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金持ちの青年と居候の少女  作者: 燈華
第一章 とにもかくにも日常編

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少女と侍女と商会の者1

「まさか布選びからこんなに大変だなんて思ってませんでした」


大量の布地を前に少女は途方に暮れた顔をしている。


一口に黒い布と言っても、布の種類から色の微妙な違いから、選択肢は無数にある。

どのような色の黒がいいのか。

布にしても光沢があるのがいいのか、それとも手触りがいいものがいいのか。あるいは丈夫なものか。


こんなことならもっとちゃんと要望を聞いておけばよかった。


「お嬢様がこれだと思ったものでよろしいと思いますよ。そのほうが旦那様もお喜びになられるかと」

「そうでしょうか?」

「ええ、絶対ですわ」


何を根拠にとは思うが、少女より付き合いの長い彼女のほうが青年のことはよくわかっているだろう。


「わかりました。そうします」


少女は考える。


ぬいぐるみなら手触りがいいほうがいいだろう。

でも破れては困るから丈夫な布がいい。

だとしたら柔らかくて丈夫な布がいい。


一つ一つ触り、布を選んでいく。


「これがいいです」

「そちらの布でしたらこれだけのカラーバリエーションがございます」


商会から来た女性が布をざっと出してくれる。

見本用の布だ。

黒だけでも何種類もあり、さらには他の色も一緒に出してくれる。


青年のぬいぐるみ用の布を選ばないと、と思いながらもついつい他の色の布に目がいく。


あっ、この色可愛い。


目を引いたのは淡いクリーム色だ。

それに気づいたのだろう侍女がそっと言った。


「御自分の分もお作りになられてはいかがですか?」

「私のも、ですか?」

「旦那様とお揃いでいかがでしょう?」


同じ型紙を使えば必然的にお揃いにはなるが。

自分のものを作るという発想はなかった。


「お揃い……」

「お色は御好きなものになさればよろしいかと。ああ、ですが目は葡萄色でお願い致します」


何故(なにゆえ)それだけは決定事項なのか。

いや別に構わないが。

あのクリーム色の生地なら葡萄色でも合うだろう。


でも、自分の分か。どうしようかな。


迷っていると侍女がそっと訊いてきた。


「ぬいぐるみは御嫌いですか?」

「いえ、そんなことはありませんが」


むしろ、母が仕事で家にいなくて寂しかった時に寄り添ってくれた友達だ。


「では旦那様とお揃いがお嫌ですか?」

「いえ、それもないですけど」

「では年齢的にお恥ずかしいとか?」

「あー、それは少しありますね」

「ご安心ください。ご夫人の中にもぬいぐるみが好きな方々はおられますし、お嬢様のご年齢でもお好きな方々はいらっしゃいます。もし外に漏れるのが不安ということでしたら大丈夫です。この屋敷に情報漏洩するような、そんな不届きな者はおりません。いましたら……ふふ」


……深く訊かないほうがいいだろう。


「そうですね。それなら作ってみてもいいかもしれません」

「是非そうなさいませ」

「そうします」

「ではお嬢様は布をお選びくださいませ」

「はい」


侍女は商会の者に言ってボタンを用意してもらっている。

葡萄色と指定していたのである程度絞ってくれるのだろう。


自分のはとりあえず後にしてまずは青年用のだ。

黒い布を順繰りに手に取る。


どの黒が好みの黒なのだろう?

迷わず黒を指定したのだから好みが強いだろう。


わからない。

助けを求めて侍女を見る。

彼女なら青年がどのような黒を好んでいるか、少女よりわかるだろう。


侍女はすぐに気づいて寄ってきてくれた。


「どうしましたか?」

「彼の好みの黒がわかりません。どれがいいと思いますか?」


侍女は優しく微笑む。


「お任せくださいませ」


侍女は黒の布を一枚ずつ手に取り、一通り目を通すと「これですね」と迷いなく告げた。

少女が思わず目を丸くするほどの迷いのなさだった。

商会の者は驚くことなく頷いている。


「確かにそちらが一番近いお色ですね」


何に?


「お嬢様用の布はどちらになさいますか?」


訊かれて眺めてみてもやはりあの淡いクリーム色のものに引かれる。


「私のはこちらにします」

「承知しました」


商会の者が布を取り分けておいてくれる。


「あとはボタンということでしたが、こちらのあたりが近いお色かと」


商会の者がいくつかのボタンを載せたトレーを二つ、少女の前に置いた。

一つのトレーには黒色のボタンが、もう一つのトレーには葡萄色のボタンが載せられている。


「気に入ったものがなければ遠慮なくおっしゃってくださいませ。他のものをお出しします」

「ありがとうございます」

「こちらはもうお嬢様のお好みで大丈夫ですよ」

「わかりました」


一種類ずつ真剣に見ていく。

うっとりといつまでも見ていたいくらいどれも素敵だ。


ああ、でもぬいぐるみの目にするなら。


それぞれ一種類二個ずつ選び出す。


「これとこれにします」

「かしかまりました」


商会の者が布やボタンに合った糸を手早く用意してくれる。

布も必要な分だけ裁断してくれて後で届けてもらうことになっている。

失敗する可能性もあるので多めに頼んである。


「それではこちらでよろしいでしょうか?」

「はい。ありがとうございます」


商会の者は手早く丁寧に荷物をまとめた。

支払いは後で布を届けに来た時に執事のほうから支払われる。

居候の身としては心苦しいが、今回は青年の希望だと割り切るしかない。


「それでは私はこれで。また何か必要なものがございましたらいつでもお呼びくださいませ」

「ありがとうございます」

「失礼致します」


頭を下げて商会の者は帰っていった。


「お疲れでしょう。お部屋に戻りましたら温かいお茶をお淹れしますね」


言われて疲労感を自覚する。


「ありがとうございます」


購入した糸やボタンは布が届くまできちんとしまっておいてくれるそうだ。

今はもう別の侍女によって運び出されている。


少女がいつまでもここにいては片付けができない。

少女は応接間を出た。


自室に向かって廊下を歩く。

歩きながらぬいぐるみ作りの段取りを考える。


型紙はできている。

あとは布が届けば作り始めることができる。

それほどかからずに布は届けられるだろう。


やはり青年の分から作るべきだろう。

それとも練習のために自分の分を先に作るべきか。

いやでも切るところまではまとめてやってしまったほうがいいか。


あれこれ考えいるうちに楽しくなってきた。






そんな少女のことを侍女が微笑ましそうに見ていたことには、少女は少しも気づいていなかった。

読んでいただき、ありがとうございました。

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