どうか呪って
グラムが漸く執務から解放され、再び軍事部に戻るといつも通りの日常が戻ってきた。けれどラゼルが人前でした行為で、あれほどルカを愛しているというのが知られてから、ラゼルの好感度は更に高まり、いつの間にか撮られていたラゼルの微笑の写真は拡散され、驚くほど王宮内でも王宮外でもひろまってしまっていた。
世間では「あの無表情な殿下が、あんなに美しい微笑を浮かべるなんて」という話題で持ちきりだった。
その為、ルカもラゼルも今までよりずっと注目されるようになった。
「伯爵令嬢は、如何にして殿下の心を射止めたのか!」や「殿下の愛ある微笑」等など……今までも上っていた話題が、再び盛り上がりを見せていた。ラゼルは更にアクアフィールの王子としての人気が高まり、「伯爵令嬢が殿下の心を射止めることが出来たのなら私にも……!」とチャンスに燃える貴族令嬢がいたほどだった。
一方のルカの気分は最低だった。各新聞社が幾度も王宮へと連絡を取り、ルカに取材をしようとした。あの美しく聡明な殿下の婚約者が、どんな人間なのか気になって仕方がないのだろう。それはそうだ。ラゼルが婚約したと知る人はいても、婚約者がどんな名前の人間でどんな容姿をしているかは一部の貴族しか知らなかったのだ。それは最初に交わした「仮の婚約者」においてラゼルが提案したことだった。曰く、婚約破棄になった場合、世間からルカへの印象が悪くならない様にする為の配慮だった。そう、ルカの為を思ってしてくれたことだった。それなのに。
例の写真を機にどこからか漏れ出したラゼルとルカの婚約は、極めて面倒な形で公表されてしまうことになった。
どんな素敵な婚約者様なのだろう、どうやって出会って恋に落ちたのだろう……という話題が平民を中心に世間では持ちきりだった。
連日飛び交う婚約報道に執務を一旦放棄したラゼルは、ルカとプライベートルームのソファに腰掛けていた。ルカは紅茶を飲み、溜息を吐き出す。どうしてこんなことになってしまったのか。公表するならもっとちゃんとした形で婚約しているのだと公表したかった。
「ルカ、すまない。俺の所為で……」
王宮内と一部の貴族の間でしか知られなかった事実が露呈してしまったことに、ラゼルは深い自責の念にかられているようだった。
ルカは確かに困っていた。勝手に「絶世の美女」に仕立て上げられ、あまつさえ「生活に困窮していた所をラゼルに救いあげられた」など……根も葉もない様な妄想までごっちゃになって、ルカは複雑な気分になっていた。
けれど、ルカにはもっと気になることがあった。
「あのさ、ラゼル」
「……なんだ?」
「婚約のことなんだけど……」
「解消しないぞ」
すぐさま言うラゼルは必死で、それが愛しくてルカは頭を撫でる。
「婚約破棄なんてラゼルが言い出さない限りしないよ。そうじゃなくてさ……書面上以外の婚約ってあるの?」
先日リムが言っていた「書面上の婚約者のくせに」という言葉が引っかかってならず尋ねてみる。
ラゼルは微かに赤い瞳を見開くと、視線を伏せた。
どうやら何かまずいことを聞いてしまったらしい。ラゼルは沈黙のあと、答えた。
「ある。だが……」
おそらく言うべきか、言わないべきか迷っているのだろう。ラゼルの瞳が惑っているように見えた。それほど重要なことなのだ。けれど、だとしたらルカは尚更知っておきたい。だからじっとラゼルの答えを待った。長い沈黙のあと、ようやくラゼルが口を開いた。
「そうだな……お前にちゃんと話しておくべきだったのかもしれない」
そう言うとラゼルはルカを見据えた。視線が交わる。
ラゼルは真剣な顔つきで、告げた。
「書面上の婚約であれば破棄できる。どちらの意思からでも可能だ。けれど……魂に刻む婚約は、破棄ができなくなる」
「魂に刻む……?」
「ああ。だが……刻まれるのは、お前にだけだ」
「……どういうこと?」
魂に刻むとは何か。何故、ラゼルには刻まれずにルカにだけ刻むのか。分からないことばかりだった。
ラゼルは組んだ手にぐっと力を入れて口を開く。
「魂に刻む婚約……『結印』は、魔術によって魂に印を刻むものだ。仮に俺がお前に印を刻んだら、お前は俺しか愛することが許されなくなる」
「ラゼルだけを愛する……?」
「ああ、そうだ。もし他の男を想えば、印を刻まれたお前の魂に痛みをもたらす。そしてその想いが強すぎた場合、死に等しい激痛と共に印は消える。……けれどその場合、印が消えた女は不幸な人生を歩むと言われている。いずれにせよ、俺はお前を縛ることになる」
魂を一方的に囚われる。そういうことをラゼルは言っているのだろう。その美しい顔が、昏く歪む。
「結印は、王族のみが行う儀式だ。魔術師の血を絶やさないよう婚約者を縛る儀式。しかし、もし印を刻まれたお前が死のうと、印を刻んだ俺には何も起こらない。新しい婚約者をまた見付けて、印を刻めば良い話だからだ。だけどもし万が一、印を刻んだ俺が死んだ時……お前は一生誰も愛せなくなる。印が、そうさせるんだ」
呪いのようなものだ、とラゼルは苦々しく言い捨てる。
確かに、呪いのようなものかもしれない。女性の魂を、他の男性に向けないよう、痛みによって拘束して押さえつけて。たとえ印が消えたとしても、不幸な人生が待っていると言う。書面上の婚約とは全く重みが違う。印を刻まれた女性はもう、その男性に永遠の愛を捧げなければならないのだ。たとえその男性が死んでも、永遠の愛を。
それは、確かに不幸なことかもしれない。
「でも……どうして黙っていたの? 本当の婚約者同士になったのに……」
こんな大事なことを何故、話してくれなかったのか。ルカはそれを寂しく思う。ラゼルはこちらを見ると、ルカの黒髪をさらりと撫でた。
「……お前にとって何の得にもないからだ。むしろ、お前を縛り付けることになる、俺は……お前に自由であって欲しい」
そう言うとラゼルはルカの髪からするりと離し、どこか悲しげに語る。
「人の心は移ろうものだ。だが、それは悪いことではない。だから俺はお前に黙っていた。その方がお前にとって幸せだと思った。婚約など、当人たちが想い合っていれば良い話だ。お前の枷になるような結印の儀式など、不要だ」
ラゼルはそう言うと、赤い瞳を優しく細めた。
ラゼルの言葉の端々から、慈しむような愛が伝わってくる。大切に思ってくれているのだと、そう思う。確かに当人同士がお互い愛し合っていれば何の問題もない。婚約書だって儀式だっていらない。
印なんてあってもなくても、ラゼルへの想いは決して変わらない。
でも。
「私、したい」
ルカがそう言った瞬間、ラゼルは目を見開く。
「……何故だ」
そう言うと思った、とルカは苦笑しながら、告げる。
「だってラゼルが、私の魂に刻んでくれるんでしょう? 貴方だけを愛し続けますって」
それはとても喜ばしいことのように思えた。一生涯愛し続ければならない呪いと言うけれど、ルカには関係ない。
だって、ルカはラゼル以外、考えられない。
もうラゼル以外愛せない。
たとえラゼルが死んでも、ルカは永遠の愛を誓い続ける。
「確かにラゼルの言うように人の心は移ろうもので……それでもし、ラゼルの方が私から離れていって、誰かを愛したとしても私は構わない。王宮を追い出されたら、実家でまた沢山の本を読んで、ピアノを弾きながら、ラゼルを想い続けるよ。その先はよく考えていないけど……そうだなぁ。孤児院で働かせてもらおうかな」
きっと心は軋んで痛むだろう。けれどその印があるという事実は、ひとときであってもラゼルとルカがお互い愛しあったという証明になってくれる。
「……俺は反対だ」
「どうして?」
「お前を不幸にしたくない」
「それなら、私を幸福でいさせ続けてよ」
ラゼルの赤い瞳がルカの瞳を捉える。ルカは苦笑しながら言う。
「ラゼル。私はね、ラゼルとこうして幸せな日々を送って、愛し合ったことを忘れないようにしたいんだ。ラゼルが私の魂に刻んだ印があれば、この先何があってもこの幸福な日々は色鮮やかに残るから」
それに、とルカは少し意地悪く笑う。
「私、まだ婚約指輪も貰ってないんだから。無理に用意してくれとは言わないけど」
「……なら、婚約指輪で我慢しろ」
「嫌です」
「頑固だな」
「知っているでしょう? 私がこういう性格だって。例えラゼルが呪いだと言っていても、こんな私を愛してくれるラゼルになら、私は呪われたい」
そう告げれば、ラゼルは瞳を瞬かせた。こんな答えが返ってくるなんて思わなかったのだろう。
「……本気か?」
ラゼルはルカの手を取り、ぎゅっと握る。微かにその手が震えている気がして、ルカも握り返す。
「本気だよ」
「印を刻んだら後戻りできないんだぞ?」
「うん、分かっている」
「……俺が他の女を愛したとしても、お前はずっとその呪いを引きずって生きるしかない」
「そうだね。でも、さっきも言ったけど、それでも想い続けるよ。その呪いが私の幸福の記憶になるから」
「……それでも俺は……」
惑うラゼルの唇に、ルカは口づけする。ラゼルの顔をちゃんと見て、それから笑って、言った。
「ねぇ、私を愛してる?」
「当たり前だ。俺は……お前以外、愛せない」
「なら怖がる必要なんてないよ。だってラゼルがこれからも私を幸せにして、私もラゼルを幸せにするんだから」
ルカは優しく目を細めて、ラゼルの髪を撫でる。
「私を呪ってラゼル。決して、私を手放さないようにして。私に、貴方という印を刻んで」
穏やかにそう告げると、ルカの手を握っていたラゼルの手が緩む。それからラゼルは呆れたというように溜息を吐き出した。
「お前は……本当に馬鹿だな。頑固で、譲らない。妙なことに拘る。……全く、結印を刻むだなんて百年以上前の話だぞ」
「それじゃあ私は百年ぶりの異端児になるね。光栄に思って良いよ、殿下」
「その殿下という呼び方はやめろ……お前に言われると違和感しかない」
そう言うとラゼルは憑きものが落ちたように、微かに笑った。
「だが、そうなると俺は王子ではなく百年ぶりの王太子になる訳だ」
「どういうこと?」
「お前、国歴史を習っていなかったのか? この国では未婚の王族を『王子』と呼ぶんだ。そして結印式をした王子だけは『王太子』と呼ばれる」
「それじゃ私は『婚約者』じゃなく『王太子妃』になるってこと?」
確認の意味をこめて尋ねてみると、ラゼルは頷く。
「そうだな」
「本当に? 凄いなぁ……私、百年ぶりの異端児王太子妃になる訳か。なかなか良い響きだね」
くすくすとルカが笑うと、ラゼルもまた目を細めて微笑む。
「変な奴だな、本当に」
「それはどうも」
「だが、結印をするとなると、結印式を挙げる必要があるな」
「式を挙げるの?」
声を弾ませるルカに、ラゼルは頷く。
「結印はそれほど重要なものだからな。儀式だから当然だ」
「わー、それ、すごい良い! これならさ、新聞とかの報道機関から報じられた婚約より、ずっと素敵な婚約宣言じゃん!」
思わずルカは子どものようにはしゃいでしまう。そんなルカを見たラゼルは微かに笑う。
「宣言というのはどうかと思うが……確かに悪くないな。良い結印式になりそうだ」
「夢みたいだなぁ……ラゼルはその日、いつも以上に格好良いんだろうな。益々恋しちゃう人が増えそう」
「それはお前も同じだ。きっとお前は、美しいんだろうな」
美しい人にそんなことを言われると照れくさくて、ルカはごまかし笑いを浮かべる。
「そんなに期待しないでよ? まぁでもラゼルだけには、綺麗だと、そう思われるよう努力します」
「お前はいつも綺麗だ、ルカ」
そう言うとラゼルはルカの頬にキスをする。最早自然とされるようになったキスだが、何だか今日はドキドキしてしまう。ちらりとラゼルを見る。こんなに綺麗な人に、魂を触れられるのかと思ったら、自分でも馬鹿みたいに嬉しくて仕方が無かった。
「ねぇ、ラゼル」
「何だ?」
こちらを向いたラゼルに、ルカは無邪気に笑って言った。
「キスしてくれないかしら? それもとびっきり甘いのを。未来の王太子様?」
その言葉にラゼルは目を瞬かせたあと、ふ、と笑ってルカの頬に手を添えて言った。
「仰せのままに──未来の王太子妃様」
唇が合わさる。優しいキスを何度もする。
どんなパティシエでも、こんな甘美な味はつくりだせないだろう。
幸福の味は、何にも勝るのだから。
今回は短くおさめることができました!
ここまでお読み下さってありがとうございました。
よければブクマ、高評価などお願いします~!
誤字脱字などありましたら、ご報告ください……!
Twitter→@matsuri_jiji




