【#Prologue 八月一日のアドミニストレータ】
夏の風物詩と言えば蝉の声?
マニアックに滴る汗か?
渋く朝顔の観察とか入れてみるのもいいかもしれない。
ともすればこんな、現実逃避に近い感慨に耽りたくもなる。
そんな吐く息も焦げ付く夏。
「もし仮に――君はここにしか存在しないと仮定する」
窓からの日差しはジリジリと、肌を焼こうと攻めてくる。しかしその様な武力介入には屈しないとばかりの声音で、教室内に不議七思の仮説が木霊する。
彼女は振り返ると共に、首のチョーカーに取り付けられた不思議な形の装飾品をリィンと鳴らした。
「この世界は私が見る一炊の夢であり、君は私が作り出した夢の中の住人と言う訳だ」
そう言って七思は僕を指さす。
あまり人を指さすものじゃありませんよ七思さん。
その動作に合わせてチョーカーがリィンと音を発する。自信ありげな宣言を後押しするかの如く、呼応するかの様に、外のグラウンドで野球部の歓声が響いた。
僕はというと、七思の説明を聞いているかのような表情で。
「はぁ、そうですか」
聞いていないかのような声を出す。
さて皆は、夏の風物詩として何を上げただろうか?
恐らく僕は、この奇想天外、摩訶不思議な女子学生に占められる事だろう。
黒板の前にて長い黒髪を振り乱し、一心不乱に独自仮説をまき散らす、何処か思考の一部が次元を超えていそうな美少女こそ不議七思。
この夏に出会った、忘れられない僕の風物詩である。
「そう仮定するならば、私はこの世界の管理人であると考えられる」
「そうですか。で、七思さんが管理人だとどうなんですか?」
とりあえず適当な相槌で、電波な会話を受け流す。スルースキルってやつだ。
「その場合、この世界は私にとって都合のよい事しか起きない」
「そうですかね? 現状がもうすでに悪夢のようになっちゃってますけど」
外気を取り込むようにシャツを扇ぎながら、僕の適当な返事が教室に溶けて消える。
とにかく暑いのだ。
熱気の籠った七思の弁論も確かに熱い。講釈の時間も厚いのだが、しかしそれにも増して室温がやばい。そう、噎せ返るような夏なのだ。
返事と思考も疎かに、会話と対話も蔑ろに、むしろ今すぐ帰って家に籠ってエアコンをフルパワーにして寝転がりたい。そんな欲求に駆られる夏休み。
何故こんな理想とは真逆の、冷房器具一切無しという灼熱地獄に僕は居るんだろうか。
無論理由は判っている。
これが僕に出来る唯一の脱出手段であるからだ。
何から脱出するのかと聞かれたら、この夏休みからと答えよう。
「では君の言う悪夢とは何か?」
「え?」
唐突に問い質され、言葉を詰まらせる。
「ええっと、そりゃ見たくない夢とか薄気味悪いのとか」
悪夢の定義って何だろうか。
最近見た夢だと、遅刻したと慌てて起きたらなんだ夏休みだったとかあるけど。そういうのも悪夢に入るのだろうか。
そして全然手の入っていない宿題とかは、月末あたりナイトメア筆頭候補ではあるが、そう言うのは含まないような気がする。
「大概の悪夢と呼ばれるモノは、心的要因や外的要因が大きく関与しており、それによる不快感から生じるものだ」
いけない、掘り起こさなくてもいいお盆の魔物に囚われかけてしまった。
「なるほど、つまり君にとって現状は不満か」
「そうですね」
魔物を振り払おうとするあまり、七思の言葉に僕はいい加減な返事をしてしまった。
まだ暫く、宿題という名のパンドラの箱は閉ざしておくべきだろう。最後に希望なんぞ残るわけもなし。
「そうか……私と一緒にいるのは不愉快か」
不意に七思は、僕から目線をそらして部屋の隅を見つめだす。
「いえそういう意味では……」
適当な返事が、彼女の機嫌を損ねてしまったらしい。
「そうか私と一緒には居たくはないというわけか」
なんか口調が棒読みだし。
「なんか悪意ある方向に曲解してません!?」
七思はついにリィンとこちらに背を向けてしまった。
しまった。超適当に相槌をうっていた所為で、僕の台詞の何処に彼女を傷つけるNGワードが含まれていたのかわからん。これではフォローの言葉も挟むに挟めない。
考え込むように押し黙っている七思に、僕はどう声をかけていいものか。
凛と静かに立ち尽くす彼女の後姿は果たして、怒っているのだろうか?
悲しんでいるのだろうか?
失言に慌てふためく僕をせせら笑っているのではあるまいか?
僕が苦悩していると、こちらのアクションを待たずに、リィンと七思がこちらに向き直った。ついでに機嫌も直ってくれると助かるのだが。
「では君は、私と一緒に居てもそこまで不快ではないと?」
「はいそうです」
ここで押し黙ると面倒くさいので、すぐさまに返答する。
「繰り返される日常で私に会う事が唯一の清涼剤であると?」
「いやそこまでは……いえ、はい」
七思の眉が若干吊り上がったので、これも肯定する。
するとようやく七思は、フフフと機嫌良さそうな笑みを零した。
もしくは滑稽な僕の有様を鼻で笑ったのかもしれないが。
「ならば、私ではなく君が管理人なのかもしれないな」
「え、そうですかね……」
よく話を聞いていなかったので、また否定的な事を言いかけた時。
不意に七思がチョーカーを鳴らすほどの勢いで、僕との距離を詰めてくる。
僕の視界一杯に七思の顔が近づいて、そして触れるほどの距離で彼女の言葉が綴られる。
「もし仮に――君が管理人だと仮定する」
ふわりと、彼女の甘く清涼感のある香りが漂う。
次の瞬間には、僕と七思の間に距離が生まれる。
「私は君という管理者が作り出した疑似人格に過ぎないという事になるな」
その距離は物理的な距離というよりはむしろ、言葉の響きに含まれた心理的な距離に近い。
夏の日差しによって隔てられた、日向と日蔭。
モノクロな境界線。
「私は君の認識下にしか存在せず、現実には存在しない架空の人物という事になるな」
「七思さんは現実に存在していますよ」
「本当にそうかな?」
唐突に七思に見つめられ、その瞳が持つ気迫に一瞬気圧される。
目の前に存在する人物が不意に足元からパラパラと崩れ、無数のワイヤーフレームと化して消えてしまう様な。
目が覚めたら一人ぼっちの教室で独り言を呟いている様な。
真夏の夜の夢、白昼夢の蜃気楼、そんな悪夢が見えてくる様な。
底知れない瞳の問いかけに、僕は気合を入れて答える。
「不議七思は実在します」
「それは君の認識の中だけだ」
再びの眼力にも、負けないように声を荒げる。
「ここにいますって!」
そういって、七思の肩に手を伸ばす。
「それは[ここ]の中だけだ、現実には居ない」
今日の七思の仮説は嫌にしつこい。少し強めに反論する。
「ならば現実で見つけて見せますよ」
「どうやってさ?」
「ここを抜け出してです」
この繰り返される八月一日を抜け出して。
「いい答えだ、ならば諦めるな」
そう言って七思は僕の手からすり抜ける。
「君の認識が世界を閉ざす」
僕等は閉ざされている。
「君が諦めない限り、チャンスはある」
「僕らが、でしょう?」
僕と不議七思、二人だけの終わりなき夏休み。
「そうだな」
また明日も、今日が始まる。




