今の現実
「そらよっ!!」
剣崎が右足を振り抜き、キーパーの腕をかい潜って、ボールはゴールに突き刺さる。今シーズン、いやこの背番号9が和歌山のエースに君臨してからの2年弱、何度となく繰り返された光景だ。昨年はただがむしゃらに、ひたすら数を重ねるだけだったが、今はJ1昇格とJ2優勝を実現するカウントダウンとなっていた。
前節大阪戦の翌日に公表されたJクラブのライセンス。アガーラ和歌山は、本拠地紀三井寺陸上競技場の設備面について若干の指摘を受けたものの、無事にJ1ライセンスを取得。昇格への最大の障壁が取り払われたのだった。
選手にとっても、一番のつっかい棒がとれたことでプレーにもいい影響が出た。遠路はるばるやってきた札幌を、剣崎、小西、佐久間のゴールで退けた。加えてこの日、ライバルの大阪が最下位鳥取に金星を献上。最高の形で天翔杯の中断を挟んだのだった。
ただ、この時期になると、選手個人の周りが些か騒がしくなる。特に若い有望株を多数抱える和歌山は、ヘッドハンティングの噂が後を絶たない。ルーキーイヤーは「旧式」と酷評された剣崎も、J2とは言いながら2年連続の30得点で得点王濃厚という数字を残したことで、ストライカー不在のクラブからのオファーが届く。「どんなボールでもシュートに持ち込めること」が一番の魅力として写っている。とどのつまりは点取りゲームであるサッカーにおいては、点が取れるのは今も昔も未来も絶対の武器だということを、剣崎へのオファーから読み取れる。
「大宮、東京、横浜、名古屋、浦和…豪勢なメンツだね。しかも全部うちが剣崎に払ってる給料と一桁違いだ」
GMの今石はオファーを整理しながらぼやく。無論、すべて数千万単位だ。
中でも驚かされたのは名古屋からのオファーだ。今の剣崎はA契約で500万円だが、名古屋はなんと年7千万の3年契約を提示。14倍の金額だ。キーパー楢垣、センターバックのマルコス中田の億単位プレイヤーを筆頭に、多くの高額年俸選手を抱えながらの好条件は、世界的自動車メーカーのバックアップがあるからか。
「まあ、今の剣崎にはそれなりの価値を付けられるってことだな。あいつも成長したってことだわな」
さて10月16日。J1昇格が徐々に現実味を帯びる中、今の実力を試すにはうってつけの天翔杯3回戦。
三ッ沢競技場にて、横浜ネオマリナーズとの一戦だ。
日本有数の歴史あるサッカー場は、臨場感と周辺に住宅が建ち並ぶ庶民的な空間が売り。試合前から盛り上がりを見せており、ゴール裏、メインスタンド、バックスタンドと三方は見渡す限りのトリコロールカラーで彩られた。
「ずいぶんでけえ床屋だな」
ピッチに出てきた剣崎の第一声に佐久間が吹き出す。
「言われてみりゃあそうか。しかし、初めてだな。そんな表現する奴は」
「翔さんにとっちゃ、古巣対決だもんな。気合い入るかい」
「まあな。格の違いはあるだろうが、今の俺達ならそれなりの試合はできるだろうよ」
スタメン
GK1天野大輔
DF7桐嶋和也
DF23沼井琢磨
DF5大森優作
DF11佐久間翔
MF2猪口太一
MF3内村宏一
MF10小西直樹
MF8栗栖将人
FW9剣崎龍一
FW46王秀民
この試合、和歌山は中9日でコンディションをある程度調えられたのに対し、横浜はJリーグ杯準決勝から中3日。日程的に不利な立場ながら、ベテランを中心にほぼベストメンバーで胸を貸してきた。そして試合は佐久間が言った格を見せ付けられた格好になる。
「くあっ!!」
天野が懸命に左手を伸ばすも、ボールは遥かに速くすり抜けてゴールに突き刺さる。前半40分で早くも3点目を献上した。
「くそ…。これがJ1で優勝するレベルの力か。疲れで隙が生まれると思ったが、甘かったか」
ボールを蹴り出しながら、天野は唇を噛み締めた。
先制点を含む2ゴールを記録したエースストライカーのマルキネス。司令塔として縦横無尽にタクトを奮う中室修介と、剣崎を手玉に取るセンターバックの長沢佑三の元日本代表2選手、さらに不惑を過ぎながらなお強靭さに磨きがかかる左サイドバックのデルトレを筆頭に、平均年齢アラサーのベテラン集団は、年期を重ねた技術に加えて、それを感じない豊富な運動量で攻守ともに若い選手の多い和歌山を圧倒した。大の負けず嫌いである剣崎も、長沢の技術を前にぐうの音も出ない有様。前半終了のホイッスルが響いてロッカールームに引き上げるとき、和歌山の選手たちの表情は重苦しかった。
その後を追おうとした松本コーチは、ベンチから立ち上がらないバドマン監督に声をかけた。
「監督、ハーフタイムの指示、出さなくていいんですか」
しかし指揮官は首を横に振り、ピッチでウォーミングアップする控えの選手を見たまま答える。
「このハーフタイム。選手たちの自由にさせよう。今の彼らにはこの屈辱を飲み込む時間が必要だ」
「それはそうかもしれませんが・・・。この試合、まだ捨てたわけじゃないでしょう」
戸惑う松本コーチに、バドマン監督は振り返らず、諭すように答える。
「我々は独走こそしているが、所詮はJ2と言う井の中の蛙に過ぎない。来シーズン、J1で戦う上でトップクラスのクラブの力を体に覚える必要があるのだよ」
「一理ありますが・・・。後半に向けて何か指示しなくていいんですか」
「心配ない。君が思っている以上に、あの若人たちはたくましい。私はもう一度挑戦する彼らの背中を押すだけさ」
そう言って立ち上がると、ピッチで控えの選手に指示を出す宮脇に伝えた。
「関原、竹内、鶴岡を呼んでくれ。伝えたいことがある」




