おごりなし
櫻井のごぼう抜きは、間一髪で阻まれた。きわどいプレーだっただけに大阪の選手たちは抗議の声をあげたが、櫻井自身が味方をたしなめた。
「皆さん、気持ちはわかりますけど、審判は絶対ですよ。未練がましいじゃないですか」
「お、おまえなぁ…いいのかよ」
「時間の無駄遣いはよしましょ。サッカーの時間は人生と同じで限りが有るんですから」
止められた本人がここまで潔くては、選手たちも抗議を止めた。
ただ、櫻井自身は判定には納得していたが、止められたことには納得していなかった。
「あの5番は楽勝だったけど、江川はヤダな。俺のリズムに合わないし」
一度首を回し、天を仰いでフッと息を吐いた。
「なんとかあいつを切り離さないとな」
この試合中、苦しめられるであろう江川の攻略方法を、櫻井は頭を巡らせるのであった。
「リズム、ですか…」
その頃の和歌山ベンチ。松本コーチは江川起用の意図を改めてバドマン監督に聞いていた。単にここ最近の好調ぶりだけが、起用の理由とは思っていなかったからだ。そして指揮官の答えは「櫻井と江川はリズムが違うから」だった。
「サッカーに限らず、あらゆるスポーツにおいてリズムは非常に重要な要素を持っている。味方との連携が不可欠なチームスポーツであるなら尚更。個人技を発揮する上でも同じようにね」
「逆にディフェンスであれば、それを狂わせる選手を使う。それで江川を…」
「まあ、ここ最近の好調も影響しているよ。もし彼がダメなら内村を使うつもりだったよ」
「しかし、そこまでして櫻井ばかり意識するのはどうかと思いますけど」
「確かに。だが、ガリバー大阪がこのJ2という別世界で本領発揮に至ったのは、間違いなく櫻井のおかげだ。用心に越したことはない」
「まあ、あんなプレー見せられましたしね」
そして松本コーチは、ついでにともう一つの策、コーチ陣も寝耳に水だったボランチ竹内の意図も聞く。だが、バドマン監督の返答は絶句ものだった。
「今朝夢を見たんだ。竹内がボランチとしてピッチに君臨する夢をね。ハハハ」
松本コーチの頭は真っ白になった。
「というのは冗談だが、猪口、久岡が使えない状況ではベストだと判断したのさ。小西でも良かったのだが、バランスを取れても相手の脅威にはならないからね」
「脅威?」
「まあ、これ以上話したら面白みに欠ける。じっくり見ておいてくれ。手品の種は観客が解決するものさ」
一方、ボランチに起用された当の本人は、徐々に戸惑いが消え、自分のできるプレーを活かしながら、その存在感を強めていった。
(司令塔って面白いな。前にも後ろにも味方がいるから、パスの選択肢が多い。その分ピッチを俯瞰できなきゃダメなんだろうけど、なんか今日はあちこちがよく見える)
竹内が手応えを感じはじめたのに呼応して、受け手の剣崎や結木の動きが目に見えて良くなった。櫻井によって一度は大阪に傾きかけた流れが、再び均一になってきた。
「流れ、戻ってきたな。そいじゃ、反撃すっか。トシっ」
ここが勝負所と見定めた栗栖が、竹内にパスを要求。竹内も同感だったようでどんぴしゃりのタイミングでボールを受けれた。すぐさま久慈が対応に来るが、栗栖はすぐに前線に蹴り出す。
ワンタッチで前線まで繋がった和歌山の速攻は、大阪のディフェンダーたちに守備の陣形を整えるための時間を与えなかった。キーパーのコーチングも間に合わず、剣崎はほぼフリーでボールを受けることができた。
「こいつあもらったあっ!!」
剣崎は迷わず左足を振り抜いた。ボールはキーパーの脇の下を抜けるが、ポストに当たってはじかれる。
「げっ!・・・っておっ!」
「・・・助かっ、たぁ?」
剣崎と今田は、同じように声を上げた。そのニュアンスは若干違う。
どういうわけか、それが剣崎のほうに跳ね返ってきたのだ。
「こんどこそっ!!」
戻ってきたボールを今度は右足で逆方向に振りぬく。飛びつきで横たわっていたキーパーに、もう一度反対方向に飛ぶ体勢は整っていなかった。
が、もう一度ボールはポストにはじかれ、今度は剣崎を嫌うようにペナルティアーク(ペナルティエリアのラインにあるだ円の出っ張り)の前に飛ぶ。そこに竹内が詰めていた。
「このっ!!」
竹内が打ったシュート、今度はちゃんと入った。
先制点だった。
そばにいた味方は一斉に竹内に抱きつき、ベンチも選手が両手を突き上げて叫び、何よりバドマン監督がはしゃいだ。
ただ歓喜の輪が溶けると、和歌山イレブンは再び戦うための表情に戻っていた。それを、櫻井は笑った。
「へえ。舞い上がってねえじゃん。歴史が浅い癖にねぇ…。こりゃ本気で潰しにかかんないとね」
「剣崎、残念だったな。お前が決めれなくてさ」
ポジションに戻る途中、竹内は剣崎にそう声をかけた。
「いいってことよ。おめーは監督に訳わかんねえことされてんだろ。いまのゴールはその駄賃って考えてりゃいいさ。それよりも、もっと点取ってくぜトシ。あいつら強えからよ」
「ああ。そうだな」
和歌山の選手の共通意識には「俺達は首位に立つ器じゃない」というものがあった。それを声高に叫んだのは、多くのクラブで修羅場をすごしたマルコスだった。
「上にいるチームが忘れてはいけないこと、特に俺達みたいな恵まれてはいないクラブが生き残るためには、相手の強さ、地力を理解し忘れないことだ。『勝ったほうが強い』なんてのは終わった後の屁理屈にすぎないんだ。例え自分が有利になろうとも、ライバルへのリスペクトを忘れたら、必ず転げ落ちる」
開幕前、今石GMがマルコスを獲得した理由が修羅場の説得力だ。この大一番で最も発揮されたと言ってよかった。
「さあてもっと点取るぜ」
剣崎は再び前を向いた。




