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栞の姿はとても朧気だった。
あまりに朧気で、穏やかな川のせせらぎにさえ飲まれてしまいそうだ。
彼女は制服姿で真っ白なセーラー服の襟が音もなく揺れていた。
その様子から川縁では穏やかな風が吹いている事がうかがえる。
私は何も出来ず、その場に立ち尽くしていた。
そこに居る栞はあまりにも儚く見えた。
触れただけで壊れてしまいそうな……。そんな空気をその少女は纏っていた。
彼女はまるで凍り付いた白い花のように見えた。
冷気を帯びながらも美しい……。そんな純白の雪の花――。
「栞!」
健次はそう叫ぶと彼女の元へと走り寄った。
「岸……田……くん?」
栞はゆっくりと健次の方に身体を向けるとそう呟いた。
暗がりで見る彼女の表情はまるで能面でも付けているように無表情だ。
いや、無表情という表現はおかしいかもしれない。
彼女の顔には形容しようがない表情が浮かんでいたのだ。
喜怒哀楽。そのどれにも当てはまらない。そんな表情……。
「お前ほんま心配したんやで! こんなとこで何しとんねん!?」
「あ……。ああ、ごめ……、んなさい」
途切れ途切れに話す彼女の声からは生気が消え失せていた。
たしかに《川村栞》という1人の人間の声である事は間違いない。
でもその声からは栞らしさが完全に消え失せている。
「無事で良かったわ! ほんまに! お前んちの親めっちゃ心配しとったで!」
健次だけはそんな空気を一切読まずに栞に声をかけていた。
でも、この場合それが救いだと思う。
健次までこの空気に飲まれたら、きっと私たちはもっと悲惨な感情に支配されてしまうだろう。
私はそんな2人を遠目に眺めていた。
栞も意識が遠くあるのか、私の姿に気づいてはいないらしい。
「ごめんなさい。今からちゃんと帰るから……」
栞はそう言うと立ち上がってスカートに着いた土を払った。
「ああ、早よ帰った方がええで! てか送ったる! ちょうど月子も来てるからみんなで帰ろう!」
健次のその言葉を聞いた栞の顔つきは目に見えて変わった。
彼女は口を半開きにして、健次の顔を覗いている。
栞はその時初めて私の存在に気が付いたようだ。
健次の後ろに立つ私の姿を見つけると彼女の表情が暗く歪んでいった。
「え……。なんで……」
栞は酷く怯えた声を出し、健次の後ろに隠れた。
「なんやなんや!? 栞どした?」
健次は子犬に声を掛けるように優しい声で栞の頭を撫でた。
栞はガタガタ震えながら私の姿が視界に入らないように必死に耐えている。
栞が怯えるのは当然の事だと思う。
親友だと思っていた人間にいきなりビンタされたあげく罵られたのだ。
怯えない方がおかしい。
「お疲れ栞……。昨日は悪かったな……。ほんまごめん」
やっと絞り出した謝罪の言葉は最高に歯切れが悪かった。
汚くて、愚かで……。そしてそこには打算も含まれていた。
でも私は心から栞に謝りたかった。
何を犠牲にしてでも彼女に許して貰いたかったのだ。
少し間を置いて栞は口を開いた。
「おつかれさま……。こっちこそごめん……」
栞はそれだけ言うと私に深く頭を下げた。
「いやいや! どー考えてもアレはウチが悪かったから栞は謝らんといて!」
私は栞に駆け寄ると彼女を抱き起こした。
栞の体温を肌で感じると互いの感情を共有出来るような気がした。
彼女の心臓の鼓動は恐ろしく早く感じる。
同性同士なのにそこにはセクシャルな感情があった。
おそらくそれは、栞も同じだと思う……。
互いに言葉にはしないけれど、私たちはその感情を共有していたと思う。
「ごめんね月子ちゃん……。本当にごめんね……」
栞はそう言うと私の胸に顔を埋めて大声で泣いた。
「な!? どうしたんや栞? お前ら何かあったんか?」
健次は状況が飲み込めないようだ。
「あー! もー! 全部けんちゃんが悪いんやで!」
私はそんな無意味な八つ当たりをする。
「はぁ!? 何やねんそれ!? 意味わからん!」
「意味なんてあるかい! けんちゃんが悪ければ全て丸く治るんやからそれでええやろ!?」
理不尽な要求だ。
でも健次は文句を言いながらもそれを受け流してくれた。
彼自身。私たち2人に対して後ろめたい気持ちがあったのだろう。
基本的に鈍感で、デリカシーがなくても健次は優しい人なのだ……。
川のせせらぎを聞きながら、私たちはしばらく抱き合っていた。
夜空には不完全な形の三日月が私たちを見下ろすようにぽっかりと浮かんでいた――。




