3-17
府民ホールは人でごった返していた。駐車場も車だらけだ。
私は家族に送られて出演者の控え室に向かう。控え室には予選会で会った人たちが居た。
私と同年代の人は居ない。居るのは20代から50代くらいの人たちばかりだ。
「したらウチらは観覧席に行くで! ま、頑張って」
「ああ、ありがとう。お母さんたちも気をつけてな」
母たちが行ってしまうと不安な気持ちになった。まるで単身でスペースシャトルに乗せられたような気持ちだ。
私以外の出演者たちも緊張しているようで、皆そわそわしていた。
少しすると運営スタッフがやってきた。彼らは今回の注意事項を大声で話し、最後に質問を求めた。
他の出演者は色々質問していたけれど、私は何も聞かなかった。聞いても仕方ない。順番が来たらステージに上がって歌うだけだ……。
開演直前。私たちはステージに移動した。緞帳が下がり、スタッフが忙しなく動き回る。会場にはアナウンスが響いていた。
その頃には私の緊張はすっかりなくなっていた。自分でも不思議だけれど、腹をくくるとあまり気にならない。
そして間もなく、緞帳が上がった。いよいよ開演の時間だ――。
開演すると司会者が慣れた調子で司会進行した。立ち位置からマイクの握り方、声の抑揚まで完璧だ。
彼はルーティン的にオープニングを終える。そしてすぐにのど自慢大会がスタートした。
「ではまずは1番の方どうぞ!」
司会者に番号を呼ばれた出演者はステージ中央に出て行った……。
それからのど自慢大会は流れるように進行していった。番号を呼ばれた出演者がステージに上がると曲名を言って歌う。中にはサビまで歌えないで鐘を鳴らされる人もいた。
素人大会だけあって様々な人が出ていた。コスプレしたお姉さんから農作業着のおじいさんまでいる。
三坂逢子もこんな風にイベントに出ているのだろうか?
私は順番を待ちながらそんな事を考えていた。緊張こそしていなかったけれど、身体に汗が滲んでいる。そして……。遂に私の番がやってきた。
「では12番の方どうぞ!」
司会者に呼ばれ私はステージの真ん中へ向かった。会場が一瞬静まり返る。
「12番! 鴨川月子! デザイア」
私がそれだけ言うとオーケストラが演奏を開始した。曲のイントロが会場に鳴り響く。
デザイアのイントロが終わると私は一心不乱に歌い始めた。
今回選んだ曲は『レイズ』の2人とセッションしたのと同じ曲だ。もともと好きな曲だし、コピーならこの曲しかないと思っていた。
中森明菜のデザイア。どうしてもこの曲で最初のステージに立ちたかったのだ。
私は歌いながら健次と栞のことを考えていた。
健次に私の欲望が届いて欲しかった。
清らかな願い『Wish』ではない。欲望に駆られた願い『DESIRE』を届けたかった。
私は栞ほど澄んではいないのだ。あんなに誠実で実直ではない。でも今は欲に塗れた自身がとても誇らしく思えた。
清らかで潔癖でなければ夢が叶わないなんて嘘だ。私はそう思った。
誠実さは大切だし、潔癖でいることは美徳だけれど、夢を叶えることとは無関係だと思った。
鐘が鳴らされる頃にすっかり気持ち良くなっていた。身体中から汗が噴き出し、手の甲までびっしょり濡れていた――。
のど自慢大会は無事終わった。少しずつ会場から人が出て行く。
帰りがけ。府民ホールの入り口で健次と会った。
「あー! ケンちゃん来てくれたんやな! 嬉しいわー。どうやったウチの歌?」
「良かったで! ほんまに良かった。お前すごいなー。歌うのがうまいとは思っとったけどここまでとは知らんかったで」
健次は本当に感心したようだ。健次に褒められるのなんて何年ぶりだろう?
のど自慢大会の結果は私の優勝だった。どうやら他の参加者たちよりは評価されたらしい。
「ありがとー。ケンちゃんに褒められるなんてほんまにほんまにほんーまに嬉しい!!」
「ほんまにお前はすごいな! 正直舐めとったで……」
「わー! 酷いわー。ケンちゃんには時々歌聴かせてたのに……」
私は笑いながらむくれて見せた。
「すまんすまん。堪忍な! でもよかったなー。優勝できて!」
「まだやねん。まだまだや。ウチはこれくらいでは満足せーへん」
ここは入り口なのだ。入り口でしかない。私のそんな言葉に健次はキョトンとした。
「なんや? まだ何かしたいんか?」
「そーやで! ウチは日本一の歌手になるんや! いつか武道館いっぱいに人集めて歌うんやで!」
「お前なー。夢持つんはええことやけど、ハードル高ないか?」
「何ケンちゃん? ウチにはでけへんゆーんか?」
私は再びむくれる。今度は少しだけ本気でむくれた。
「いや……。出来ないとはゆーてへんけど、難しいやろ?」
「あーあ、やっぱりケンちゃんはウチのこと舐めとる! そしたらな! ウチが武道館でもしコンサート出来たらどうする? ウチのゆーこと聞いてくれる?」
交換条件……。私のエゴイズム。
「ハハハ、かまへんで! 武道館でコンサート出来たらえーなー」
健次は私の言葉を流すようにそう言った。
健次のその態度が最高に気に入らなかった。1人の女として……。
「ケンちゃん! よーく聞きや! もし、ウチが武道館でコンサート出来たらケンちゃんに嫁に取ってもらうで! わかったか?」
私は啖呵を吐くようにそう言うと彼の頬を思い切り引っ張った。
「痛い痛い! わかったから離せや!」
彼の頬を離すと赤くなっていた。流石に力を入れすぎたかもしれない。私はダメ押しに言葉を続けた。
「よーし、約束やで! 絶対武道館行ったるからな!」
ようやく約束できた。と私は思った。無理矢理だけれど約束は約束だ。
これが私と健次にとって最初の誓いだったと思う。
そして……。これが私にとって生きるための最大の理由になった。
1992年の夏。私たちは同じレールの上に立つことが出来た。
このレールの先に何が待ち受けるのだろうか――。




