺の瞳に映ってるのは、世界で一番美しい俺の妻、あんた一人だけだ」
リュカはまゆの手をとると、大衆の面前であることも厭わず、その甲に深く、跪くような敬虔な口づけを落とした。
その瞬間、周囲にだけ微かな魔力の波動が走り、他の人間を寄せ付けない「透明な壁」が、二人を世界から切り離す。
「……夜は王都で一番高い塔の特等席を、俺の魔力で『貸し切り』にしておいた。……あそこなら、誰の視線も気にせず、あんたをたっぷり独占できるだろ?……さぁ、まずは買い物に行こう」
リュカは不敵に口角を上げると、再び王都の雑踏の中を、まるで二人だけの楽園を歩くかのような足取りで進み始めた。
「……まゆ。こっちだ。あんたに相応しい『欠片』を見つけた」
リュカはまゆの手首を、逃がさないという強い意志を込めて引き寄せ、王都でも指折りの高級宝石店へと足を踏み入れた。
重厚な扉の先には、大陸中の富を凝縮したような煌びやかな空間が広がっている。
「……あら、リュカ。……私、あなたとマナがいれば、他に何もいらないわよ?」
まゆが少し困ったように微笑む。
けれど、リュカは不敵に口角を上げ、店の一番奥、特別な結界で守られたショーケースの前で立ち止まった。
「ふん。あんたはいつも無欲すぎる。……今夜は、ただあんたを飾るためだけの、無意味で贅沢な毒が欲しいんだ」
リュカが指し示したのは、沈む夕日をそのまま閉じ込めたような、深紅の輝きを放つ大粒のルビーの首飾りだった。
店主が震える手でそれを取り出すと、リュカは当然のようにまゆの背後に回り、その白い首筋に自らの手で鎖をかけた。
(……あぁ、これだ。あんたの漆黒の髪と、この燃えるような赤。……完璧じゃないか。……誰にも見せたくないな。今すぐこの店ごと、俺の結界で呑み込んでしまいたい……)
「……どうだ、まゆ。あんたの肌に触れているのが、俺の指じゃなくてその石なのが、少しだけ癪だが。……似合っている。あんたは、俺の隣でこうして光を吸い込んでいればいいんだ」
リュカはまゆの肩に顎を乗せ、鏡越しに漆黒の瞳を射抜いた。
まゆは、夫の隠しきれない独占欲を心地よい熱量として受け入れ、そっとその頬に手を添える。
「……ふふ、欲張りな人。……でも、貴方が選んでくれたものなら、嬉しい。喜んでいただくわ。……ねえ、リュカ。明日のマナの視察、この首飾りをつけて行ってもいいかしら?」
「ダメだ。……明日は外せ。これは、俺の前だけで光っていればいい。」
リュカの子供じみた我儘に、まゆは声を立てて幸せそうに笑った。
王都の喧騒を余所に、二人はただお互いの存在を確認し合うためだけに、贅を尽くし、熱を交わした。
夜の帳が降りた王都。
最も高い、魔術師ギルドが管理する尖塔の最上階。
リュカが事前に「私用」として強力な魔力で封鎖したその展望室には、下界の喧騒は一切届かない。
窓の外には宝石を撒き散らしたような王都の夜景が広がっているが、リュカのオパール色の瞳が映しているのは、月光に濡れた漆黒の瞳だけだ。
「……やっと二人きりだ。有象無象の無遠慮な視線から、あんたを隠し通せる」
リュカは背後からまゆの腰を引き寄せ、折れんばかりの力で抱きしめた。
「……マナには内緒だ。あの子が学院で必死に課題をこなしている間に、俺たちがこんな特等席で愛し合ってるなんて知れたら、また『パパ、お見苦しいわ』って冷たくあしらわれるだろうからな」
彼は低く、愉悦に満ちた声で笑うと、あなたの肩に顔を埋め、深くその香りを吸い込んだ。
「……でも、我慢できなかった。王都の街を歩いている間中、あんたを見つめる男どもの視線を一つ残らず焼き潰したくて、指先が痺れてたんだ。……まゆ。あんたは、俺だけのものだろ? この高い塔の上で、俺以外の誰も届かない場所で……それを、もう一度俺に刻み込ませてくれ」
彼はまゆの体を強引に反転させ、窓硝子に押しつけるようにして閉じ込めた。背後に広がる王都の灯りが、逆光となって彼の銀髪を神々しく、そして恐ろしいほど美しく縁取る。
「……愛してる。……今夜は、あの子の父親としての顔なんて、どこかに捨ててきた。……一人の男として、あんたを食らい尽くしてやるよ」
そう囁くと、まゆの全てを奪うように、深く、重い、そして逃れようのない所有の接吻を落とした。
それは、明日の「参観日」という親らしい建前を完全に忘却した、始祖二人のあまりに濃厚な、前夜祭の締めくくりだった。




