櫻井の片鱗
主審がホイッスルが響かせ、センターサークルの中から大阪のフォワード櫻井が後ろに蹴りだした。受けた新藤は周りを見渡した。
「さあてと。ちょいと猫だましでもかまそかい」
ニヤリと笑って、新藤はまず左サイドにパスを出す。それをサイドバックの春日が受け、そのまま攻め上がった。昨年の大阪にとって、春日の突破は両刃の剣だった。多くのゴールを演出する一方で失点の原因にもなった。
それが頭にあったから、スタメン起用の結木はすぐさま春日を潰しにかかった。
迫ってきた結木に対して、春日はいたって冷静だった。フォローにきた宇治木とのワンツーパスでかわす。
「一年も弱点ほったらかすわけないやろっ!このまま仕留めたるっ!」
春日は走りながらゴール前にクロスを飛ばす。これを長身の佐藤田が大森と競り合う。高さの勝る大森がクリアしたが勢いがない。友成が「セカンドっ!」と叫ぶまでもなく、両軍の選手が肉に群がるハイエナのようにボールを追う。
一番早く反応したのは江川だった。櫻井よりも一歩早くボールを拾い、フォローにきた長山がパスを受けてクリアした。
「エガ、ナイス反応っ!」
友成は手を叩いて江川を褒め、すぐに鋭い目つきで結木を怒鳴った。
「千裕っ!もっと周り見ろっ。それじゃボールウォッチャーと一緒だぞっ」
この後も、大阪の猛攻は続く。やはりリーグ屈指の攻撃力は本物である。決して堅守と言えない和歌山の守備の合間を面白いように縫い、再三ゴールに迫る。そこで踏ん張ったのが二人のセンターバックだ。出場停止から復帰した大森が空中戦で主導権を握れば、スタメンに抜擢された江川も素早い反応でセカンドボールを拾ってピンチの芽を摘んだ。
「そろそろ反撃しよ。竹内、頼むよ」
前半が10分を過ぎた頃、江川からボールが竹内に渡った。
「今日はお前が相手か。まさか首位攻防で付け焼き刃とは、ナメられたもんだな」
竹内と対峙した大阪のボランチ行神は、挑発するようにつぶやいた。
「お前の監督はなかなかのアイディアマンだろうが、果たしてうまくいくのか」
行神の言葉に、竹内は引き締めた表情で言い返した。
「でも、自分の采配に責任を持ってますし、選手を全身全霊で褒めてくれますからね。やり甲斐はありますよ」
「そうかい。だったら、裏目にしてやらないと、厄介になりそうだな」
そう言うと、行神はボールを奪いにかかる。竹内は冷静にかわし、栗栖に鋭いパスを通す。
襲い掛かる元日本代表サイドバックの久慈とのマッチアップを避けるべく、ダイレクトでこのボールを中央に折り返す。これにチョンが反応していた。
「行け、千裕!」
チョンもまた、このボールを右サイドに。受けた結木は素早く仕掛け、大阪のゴール前の守備が固まる前にクロスを打ち上げた。
(今日の2トップなら、多少の数的不利も大丈夫だっ)
そして結木の予想通り、ファーサイドの鶴岡が折り返すと、それを剣崎がシュートの体勢に入る。だが、打てなかった。現役日本代表のセンターバック今田の対応にてこずったままでミートできなかったからだ。ミスショットしたシュートは高く浮いてゴール裏席に消えていった。
「ちっきしょぉ、やるじゃないっすか。今田さん今日絶好調っすね」
「現役代表をなめんなよ。いい加減同じような相手に苦労してられっかよ」
しばし火花を散らす両者。剣崎はそれでも自信満々に言い放つ。
「それでも俺は今日ゴール決めてやっかんな。代表だろうが関係ないっすよ」
その剣崎の態度に、温厚な今田も内心穏やかでない。自分が見下されていると感じたからだ。
静かなようで時折どよめきが起こる好ゲーム。一進一退とも言えたが、和歌山の選手たちは緊張感を高めていた。
まだ櫻井がベールを脱いでいないからだ。
「さぁて。そろそろ仕掛けたいなぁ。新藤さんパスくれないかなぁ」
ふらつきながら櫻井はそうつぶやく。体は自然体だが、目つきは今か今かと襲い掛かる瞬間を待つ猛獣だった。
「やっぱ自分からもらいに行こ」
すれ違いざま、大森にそうささやいた櫻井は、そのまま自陣へと帰っていった。
「自分からもらいに行く?そんなにポジション下げてどうすんだ?」
櫻井の不可解な行動に、大森は首を傾げるだけだった。だがすぐに、彼の凄さを思い知る。
「新藤さぁん、パス」
まるで、そこのしょうゆ取って、のようなノリで櫻井が声をかける。新藤はその声色と櫻井がボランチの位置まで下がってきたことに驚いた。
「おっ、お前なんでこんなとこおんねん」
「だって前にいてもヒマなんで。誰もパスくれないし」
「だからってここまでくることないやろ」
そう言いながら、新藤はパスを出す。受けた櫻井は振り向きざまにつぶやいた。
「大丈夫、大丈夫。こいつらザルだから」
その殺気に気づいてチョンが対応に入ろうとした瞬間、もう遅かった。櫻井はボールを持つや、そのままドリブルを仕掛けた。
そして櫻井は、ポテンシャルの一端を見せつける。チョンを振り切ると、まるで遊びのように駆け上がる。関原を華麗なターンでかわせば、長山のスライディングをジャンプで飛び越え、さらに大森を嘲笑うように股を抜き、あとは友成だけという状況まで持ってきた。
大阪のサポーターにも、和歌山のサポーターにも、ゴールの瞬間が容易に想像できた。
だがそれは覆された。
江川が強烈なタックルを仕掛けてボールを奪い取った。下手すればファウルを取られそうな一撃だったが、今日の審判の目は正確のようで、足がかかっていないと的確に判断。ホイッスルはなかった。
「ちぇ。相変わらずやるじゃん。そんなガリガリの体でさ」
櫻井は江川を讃えながらゆっくりと立ち上がる。ガリガリと言われたのは少しショックのようで、江川は愚痴る。
「まだガリガリか…もうちょっと鍛えないとなぁ」
「あのセレクションのときと比べりゃゴツくはなってるよ。まあ、4年たてばさすがに鍛えるよな」
「次もとめるよ」
「次は抜かせてもらうさ」




