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夕子 ― 夕暮れの子 ―  作者: りん
episode2 ティーパーティー
20/42

022 ゲーム2

 夕子は目を離さないまま椅子を引いて立ち上がる。親指と人差指をスタンバイさせる。その指が微かに震えている。




「へえ、気づいた?」





 いつのまにだろう。そんな思いが夕子の頭を静かに混乱させていた。まったく気づかなかった。今になるまで意識すらしていなかった。アリスの言うとおり、動きしか目で追っていなかった。だから、なにより驚いた。



 角砂糖はすでに角砂糖じゃ・・・・)なくなっていた・・・・・・・



 丸い。歪な丸。とても小さい。丸み帯びた何か。


 それもそうだ。強い力でこう何度も弾かれているのだから、少しずつ削れていっても不思議じゃない。集中力を切らさないかぎり終わることのないと思っていたゲームは、いうなれば時限爆弾付きで、もっといえば時限爆弾そのもので遊んでいたわけだ。そんなことにも気づかなかった間抜けな自分はさぞかしアリスを楽しませたことだろう。





「できるの?」

「とりあえず……バカ子はやだし」





 迷っている時間はない。あと一度弾くだけでいい。そしたら丸砂糖はアリスの元に届く前に粉々に砕け散るだろう。いくらアリスとはいえ、その残骸を弾き返すのは不可能なはずだ。つまりそれが意味するのは、





「返したら、君の勝ちだよ」





 くそっ、と夕子は唇を噛む。見なくともわかった。微かな笑いの混じったハスキーな声は余裕たっぷりで、アリスは絶対にそうならないと確信しているのだ。



 焦る気持ちを振り払うように、夕子は顔をこわばらせたまま全神経を研ぎ澄ませた。呼吸を整える。目標を見据える。速い。どんどん速さを増していく。残り七メートル……五メートル……夕子は祈る……三……一……今だ! ぶんっと風が唸る音がした。突風が駆け抜けた。夕子の黒い髪とアリスの金色の髪が浮いた。




 一瞬の間。




 夕子はそうっと息を吐き出し、じんじんする二つの指にもう片方の手を添えて、それからまぶたを下ろした。この結末を噛み締めるような、あるいは堪えるような、そんな無言の時間がしばらく続いた後、





「惜しかったね」





 アリスがそう洩らした。


 その言葉にやっと夕子は現実を受け止めた。昂ぶる感情を抑えるようにふーっと長々と息を吐いて、吸う。サクサクとした小気味いい音が聞こえる。





惜しかった・・・・・?」

「睨まないでよ」





 言いながら、アリスこそ鋭い目つきをした。おもわず夕子は視線を足元に移し、乱れた髪をゆっくりと耳にかけた。足音が近づく。夕子は最後にもう一度深く息をついた。その直後、眼下の青々とした芝生に影が差すとともに、足音が止まった。

 縦に伸びた人影が、陽気な口調で言う。





「やあ、素敵なティーパーティーだね」





 なにをぬけぬけと――と思ったのは夕子だけではなかったらしい。ふん、と鼻を鳴らす音が正面から飛び込んできた。





「いったいなんのお戯れで?」





 アリスにしてもさすがに不満を隠しきれなかったようだ。ふだん夕子に向けるような冷たい声をその相手に向けるのを、夕子は初めて聞いた。





「どういうつもりですか、グイド様」

「おや? もしや私は歓迎されてないのかな。それは失礼したね」

「それでは故意ではないと?」

「故意とは?」





 とぼけた調子でグイドは訊き返す。それからアリスの答えを待たずに、流暢に説明しはじめた。





「廊下を歩いていたら窓から君たちの姿が見えたものだからね。ぜひ挨拶にって思ったのさ。三時のお茶にもぴったりだ。それにどうやら面白そうなゲームをしてるようだね。せっかくだから私も混ぜてもらいたくてね」

「ちょうど終わったところです」

「それは困ったね……。では、今度は三人で第二ゲームなんてどうだい。私が勝った暁には君たちにデートに付き合ってもらおうかな。ふふ、きっと楽しいはずだよ」





 飄々ひょうひょうとしたその物言いに、テーブルの向こうのアリスが軽く息をつく気配がした。鋭かった空気が元に戻っている。やっぱりアリスはグイドが好きなのではないのかと、こんなときなのに夕子は考えてしまう。

 それを見透かしたのか、はたまた偶然か、夕子の右肩を大きな手が軽くつかんだ。





「それで――お嬢さんの方はどうしたのかな?」

「……だったのに」

「ふむ?」

「あとすこしで、アリスを追い出せたのに……」





 じとっと睨み上げてみせれば、太陽に背を向けて銀色の髪をキラキラ輝かせたグイドが、ひどく驚いたように眉を上げてみせる。ばかにしやがって、と夕子はグイドの手元に目を向ける。



 そこに、丸砂糖はあった。



 奪われたのだ。どうやったのかは知らないが、やはり邪魔したのはグイドだった。弾いたのにその感触がなかったので、もしやとは思っていた。


 光を集めてキラキラする小さな砂糖をグイドは微笑みながら自分の口に運んで、ほんの僅かにその微笑を崩した。





「ごほんっ……うん、やはり甘いね。時に夕子――君に提案があるんだ」

「嫌な予感するんだけど」

「どうやら君は自分の名前に不満があるようだね。もしよければ、新しい名を私が授けたいと思うのだけれどいいかい?」





 ふうんと鼻白んだようにアリスがテーブルに両肘をついて、グイドと夕子を交互に見た。グイドはにこやかな笑顔でアリスに向けて手を上げる。

 夕子はグイドを一瞥すると荒々しく椅子に腰かけた。





「絶対やだ。断固拒否。反対」

「夕子、君は優子になれなかったコンプレックスがあるらしいね。人間を滅ぼしてしまった負い目を感じてる。しかしこういうときこそ逆転の発想だよ」

「私の意見!」

「私が思うに――君は人類に優しいのではなく、私たち吸血鬼に優しい。そこで、とっておきの名がある。まさに君にふさわしい名前だ」

「なに? けっきょく優子ってオチなの?」





 べつに今さら優子になりたいわけではない。人類に優しくなかったのは事実だし、だからといって吸血鬼に優しいわけでもない。というより、優しくしたいわけでもないのだ。だからグイドには悪いけれど断らせてもらおう。どっちにしろ勝負は引き分けなのだから――。

 そう思い、顔を上げた夕子はすっかり忘れていた。グイドはグイドなのだ。そして最近のグイドといえばすこぶる趣味が悪い。


 グイドはおもむろに自慢の美しい髪をかきあげると得意気に胸を張り、そして声高らかに宣言する。





「君は吸血鬼――つまり鬼に優しい子だ。よって今日から夕子改め、鬼子と名乗るといいだろう」

「うん。死ねばいいのに」





 五月の冴えた青空の下で、アリスの嫌味と夕子の怒声がしばし響き渡った。



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