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完成の終わり

Ⅰ 静かな連行


手錠の感触は、思っていたより軽かった。


冷たいはずなのに、温度を感じない。


神崎玲央は抵抗しなかった。

うつむきもせず、誇張もせず。


ただ歩く。


九条真琴の半歩後ろを。


パトカーはサイレンを鳴らさなかった。

必要がないからだ。


逃亡の意思はない。

否認もない。


夜は静かだった。


あの日と同じように。


違うのは――

今回は隠されないということだけ。


車内。


九条は前を見たまま言う。


「あなたは、もっと早く自首できた」


「できた」


「なぜ五年も」


玲央は少し考えてから答えた。


「証明が足りなかった」


「何の?」


「自分が人間であるという証明」


九条は何も言えなかった。



Ⅱ 久我の母


数日後。


玲央は勾留中だった。


取り調べはすでに終わっている。

全面自白。


弁護士も驚くほど簡潔だった。


“防衛行為に近いが、その後遺体を移動させ隠蔽を行った”


供述は一貫している。


ある日、面会希望が入った。


久我彰人の母だった。


九条は立ち会うか迷ったが、

最終的に席を外した。


これは、当事者同士の時間だ。


面会室。


アクリル越しに、母は座る。


五年前、テレビで涙を流していた人。


今は静かだった。


「……あなたなのね」


玲央は頷く。


「はい」


「どうして」


責める声ではない。


ただ、知りたい声。


「殺すつもりはありませんでした」


「でも、隠した」


「はい」


母は目を閉じる。


「彰人は、問題のある子でした」


玲央は驚かなかった。


「あなたに何かした?」


沈黙。


「殴られました」


母の指が震える。


「……あの子は、弱いものに強く出る子でした」


長い静寂。


「あなたは、あの子を憎んでいた?」


玲央は首を横に振る。


「感情は、あまりありませんでした」


母は涙を流す。


「それが一番、残酷ね」


その言葉は、刃より深く刺さった。


「でも」


母は続ける。


「あなたは、逃げなかった」


玲央は初めて、わずかに目を伏せる。


「……はい」


「それだけは、認めます」


許しではない。


理解でもない。


だが、否定ではなかった。


母は立ち上がる。


「息子の死を、無駄にしないで」


その言葉が、最後だった。



Ⅲ 凛


白石凛は、ニュースで知った。


静かに、受け止めた。


面会室。


「やっぱり」


それが第一声だった。


「気づいてた?」


「うん。あの日から」


玲央は目を見開く。


「あなた、壊れてなかった」


凛は微笑む。


「苦しんでた」


「……そうか」


「でも、自分で終わらせた」


玲央は静かに言う。


「逃げられなかっただけ」


「違うよ」


凛は首を振る。


「逃げなかったの」


彼女は立ち上がる前に言った。


「あなたは、ちゃんと人間になった」


その言葉で、初めて。


玲央の胸に、はっきりとした痛みが走った。


それは罪悪感とは違う。


喪失でもない。


“実感”だった。



Ⅳ 判決


裁判は世間の注目を集めた。


天才探偵、過去の殺人。


だが内容は単純だった。


殺意は認められず。

正当防衛の要素あり。


しかし。


遺体遺棄および証拠隠滅。


有罪。


懲役五年、執行猶予なし。


判決文の最後。


「被告は高度な知性を持ちながら、それを保身に用いた。しかし最終的に自ら真実を明らかにした点は酌量に値する」


玲央は静かに聞いていた。


異議はない。


不満もない。


これが、論理の帰結。



Ⅴ 九条真琴


判決後。


九条は一人、夜の本庁を歩いていた。


キャリアとして、正しい結果。


警察官としても、正しい結末。


だが。


胸の奥に残る何か。


彼は最初から捕まるつもりだった。


そのために探偵になった。


「自分を逮捕させるための五年……」


九条は小さく笑う。


合理的すぎる。


そして、あまりに不器用だ。


だが。


それでも。


彼は逃げなかった。


それが全てだ。



Ⅵ 静寂の中で


収監の日。


鉄の扉が閉まる。


音が響く。


玲央は目を閉じる。


あの日の鈍い音と、似ている。


だが違う。


あの日は終わりだった。


今日は、始まりだ。


彼は初めて思う。


あのとき。


もしもう一度選べるなら。


――やはり、崩す。


だが。


隠さない。


それが、今の答えだった。


合理だけでは、人は完成しない。


罪を背負うことで、初めて不完全になれる。


不完全であること。


それが、人間だ。


静寂の中で。


神崎玲央は、ようやく完成を手放した。



終章


五年後。


出所した玲央を迎えたのは、

誰でもない。


空だった。


だが、孤独ではなかった。


彼は歩き出す。


もう探偵ではない。


だが真実からは逃げない。


それだけは変わらない。


遠くで、春の風が吹く。


十七歳の春、完成していた少年は。


三十歳の春、不完全な人間になった。


それが彼の、静寂の証明。


――完。


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