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「ほぉぉ~」
「オダジマワタルはドキドキしなかった。なるほど」
二人同時に腕組みをして椅子の背にもたれかかった。
「はい。だから、恋じゃないです」
大学から歩いてすぐのカフェ。
午前中の授業が終わると同時に、しあは透子と山崎に連行された。
客も従業員も、ちらちらとこちらに視線を送っているのは、二人の容姿だけが原因ではない。
一卵性双生児でもこうは行かないだろう。
わざとらしい態度といい口調といい、
さっきから、透子と山崎の行動はぴったり同じだった。
「それ、オダジマワタルに言ったの?」
「そしたらなんて?」
同時に椅子から身を乗り出す。
同時に店員を呼びとめ、「水」と頼む。
「そうですか、でも僕にとっては、恋なんです」
「ほぉぉぉ」
「男だねオダジマ」
ドキドキしない、とつぶやいたしあに、小田嶋渉は敏感に反応した。
『確かめてみなさい』
ピアノを弾いていない時にオダジマワタルを見て
心臓がドキドキしたら、
それは恋。
「…ドキドキしない、から、これは恋じゃない」
しあは、腕の中で身じろぎもせずに呟いた。
小田嶋渉に聞かせるためではない。
自分で、自分の状態を確認しただけだ。
それがどれだけ残酷な言葉なのか、しあにはまだ分からない。
きつく抱きしめていた手を緩めると、小田嶋渉はしばらく何か考えているようだった。
そして、少しかすれた声がしあの頭の上で聞こえた。
「そうですか。…でも、僕にとっては、
恋なんです」
そう言うと、大きなため息をついて体を離した。
少し、体が震えていた、気がする。
でも、いつもの笑っている顔だった。
そして、しあに視線を近づけた。
「だから僕の、片思いです」
笑みを深くすると、小田嶋渉はしあの右の頬にすばやくキスをした。
そして、何事も無かったかのように伴奏合わせの練習が始まった。
小田嶋渉のクラリネットはいつもと違った。
もっともっと、音が行きたがる方向へ。
いままで交わしていた会話よりも、もっともっと大きな会話を。
しあはときどき置いてけぼりを食らって、必死で追いかける。
ふいに、今まで考えたことも無かったイメージがわいた。
透子ちゃんと叶さんが言い合ってるみたい。
あたしはちっともその速さについていけなくて。
でも、聞いててちっとも嫌じゃない。
テンポが軽快で、次から次へと話が変わって。
そんなことを考えながら弾くと、しあのピアノも、クラリネットの音と一緒に自由に広がっていった。
「で?」
「叶と会ってないの?」
透子と山崎の目が、照明に当たってきらきらしている。
「会いました」
ほぉぉぉ~、と同時に言って、二人はまた椅子の背もたれを軋ませた。
「やっぱり叶、気になってたんだぁ」
「で?朝比奈なんて?」
また二人同時にしあに顔を接近させてくる。
少し考えてから、しあは答えた。
「バカかお前は」
恋じゃなかった。
じゃあ、恋って、なんなんだろう。
考えていたら、急に腕を引かれた。
なぜか、目の前に叶がいたのだ。
いつものように、眉間に皺を寄せて、
でも、いつもと違って息が上がってた。
走ってきたのかもしれない。
ふわんと、叶の煙草のにおいがした。
煙草は嫌いだけど、このにおいは嫌いじゃない。
なんだか、ほっとする。
そう思ったら、急にしがみつきたくなった。
しがみついたら、ぎゅうっとして欲しくなった。
ドキドキするだろうか。
そう思って耳を澄ませた。
ドキドキが聴こえた。
叶の心臓の音だ。
「ドキドキしてるから、これは、恋」
声に出して、確認してみた。
その途端体を離されて、叶はいつものように言った。
いつもより、声のトーンが高かった気がする。
「バカかお前は」
そう言われて、しあはなんだか嬉しくなった。
「叶さん、恋です」
ドキドキした。
だから、恋。
「バカかお前は」
もう一度、叶に言われた。
そういえば。
自分の心臓の音を確認するのを、忘れていた。
<恋とはどんなものかしら end>