春の雪解けをあなたへ
春の日差しが心地良いその日は、国中が歓喜に賑わっていた。
それは長い間病床についていた国王、シュタルヒ・アクアフィールが遂に全癒したとの祝祭だった。
青空には色とりどりの花びらが舞い、宮廷音楽団が壮大な音楽を奏でていた。
半円状に外へと突き出たバービカンに国王シュタルヒは立って、国王の再帰に喜ぶ民衆達に手を振っていた。これまで見てきた生気をない姿とは違い、今のシュタルヒは血色もよく生き生きとして、まるで別人のようだった。そんなシュタルヒから一歩退いてルカとラゼル、そして護衛としてグラムが立っていた。
シュタルヒは凜とした声で言う。
「今まで長い間、我が国の民に心配をかけ続けた。だが薬術の国シン王国の手によって、私はここまで回復することができた。シン王国の女王、ユキヲ・カミカゼにはこの場を借りて改めて感謝する」
シュタルヒはそう言うと来賓席にいる女王ユキヲを見た。ユキヲは美しい黒髪を結い上げ、美しい所作で礼をした。そんなユキヲと目があったルカはお互いに苦笑する。隣にいたラゼルが小声で話しかけてくる。
「……よくあの状況で、お前はあんな提案をしたな」
「ああ……だってあんなに素敵な街だったからね」
勿体ないじゃん、と笑うとルカはやれやれと言うように息を吐き出した。
あの時、ルカはユキヲに言ったのは、シン王国の未来についてだった。
『貴国もツヴィンガー王国と同じく輸出大国になれば良いのです。それも薬剤に特化した輸出大国です。市場を見ましたが我が国でも見た事がない薬剤や、その価格の安さに驚嘆させられました。関税をかけても、他国の薬剤よりずっと安価で品質も良いと思います。そこで更に……我が国の王、シュタルヒの病を貴国の優れた薬術で完治させて欲しいのです。もし完治すればそのニュースは大きく世界に報じられ、一気に貴国の薬術は注目を浴びるでしょう。そうしてツヴィンガー王国のように堂々たる国力を築けば、他国から見て国力があるように見えます。それに、貴女のカリスマ性はツヴィンガー王国のリックフォンドに引けを取りませんから』
我ながら稚拙な案だったとルカは思う。けれど少しでも力になりたくて言ったのだ。
ラゼルは「普通、敵国に助言なんて言わんぞ」と苦笑していた。けれど呆れているようではなかった。正直、新たな薬剤の輸入でリオンは嘆くか、それか今より一層熱心に研究に打ち込むかするだろう。想像して少し笑ってしまう。
来賓席にはシン王国の他にも色々な国があった。ツヴィンガー王国のリックフォンドは何故かルカを見ると怯えたが、それを苦笑で返す。フィルドント王国のシルヴァは明るい笑顔でこちらに手を振り、ルカもまた笑顔でそれに応えると、隣にいるラゼルが一気にご機嫌斜めになる。つま先で軽くラゼルの足を突けば、口パクで「拗ねないの」と言う。するとラゼルは眉間に皺を寄せて「お前が悪い」と小声で返す。
そんなやり取りをしているのを見たグラムが「お熱いことで」と笑ってくる。
シュタルヒはそんな三人に気付いていないのか、いないのか。いずれにせよ清々しい笑顔で、高らかに言う。
「わたしは、アクアフィール王国の民を皆愛しく思っている。だがわたしが倒れてから、この国の平和を長らく支えたのは、我が息子ラゼル・アクアフィールだ。……この3年間、たった一人でよく頑張ってくれた」
その言葉にラゼルは首を振った。
「一人ではありません。私は、多くの人に支えられました。そして多くの国民のお陰で、ここまでこれたのです」
「そうか……だが、お前が国の為に尽くしたのは事実。亡き妻クメンティールも……そしてジュダも。今のお前を誇らしく思っているよ」
そして、とシュタルヒは優しい海色の瞳でルカを見た。
「わたしはお前がこんなにも愛し、愛された女性がいて、喜ばしく思う」
ルカはシュタルヒに手を退かれると、ラゼルと共に抱擁される。
そのシュタルヒの穏やかで深い愛に民衆はあたたかく見守っていた。シュタルヒはルカへと頬笑む。
「本当に息子を救ってくれて……ありがとう、王太子妃よ」
「いえ……私は、多くの喜びを王太子様にいただきました。私は、世界で一番に幸せ者です」
迷いなくそう告げればシュタルヒは目を瞬かせたあと、朗らかに笑んだ。
「本当に……幸せなことだ」
そこまで言うとシュタルヒは再び国民に向かって笑顔を浮かべて言う。
「それでは我が国アクアフィールの民よ、今日は喜びの日だ! わたしはこれからも其方たちを愛している。さぁこの国を、今日はより愛で満ちたりたものにしよう!」
シュタルヒの言葉に国民はわあっと歓喜の声を上げて、王宮に退いていくシュタルヒを最後まで見守っていた。ルカとラゼル、グラムもまた祝祭を始めた人々へと手を振って、王宮へと戻った。
王宮の中でも外の賑わいは聞こえてくるほどだった。シュタルヒは振り返ると、薄らと涙を浮かべて、三人に言った。
「本当にありがとう。ラゼル、ルカ、そしてグラム。わたしが眠っている間も、こんなにもアクアフィールは美しくあり続けてくれた。それがわたしは──幸せでならない」
「……私は、ずっとラゼルを見てきました。王様、ラゼルは本当に、誰よりもこの国を思い、血の滲むような努力を続けてきました。あなたの子は、素晴らしい息子です。私は、そんなラゼルを愛することができて、幸せです」
ルカ、とラゼルは呼ぶ。シュタルヒはルカを優しく抱きしめて言った。
「わたしは……お前達の幸せを、願っているよ。ラゼルをよろしく頼む」
そう言うとシュタルヒはラゼルとルカの頭を撫でた。そこでぶすっとしたグラムが言う。
「あの~俺が蚊帳の外なんですけどー。むしろ年数で言えばずーっと俺の方がラゼルを支えてきたと思うし」
グラムの言葉に、三人は笑う。
シュタルヒはグラムも抱擁すると、ぽんぽんと背中を叩いた。
「そうだな、グラム。お前がいなければ息子はとうに駄目になっていた。……ありがとう」
「どーも。これからもラゼルの助けになりますよって」
そう言ってシュタルヒとグラムは離れると握手をした。グラムはルカとラゼルを見ると、清々しく笑った。
「それじゃ、俺は軍事部でパーティーするからよ! お二人さんで仲良く~」
手を振って去って行ったグラムに、シュタルヒも茶目っけたっぷりに笑う。
「それではわたしもグラムに倣って邪魔者は消えるとしよう。他国の者と交わしたい言葉もたくさんある。……ああ、そういえばラゼル、一時は王位継承をしようかと思った……が、シン王国の薬術のお陰で、ここまで体調が良くなったからな。まだまだお前達には可愛らしい王太子と王太子妃として見守らせてもらおう。それでは、あとは若い者ふたりで好きにするがいい。今日は喜びの日。お前達も王族であるということを忘れ、ただの人間として、自由になりなさい」
そう言うと、とんと肩を叩いてシュタルヒは去って行った。
残されたルカとラゼルは顔を見合わせる。
「……らしいが、何かしたいことがあるか?」
「したいことなんて一杯あるよ。でも、今一番にしたいことがあるんだ!」
ルカはそう言ってラゼルの手をぐいっと引く。走る。喜びで胸が満たされている。ラゼルがまた困ったみたいに「ルカ」と呼ぶ。けれど自由になった足は止められることができない。
王宮を飛び出し、ルカとラゼルは丘へとやってくる。あの日、ルカが婚約破棄を口にした場所。草花がさわさわと揺れて、良い香りがした。爽やかな風を受けながら、ラゼルは言う。
「……何でここなんだ?」
「嫌な思い出を塗り替えたいから!」
ルカは振り返ってラゼルへと言う。心臓は早い。幸福が、ルカの心臓を打ち鳴らしている。
「ラゼル! 婚約破棄なんて言ったけど、あんなのは無し! だって私はラゼルのお嫁さんになるんだから!」
あの日とは全く違う言葉にラゼルはぽかんとしたあと、穏やかに笑った。
「そうだな。これからは絶対、お前の口から婚約破棄なんて言わせない。お前は、俺の妃になるんだからな」
空を仰いで自由になった気分になって、明るい未来をルカは想像する。
「結婚式、楽しみだなぁ。でもさ……婚前交渉しちゃったね。王様に怒られなきゃいいんだけど」
「バレなきゃ良い話だ」
「……ラゼル。出会った時よりずっと小狡くなったよね?」
「お前よりマシだ」
「失礼だなー。あ、でもさ。辻褄を合わせれば、子どもだってできてもバレないかも?」
ニッとルカが悪戯っぽく笑えば、ラゼルは子どもみたいにきょとんとする。
そして、一拍置いて、ラゼルは笑った。
「──ははっ! やっぱり小狡いのはお前の方じゃないか!」
そのラゼルの笑い声に、ルカの心が震え、それはやがて興奮と歓喜となって飛び出した。
「笑った! ラゼル、今笑った!」
「今までも笑ったことなんて、あったじゃないか……ああ、でも今のお前は、ひどく馬鹿で面白かったな……ふっ、全く、お前は人を笑わせる天才だな」
目尻に涙を浮かべてラゼルは笑う。ルカはその両手を掴んで、叫ぶように言う。
「そうじゃないよ! 誰が見ても分かるように、笑った。ちゃんと笑ったんだよ! なんだ、ラゼルもこんなふうに笑えるんじゃん!」
嬉しくて、嬉しくて、遂には涙が零れる。
ルカは涙を散らしながら、とびきりの笑顔で言った。伝えたかった。涼風が二人の間を通り抜けていく。
「ねぇ、これからも笑ってよ。今みたいな笑顔でさ! すっごく、びっくりしたよ。でもラゼルって、昔はそうやって笑っていたんだね。私は見たことがないけれど──ラゼルのお兄さんみたいな、太陽みたいな、笑顔でさ」
きっと、兄のジュダと同じように。そして幼き頃のように。ラゼルはこうやって笑っていたのだ。ルカは懸命に涙を拭う。ちゃんとラゼルが見たかった。漸く──心の雪解けを迎えて笑うラゼルは、これ以上無いくらい、綺麗なのだから。その笑顔は春の日差しのようなのだろう。
「う~~~ぁあああ!! もう! 嬉しすぎて涙が止まらないじゃん! ラゼルのバカ、そんなふうに笑えるなら、最初から笑ってよ! それともこれってサプライズプレゼント? だとしたら最高のプレゼントだよ」
拭っても拭っても涙は止まらない。けれど悲しいのではない。あまりにも、嬉しいからだ。
ラゼルはじっとそんなルカを見ると、呆れたように笑った。
「……お前は泣いたり喜んだり大変な奴だな」
「幸せだから良いの! あーでも、本当に、夢みたい。ラゼルがこんなふうに笑ってくれるなんて」
目が腫れちゃいそう、と言うルカにラゼルは言い返す。
「夢じゃないし、言っておくが、お前の笑顔は……いつだって太陽のようだったぞ」
「私?」
「そうだ。他に誰がいる。俺は、お前のその笑顔に何度も救われた」
「それなら私はラゼルの救世主だね」
「調子に乗るな」
指先でラゼルが額を弾けば、ルカは「痛いなぁ」と言いながらさする。
ラゼルは満足そうに笑んだあと、ルカの額にキスをした。
二人の瞳が交わって、何だか可笑しくなって笑い合う。その二人の笑顔は太陽のように、明るかった。
「ラゼル、次にして欲しいことがあるんだけど」
「なんだ?」
尋ねてきたラゼルに、ルカは叫ぶように言った。
「とびっきりのキスをして! 世界の誰よりも幸せなキスを!」
その願いに、またラゼルは声を上げて笑う。
「お前は、本当にバカだな。それなら、もっとこっちにこい!」
ラゼルはルカを引き寄せる。転びそうになったルカを抱き留めて赤い瞳を細めて微笑んだ。
ルカもまた、穏やかに微笑む。胸が、真綿で締め上げられるくらい、苦しくて、幸せだ。愛しさでどうにかなりそうだった。
「ラゼル、好きだよ」
「俺も、好きだ。世界中の誰よりも」
二人の唇が近づき、触れ合い、重なる。
風が吹く。鮮やかな緑が揺れる。青い空には、太陽が祝福するように降り注いでいる。
雄大に広がる蒼い海、真っ白い小鳥の羽ばたき、花の色彩の鮮やかさ、祭で賑わって笑う人々、そして永遠の愛を誓い合う恋人たち。
そんな美しい世界の中で、幸せだ、とお互いに思う。
この先何があっても、大丈夫だ。
二人がいれば。どんな苦難も、どんな哀しみも、喜びも分かち合える。
これからも幸福だといえる答えはシンプルだ。
そこには、何物にも勝る「愛」があるから。
答えなんて、それだけで十分だ。
──ありがとう。
誰ともなく囁かれた声は、二人が出会った春風に流れて、青空へと舞い上がっていった。
ありがとうございます。
40万字という狂った数字を2ヶ月弱で書いて命を削って、それでも楽しくて。
小説を書いていて楽しいと思う気持ちを長らく忘れていたと思いました。
ここまで読んで下さった猛者がおりましたら、本当にありがとうございます。
もう目は酷使し過ぎてほぼ見えないのですが、やっぱり読者の存在はありがたくて。
正直拙作は文字数の割にそれほど読まれなかったのですが、小説家になろうという膨大な海の中で、拙作と出会って読んで下さるなんて、よくよく考えれば奇跡みたいなものなんですよね。それでも感想とかレビューとか欲しい~~~ってなってるマンなので、これからはカクヨムで主に活動しようと思います(ただし恋愛ものではありません)(なろうで書くとしたら恋愛ものです)
なので最後だからぜひ!高評価、ブクマ、あわよくば感想・レビュー・誤字脱字指摘!
お願い致します。もう殆ど目のピントが合わないので、誤字脱字がすごいんですよね……お恥ずかしい。あ、あわよくばTwitterでシェアして下さったらめちゃくちゃ嬉しいです。
それでは!本当にありがとうございました!
ラゼルとルカ、二人の幸福を著者としても祈っております。
本当にありがとう。
追記:何故か急に読んで下さる方が増えてすごく嬉しいです…!目を痛めた甲斐がありました。なによりラゼルとルカにお礼を言いたいです。ありがとう。




