2-17
私の声はマイクに吸い取られていった。声が辺りに響き渡る。
アカペラで練習しているときとは違い、声は反響していた。
照明は単調だったけれど私を照らしてくれた。最高に気持ちが良い。
三坂も店長さんも丁寧に演奏してくれた。彼らの作り出す音と私の声は溶け合い、別の何かに変質していく。
ただ、佐藤くんだけは異質だった。彼の作り出すノリだけは私をどうしようもなくざわつかせた。
下手だとか、相性が悪いとかではない。
どちらかと言えば、未体験による不安感に近いだろう。
佐藤くんのベースはとち狂っていた。別に演奏法が特殊なわけでもなく、パフォーマンスが派手なわけでもない。
それでも彼の作り出すリズムは私を狂わそうとした。ルナティックに。クレイジーに。
歌い始めたときはそれに居心地の悪さを覚えたけれど、気が付くと私は彼のリズムに酔っていた。
快楽、心酔、饗宴。そんな気分。
そのとき私は唐突に理解した。この男と出会い、この男のベースで歌うために生まれてきたのだと。
この空間を支配しているのは私でも三坂さんでも店長さんでもない。
支配者は佐藤亨一だ。紛れもなく、毛ほども疑う余地なく……。
「ふー! 鴨川さんめっちゃ歌うまいやん! 最高やで!」
フルコーラス終わると三坂さんは地べたに座り込んだ。
「おおきに。めっちゃ気持ち良かった! みんな演奏上手いなぁ」
「ハハハ、私なんか味噌っかすやで。店長と亨一はやっぱ上手いな。久しぶりにギター弾いたから手つりそうやで」
彼女は汗を拭うと白い歯を見せて笑った。上唇からのぞく八重歯がとても可愛らしい。
「ほんと、鴨川さんすごいね。今日は初めてのステージなんでしょ?」
「せやね。普段はカラオケかアカペラで練習しかしとらんから」
「へー。何か勿体ないね……。ま、岸田くんがギター覚えたらバンド結成したらいいよ」
リップサービス。ではないようだ。
佐藤くんの口調はいつもと変わらなかったけれど、彼の目は笑ってはいなかった。
それから私は佐藤くんと三坂さんの練習を見学した。
三坂さんがギターヴォーカル。佐藤くんがベース。店長さんがドラムだ。
やはり佐藤くんのベースは私の気持ちをざわつかせた。
どうやら私はこの男のベースにすっかり心酔してしまったらしい。狂うほどに――。
「今日はありがとうな」
「うん。鴨川さんまたおいでね。僕も逢子もいつでも歓迎だからさ」
佐藤くんはニッコリ笑う。笑った佐藤くんはただの中学生に見えた。
いや、実際ただの中学生なのだけれど。
「ほんまにおいでね。鴨川さん練習したらもっともっと上達すると思うから。あ、せや。鴨川さんがバンド組んだら対バンしよな!」
「ああ、せやね」
私は2人に見送られながら、ライブハウスを後にした。
帰り道。私は邪な決意を胸に抱いていた。人道的に。
まずは健次にギターをしてもらおう。そう私は思った。
そしてドラムを見つけ……。
私は本能的に『レイズ』から佐藤亨一を奪いたいと思った。
彼以外いないのだ。彼でなければいけないのだ。
この思いが私の転機になるのはそれからしばらく後のことだ――。




