2-7
鴨川のほとりにある小料理屋がぼんやりとした柔らかい光を灯す。
曇天ではあったが、まだ雨は降り始めてはいなかった。
「ひさしぶりの道草やね」
私は小学校時代の自分の定位置に腰を下ろした。
「ほんと……。月子ちゃん少し痩せた?」
「ああ、そうかもしれん。ダイエットゆうわけやないけど、最近運動しとるからね」
私はここ最近、声量を上げるためにランニングと発声練習を毎日していた。
その副産物として、すっかり細くなってしまったらしい。
「だよね! 細くなってるなーって思ったんだ。私は少しだけ太ったかも……」
「そんなことないやろ? 栞昔っから細いやんか」
私がそう言うと栞は二の腕をつまんで「ね? ぷにぷにだよ?」と言った。
確かに以前に比べて彼女の顔は幾分、ぷっくらしたようだ。
元々細いのであまり気にはならないが……。
川淵の小料理屋の明かりが少しずつ増えていった。
ひとつ、またひとつと灯る度に夜が降りてくる気がした。
川のせせらぎは穏やかで、その音を聞いているだけで心地よかった。
「なぁ栞。この前はほんまごめんな。打ったりして幻滅したやろ?」
「へ?」
私が栞に謝ると彼女は一瞬何のことか分からないような返事を返した。
「あんな……。ウチはほんまにケンちゃんのこと好きやったから……。でももうええねん。栞やったら文句もない。ケンちゃんも栞のこと好きみたいやし、それでええ」
思っていたことを吐き出すと私の気持ちは幾分すっきりした。
普通に戻った気ではいたのだけれど、やはり言葉としてしっかり謝っておきたかったのだ。
栞はしばらく口を噤んでいたが、やがてゆっくりと話し始めた。
「謝るのは私の方だよ……。岸田君に告白されたときにどうしようか本当は迷ったんだ……。正直ね、月子ちゃんのことがあったから……。でも……。やっぱり私も彼氏が欲しかったんだよね。ほら、私のこと好きになってくれる人なんて居るとは思わなかったから……」
そこまで話すと栞は首を軽く振った。
その仕草は何か良からぬ物を払うようにも見える。
「それで?」
「それでね! 私って優柔不断だからさ……。月子ちゃんに何て言おうって考えちゃったんだ。でも岸田君は私を好きだって言ってくれるし……。なんかごめんね。やっぱりうまく言葉に出来ないや」
栞はそこまで話すと苦笑いを浮かべた。
彼女の思っていることは手に取るように分かる気がした。
栞は昔から人間関係を円滑に進めるのが苦手な少女だったし、恋愛なんかすれば当然、どうしていいのか分からなくなってしまうだろう。
「あんな……。栞! 腹割って言わせて貰うけどな。ウチは栞もケンちゃんも大好きやで! そら、2人が付きおうたって聞いたときは驚いたし、正直ショックやったけど大事なんは変わらへんよ……」
そこまで話すと顔に水滴が当たった。
どうやら雨が降り始めたらしい。
「雨宿りしよっか!」
「……せやな」
私たちは松原橋近くの民家の軒下に滑り込む。
雨は強さを増し、鴨川の流れに溶け込んでいく。
夕闇のせいでその様子は音からしか推察出来ないが……。
「濡れちゃったねー」
「ほんまやな……。あーあ、ウチも傘持ってくれば良かった……」
その軒下から見える鴨川の夕景は幻想的だった。
最初鼻を突いたアスファルトの香りもすっかり消え失せて雨の臭いがする。
「ねえ月子ちゃん……」
栞はそう言うと短く切りそろえられた前髪を手でとかした。
「なんや?」
「この前のことだけどさ……」
彼女は静かに語り始めた。
雨は一定のリズムを刻むように鴨川に注ぎ込んでいた――。




