少女と青年の友人と侍女1
廊下を歩いていると前から見知らぬ男性が歩いてきた。年齢は青年と同じくらいだ。
勝手知ったる様子なのでよく出入りしているのだろう。
もしかしたら青年の友人かもしれない。
ただ今の時間青年は屋敷にいない。
青年のいない時にも出入りが許されているのなら信頼されているのだろう。
え、どうすればいいんだろう?
挨拶するべきか、端に寄って頭を下げるべきか。
迷っている間に男性が少女に気づいた。
意外そうな顔をした後で少女に歩み寄ってくる。
さっと侍女が間に入るように前に出る。
「あまり近づかないようにお願い致します」
侍女の警告は男性に向けてだ。
距離を空けて男性が立ち止まる。手を伸ばしても届かない位置だ。
男性は首を傾げた後で得心がいった様子で声を上げた。
「ああ、あいつのお姫様か」
あいつというのはこの屋敷の主である青年のことだろう。
だが"お姫様"、とは?
少女は首を傾げつつ、声をかけられたので尋ねる。
「どちら様でしょう?」
「ああ、悪い」
彼は名乗ってくれ、青年の友人だと言った。
「私はーー」
「ああ、いい。あいつの紹介なしにあんたの名前を知ったらどんな目に遭うかわからない。だからあんたのことは"お嬢さん"と呼ばせてもらう」
「あの方は優しい方ですのでひどい目に遭わされることはないと思いますけど」
「それはお嬢さんにだけだ。っと、余計なことを言えば後が怖い」
男性はわざとらしくぶるっと震えてみせる。
きっと冗談なのだろう。
少女は軽く笑った。
男性は微妙な顔になったが、すぐに苦笑いした。
それからしげしげと少女を見てくる。
侍女が鋭い視線を飛ばし、降参とばかりに男性が軽く手を上げる。
なお、少女からは見えていないのでその男性の仕草に少女はきょとんとする。
男性は手を下ろし、何事もないとばかりに話を続けた。
「ああ、でもあいつの執着ばりばりの格好はしてないんだな」
執着とは何のことだろうと首を傾げる。
ちなみに今日の少女の服装は丈の長い水色のワンピースで襟元や袖口、裾などに控えめに金糸と葡萄色の糸で刺繍が施されているものだ。装飾品は特に身につけていない。
その少女の様子に何かを悟ったらしい。
一人でなるほどな、と納得している。
「いや、気にしないでくれ」
「はあ」
話についていけない。
侍女が振り向いてふんわりと微笑う。
「お嬢様がお気になさる話ではありませんわ」
「そうですか」
「はい。あちらの方の個人的な見解ですから」
「ああ、まあそんなところだ」
「そうですか」
とりあえず二人が少女に話す気がないのだけはわかった。
知る必要のないことなのだろう。
気にはなったがそこまでして知りたいことではない。
まだ正式な挨拶もしていない男女があまり長く話しているのもよくないのだろう。
少女の国では今はそんなことはないのだが、この国ではあまりよろしくないことらしいのだ。
だから、では、これでとその場を離れるべきだろう。
そういうことは男性のほうがわかっているだろうからここで話を切り上げて去っても不愉快に思わないはずだ。
それを少女が口にする前にふと真面目な声で男性が訊く。
「あいつのことはどれだけ知っている?」
侍女が静かな声で彼の名を呼ぶ。
彼は降参というように両手を軽く上げる。
「ああ、今のは忘れてくれ」
「はい」
頷いたが気になる。
青年のことだ。気にならないはずがない。
だが、忘れることに同意してしまった以上は聞けない。
どれだけというのはどういうことだろう?
少女だって青年の全てを知っているとは思っていない。
むしろ知らないほうが多いだろう。
居候の身ではどこまで踏み込んでいいかもわからない。
青年は驚くほどよくしてくれているが、居候の身で踏み込めば嫌な思いをさせるかもしれない。
思わず考え込む少女の姿をちらりと侍女が見た。
それから男性に向き直る。
「お時間は大丈夫なのですか?」
侍女がまるで追い払うかのように訊く。
男性が内ポケットから懐中時計を取り出して時間を確認する。
「あ、まずい。そろそろ行かないと」
「お引き留めして申し訳ありません」
「いやむしろ引き留めたのは俺のほうだろう」
まさか、そうですね、と言うわけにもいかない。
かといって笑って誤魔化しても遠回しに肯定することになってしまう。
どうすれば、と考えている少女の前で男性がふっと真面目な顔になる。
「俺に会ったことはあいつにも言っておいてくれ。言わないと後が怖い。ただし、偶然だと言うことはしっかりと伝えてほしい。頼む」
やけに真剣だ。
少女がうまく返せなかったことよりそちらのほうが重要なようだ。
「ええっと、はい」
「くれぐれも頼むな。でないと出禁になりそうだ」
「わかりました」
友人を出禁にするとは思えないが、誤解があってぎくしゃくさせるのは悪い。
青年が帰ってきたらしっかりと告げておこう。
「じゃあな。今度はあいつの許可をもらってきちんと挨拶させてくれ」
「はい」
私も挨拶がしたい、とは告げない。
それは正式にお付き合いしたいという意味になるという。
男性の言い方は場合によっては正式なお付き合いを申し込みたいと告げていることになる。
今回のことはセーフなのかな?
勿論少女には男性がそのつもりなどないことはわかっている。
だが一般的にみてどうなのだろう?
侍女が不自然に咳払いをした。
彼女的にはアウトだったのかもしれない。
男性は苦笑いして手を上げると足早に去っていった。
その姿が見えなくなるまで動かなかった。
くるりと侍女が振り向く。
少女は彼女に訊いてみた。
「私、失礼なことをしませんでしたか?」
不意打ちだったとはいえ客人に相対したのは初めてだ。
大丈夫だったかはやはり気になる。
「お嬢様は何も失礼はございませんでした」
ん? 男性のほうには失礼があったような言い方だ。
まあ、確かに多少不躾ではあったが許容範囲内であったと思う。
あくまでも少女の判断では、だが。
侍女の判断では違ったのだろう。
まだまだ不慣れな少女よりも彼女のほうがマナーに詳しい。
そんな彼女の判断なら彼女のほうが正しい。
後で詳しく聞こう。
「あの方の言動は余すことなく旦那様にお伝えなさったほうがよろしいかと」
「わかりました」
「旦那様が帰ってきたらすぐにでも話したほうがよろしいと思います」
報告というのは早さが大事だ。
「はい、そうします」
「それと、旦那様のことはどうぞ旦那様にお尋ねくださいませ」
「私が聞いてもいいのでしょうか?」
侍女はふわりと微笑う。
「もちろんです。旦那様もお喜びになられることでしょう」
読んでいただき、ありがとうございました。




