第9話 アリスと二人きり
1Gの人工重力の環境は快適だった。
俺は毎日八時間、操艦や火器管制のシミュレーション訓練で時間をつぶした。
宇宙パトロール艦コーボルトには人工知能による自動運航をオフにした想定の訓練プログラムが多数取り揃えてあり、しばらくは退屈することなく過ごせそうだった。
アリス、俺、アイザックの順で当直勤務が割り振られ、俺はアリスからの引継ぎを受けて勤務に就き、アイザックに勤務を引き継ぐことの繰り返しだった。
引継ぎといっても、実際の運航は人工知能が取り仕切っており、レイチェルは二十四時間休みなく中央制御室に詰めていたので、『異常なし』と申し送ることがほとんどだった。
火星艦隊との接触まで推定三〇日、月軌道を出発して早くも一週間が経過していた。
「交代の時間です」
俺は中央制御室に出勤するとアリスに向かって敬礼した。
アイザックは堅苦しいのが嫌いだったが、アリスは堅苦しいのが好きだったので、俺は彼女の希望に合わせていた。
「御苦労」
アリスは小柄な体をまっすぐ伸ばして姿勢よく敬礼を返した。
多少目じりが上がった形の良い目は黒目がちで、肌は白く、肌理が整っていた。
仔猫のように愛らしく、性格さえ可愛ければもてるだろうななどとボンヤリ考えた。
「何だ。何か言いたいことでもあるのか?」
きつい視線が俺の目の奥を射た。
アリスはテレパシーでも使えるんじゃないかと俺は思った。
余計なことを考えると必ず厳しい突っ込みを入れてくる。
「いえ、別に」
咄嗟に言い繕うことができなかった俺はもごもごと口ごもった。
アリスは軽く鼻を鳴らした。
「レイチェル、ちょっと席を外してくれないか。廊下で待っていてくれ」
「わかりました。アリス」
そんなことをされたらアリスともめた時に止めてくれる人がいなくなるじゃないかと俺は不安になり、情けない視線をレイチェルに送った。
「では、ごゆっくり」
レイチェルは暖かい笑顔をアリスに向けた。
「がんばってくださいね」
次に俺に意味ありげな視線を送ると小さくガッツポーズをして見せた。
意味が分からない。
レイチェルは何か途方もない勘違いをしているのではないだろうか。
「なんでしょうか」
レイチェルが中央制御室を後にすると俺は緊張しながらアリスに問いかけた。
「アイザックのことだが何か不審な点は見受けられないか?」
確かに軍人としては変わっているが、それ以上の印象はなかった。
「とりたててこれといったものは……」
アリスは俺の心の中を探るようにじっと見つめてきた。落ち着かない気分だ。
「レイチェルに関しては?」
「妙なトークが多いですが、特には……あの、なんでそんなこと聞くんですか」
まるで憲兵だ。アイザックやレイチェルを犯罪者やスパイみたいに扱っている。
いくらなんでも失礼な気がした。
「現時点では、その質問には答えられない」
アリスの表情は硬かった。
俺は内心ムッとしてきつい視線を彼女に返した。睨みあうような状況になった。
睨みあいながら、きれいな若い女性と二人きりなのだから、どうせなら睨みあうのではなく、見つめあう方がいいのになどと考えた。
「一つ言っておく、わかっていると思うがオレはオンナ扱いされるのが嫌いだ」
心を読んでいるのかアリスは急に話題を変えてきた。どきりとした。
しかし、疑問は一つ解消された。だから初対面で俺をあんな目に合わせたのか。
「わかりました。マッチョな装甲歩兵として扱います」
「オレをおかしな目で見ないのは当然として、レイチェルにもおかしな真似はするなよ」
アリスの形のいい目がすっと細くなった。
厳しい注文だ。
アリスにおかしな真似をしないようにするのに特別の努力は要しないが、レイチェルにおかしな真似をしないようにするのには特別の自制心が必要になるような気がした。
なんで、そんな注文を出すのだろう。
まさかとは思うが、アリスはレイチェルに特別の感情を抱いているのだろうか。
俺が妄想モードに入っているとアリスの視線が氷の刃になっていた。
「ほんと、最低な奴だな」
俺はアリスが超能力者であるに違いないと本気で思った。
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