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第五話

 購買へ向かう廊下は、昼休みの熱気で満ちていた。


 友達同士ではしゃぐ声。


 スマホを片手に笑い合う女子達。


 窓の外では、春の陽射しがグラウンドを白く照らしている。


 そんな賑やかな空間の中を、絵里は俊哉と並んで歩いていた。


 それだけなのに。


 胸が落ち着かない。


「……あ」


 前から歩いてきた女子グループが、俊哉を見て小さくざわつく。


「転校生じゃない?」


「普通にかっこよくない?」


 そんな声が耳に入ってきて、絵里はなぜか少しだけ気まずくなった。


 俊哉は特に気にした様子もなく、隣を歩いている。


 その自然さが、余計にずるい。


「どうしたの?」


「え?」


「なんか顔赤い」


「っ!」


 絵里は慌てて前を向いた。


「別に!」


 俊哉は小さく笑う。


 からかわれているわけじゃない。


 でも、その笑い方が妙に優しくて、余計に困る。


 購買へ着くと、すでに人だかりができていた。


「うわ……」


 絵里は思わず声を漏らす。


「すごいね」


「昼休みの購買って戦場だから……」


「戦場?」


「パン買うの遅れると、全部なくなるの」


 俊哉は少し驚いた顔をした後、吹き出した。


「なにそれ」


「本当だって!」


 絵里が真剣に言うと、俊哉はますます笑う。


 その瞬間だった。


 後ろから誰かに押され、絵里の身体がよろける。


「きゃっ――」


 倒れる。


 そう思った瞬間。


 ぐい、と腕を引かれた。


「危ない」


 気づけば、俊哉の胸のすぐ近くにいた。


 近い。


 近すぎる。


 制服越しに伝わる体温。


 柔らかな匂い。


 耳の奥で、自分の心臓の音がうるさいくらい響いていた。


「大丈夫?」


 俊哉が覗き込む。


 その距離に耐えきれず、絵里は慌てて離れた。


「だ、大丈夫……!」


 声が裏返る。


 俊哉は少し心配そうにしながらも、「ならよかった」と笑った。


 その笑顔を見た瞬間。


 胸が苦しい。


(駄目だ……)


 こんなの。


 好きになってしまう。


 購買でパンを買い終えた二人は、人の少ない中庭へ移動した。


 春風が吹き抜ける。


 桜はもうほとんど散っていたけれど、花びらだけが時折風に舞っていた。


「ここ、静かでいいね」


 俊哉がベンチへ腰を下ろす。


 絵里も少し距離を空けて座った。


「俊哉くんって」


 気づけば、自然に名前を呼んでいた。


「あ……ごめん」


「いや、嬉しい」


 俊哉は少し笑う。


 その言葉だけで、また胸が熱くなる。


「俊哉くんは、どうして転校してきたの?」


 何気なく訊いたつもりだった。


 けれど。


 一瞬だけ、俊哉の表情が止まる。


 春風が静かに吹いた。


「……色々あって」


 そう言って笑う。


 でも。


 その笑顔が、どこか寂しそうに見えた。


 絵里はそれ以上、聞けなかった。


 代わりに、俊哉が小さく問い返してくる。


「絵里は?」


「え?」


「楽しい? 今」


 突然の質問に、絵里は戸惑う。


 楽しいか、と聞かれれば。


 別に毎日が不幸なわけじゃない。


 でも。


 家へ帰れば誰もいない。


 スマホばかり眺めて。


 SNSを開いて。


 誰かと繋がっていないと、置いていかれる気がして。


 寂しくないふりをしているだけだった。


 絵里は俯いた。


「……わかんない」


 小さな声だった。


 俊哉は何も言わない。


 ただ、静かに隣にいた。


 その沈黙が、不思議と苦しくなかった。


 しばらくして。


 俊哉がぽつりと呟く。


「俺はさ」


 風が吹く。


「……絵里といると、少し楽」


 その言葉に。


 絵里の心は、音を立てて落ちていった。

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