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スタンダード

「なんかもうひとつ手ごたえなかったな」

 ピッチから引き上げる際、横浜の司令塔中室は、和歌山の選手たちに対して少し落胆していた。

「なあキヨシ。あれがあいつらの実力か?」

 後半からピッチに投入されるために、ロッカーに向うイレブンについてきた若手フォワード有川貴義に、中室は声をかけた。有川は昨シーズン所属した尾道で和歌山と対戦した折、そのポテンシャルを実感している。

「まあ、俺も正直あきれてますよ。たぶん去年以上にスケールアップしているはずなんですけど、ほら吹きになっちゃいましたね」

 1年ぶりに和歌山と対戦するとあって彼自身も出場を楽しみにしていたが、ピッチから見ても拍子抜けしていた感は否めなかった。ただ、有川は自信ありげに付け加えた。

「でも絶対これで終わる連中じゃないですよ。たぶん後半見せるのが、あいつらのスタンダードですよ」

「そうあることを期待したいね。いまどき日本じゃ珍しいからな。ノーガードで相手をフルボッコにかかるチームなんてよ」





 一方、前半で大差をつけられた和歌山イレブンのロッカールームは意気消沈…という雰囲気ではなかった。むしろ、喜々として自分のやられようを話していた。

「やっぱ長えこと日本代表でやってただけあるぜ長沢さん。この俺がまるで自由にできねえんだぜ」

「それよかすげえのは中室さんだよ。まだまだ代表でイケるよ。キレッキレだもんさ」

「マルキネスさんのゴールへの嗅覚ってすごいよ。キーパーにとってつねに嫌なシュート打ってくるし、ポジション取りも上手いよな」

 まるで修学旅行の大部屋のような、負けているとは思えない緩い空気がロッカールームに流れていた。


「けっ。なんなんだこいつら。ボロ負けしてるってのに…」

 剣崎たちの様子を、佐久間は眉をひそめて吐き捨てた。対して内村は「いや、アリなんじゃないの」と言って佐久間をなだめる。

「ボロ負けの現実に打ちのめされて、黙り込んでるよりは全然いい。それに、思いを吐き出す度に目はギラついてきてるぜ。このままじゃ終われないってな」

 内村の言葉どおり、剣崎たちの会話は次第に熱がこもり、思いのたけを互いにぶつけだす。

 その頃あいに、竹内たちがロッカールームに入ってきた。

「なんだよトシ。オッサンは?」

「監督にオッサンはないだろ剣崎。『このハーフタイムは君達のものだ』って、監督はベンチにいるままだよ」

 苦笑いを浮かべながら、竹内は指揮官からの伝言を伝える。といってもそんなに多くはない。桐嶋、小西、王に代わって関原、自分、鶴岡がそのままのポジションでプレーするということがまず一つ。そしてもう一つ、たった一言。

「反撃開始。タダで終わるな、だってさ」






 後半開始から三人の交代がアナウンスがされると、スタジアムはもちろん横浜のベンチ首脳陣、ピッチに立った選手たちも少なからずどよめいた。

 さらにピッチに戻ってきた和歌山イレブンの顔つきに、中室はふーんと頷いた。

「キヨシ」

「はい」

 マルキネスと交代で入った有川に、中室は言った。

「ほら吹きにならずにすんだな。後半はおもしろいことになりそうだ」

「…はい」






 試合終了のホイッスルが響くと、スタジアム全体からため息が上がった。スコアは3−2。和歌山は後半から投入された選手が起点となって反撃。開始間もなく竹内のセンタリングを、剣崎が長沢を背負いながら頭で合わせてまず一点。半ばには関原のロングフィードを鶴岡が落とし、駆け上がってきた猪口が渾身のミドルシュートを放ち追加点。その後は守備的な選手を投入して横浜が逃げきったのだが、前半とはまるで違う内容だった。


 ただ、スタジアムに包んだため息は、大多数の横浜サポーターの逃げきった安堵でも、ごく少数の和歌山サポーターの「惜しい」という悔しさでもない。稀に見る死闘が終わってしまったことへの残念さだった。

「なんか、疲れましたね」

 試合後のインタビューでの中室の第一声である。

「前半と後半で全く違うチームになってたんで、ちょっとヤバかったんですけど、まあみんな落ち着いて対応できてたんで、焦りとかは実はそんなになかったですね」

 中室の言うとおり、後半の和歌山は前半とはまるで違うチームてなって戦えていた。ただ、百戦錬磨の横浜はリードしたあとのリスクマネジメントに長けていた。和歌山が差を詰めるほど戦い方を明確にし、ゴールへの堅固な壁を築いた。並行してカウンターもより鋭利なものになり、それが最終的に逃げ切られる結果となったのだ。


「もっと早い段階でギア入れてりゃね、よかったと思うんすけど。まあ今だから良かったっすね。ただ次のリーグ戦とか、こっから先の試合とかじゃ、こんな戦いしてちゃ駄目なんで。もっともっと自分を磨いて、これからも戦います」

 同じようにインタビューを受けた剣崎の言葉が、和歌山イレブンの総意だった。




 昨年よりも早く一年が終わることは、この試合で決まってしまった。

 ただ、あとは何も考えず一戦必勝を貫くのみとなった。


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