白シャツと蝶ネクタイ2
厨房に引きこもった美緒は、怒りの炎でフライパンを煽り、通常の1.5倍はある山盛りのナポリタンを完成させた。ジト目をしたマドンナが、ドスドスと足音を立ててテーブルへ皿を置く。
「……はい、大盛りナポリタン。さっさと食べて、レポート書きに帰りなさいよね」
「うわ、すっげえ量! 美緒さん、あざっす!」
翔は理不尽に怒鳴られたことなど一瞬で忘れ、子供のように目を輝かせてフォークを手に取った。
そんな翔の姿を、メロンソーダのストローをくわえた香織(バイトの後輩)は、じっと観察していた。
香織の目は、確かにある真実を捉えていた。
大学一のマドンナであるはずの美緒先輩が、翔に対してだけは、お洒落な仮面をかなぐり捨てて、やたらと感情を剥き出しにしている。そして翔は翔で、どれだけ理不尽に怒鳴られても、実家にいるかのようにケロリとしている。
(……怪しい。この二人、絶対に付き合ってるか、それに近い関係だわ!)
香織の胸に、ちょっとした悪戯心が芽生えた。
普段、夜の居酒屋では、175センチ、70キロのしっかりした体格に、糊のきいた白シャツ、黒ズボン、そして黒い蝶ネクタイを締め、週末の修羅場にカウンターで鮮やかにシェーカーを振るくせに、昼間はヨレたTシャツで恋愛に1ミリも興味なさそうなこの「翔先輩」。少しからかって揺さぶってみたくなったのだ。もちろん、美緒先輩の反応を見るための「観測気球」でもあった。
香織は、わざとらしくナポリタンを頬張る翔の顔を覗き込み、甘ったるい声をサフランの店内に響かせた。
「ねえ、翔先輩。先輩って普段は冴えない理系って感じですけど、週末にバイト先で蝶ネクタイ姿でカクテル作ってる時、めちゃくちゃ格好いいですよね。……私、実は先輩のこと、ちょっと男の人の趣味として、アリだなって思ってるんですよ?」
ゴトッ。
カウンターの奥で、美緒が持っていたグラスがトレイの上で激しく音を立てた。
(な、ななな……何言ってるのよ、あの子ーーーっっ!?!?)
美緒の脳内は大噴火を起こした。
美緒はトレイを盾のように胸元(Aカップ)に構え、聞き耳を立てて全身を硬直させた。
さあ、どうする、翔。
本命である私(と美緒は信じている)の前で、この若い刺客からの誘惑をどう切り抜ける!?
翔は、口いっぱいにナポリタンを詰め込んだまま、不思議そうに香織を見た。
もぐもぐと咀嚼し、お冷やをごくりと飲み干す。彼の脳は今、完全にフル回転していた。――(香織が俺をアリ、か)
恋人が欲しくてたまらない20歳の男子大学生(1年留年中)にとって、これはまたとないチャンス。翔は邪心ゼロで、ナチュラルに言い放った。
「あ、そうなんだ? じゃあさ、とりあえず試しに付き合ってみる?」
「………………は?」
香織の声が低くなった。
カウンターの奥で、美緒の顎が外れそうになった。
(と、とりあえず試しにぃぃぃぃぃーーーっっっ!?!?)
美緒の脳内コンピューターは、この世の終わりみたいなウソの計算結果を弾き出し、戦慄した。
(な、なんて恐ろしい男なの……っ! 女の子のちょっとした好意に対して、あえて突き放すような『お試し期間(執行猶予)』を設けることで、相手を焦らし、自分への執着を何倍にも膨らませる……これ、少女漫画のあのイケメンヒーローたちが使う、肉食系の上級心理テクニックじゃない……!! それをこの男は、このヨレたTシャツ姿で、無自覚なフリをして涼しい顔で使いこなしているのよ……っ!!)
しかし、怒り出したのは美緒よりも先、仕掛け人である香織の方だった。
「先輩……『とりあえず』って何ですか、それっ!?」
「え? いや、だってまずはプロトタイプっていうか、お試し期間的な感じでやってみないと、お互いの相性とか評価できないじゃん。少女漫画でもよくあるだろ?」
「何それ、サイテー!! 人の気持ちを何だと思ってるんですか! もういいです、ナポリタン代置いて帰りますっっ!!」
「ええっ!? なんで怒るの!? 俺に気が有ったんじゃないの?」
ガタタッ!と椅子を蹴立てて立ち上がった香織は、本気でムッとした顔で千円札を叩きつけ、カランコロンと激しく鈴を鳴らして店を飛び出していった。
テーブルに残されたのは、山盛りのナポリタンと、フォークを握ったまま「???」と宇宙の真理を見失ったような顔をしている翔だけだった。
「……はぁ。女の子って、本当に理不尽でよく分かんないなぁ」
翔がガチで落ち込みながらナポリタンに手を伸ばそうとした、その時。
頭上から、ものすごいプレッシャーを伴った、冷気あふれる影が落ちてきた。
「……翔くん」
「ひっ、美緒さん……?」
見上げると、そこには顔を真っ赤に染め、瞳に怒りと(なぜか)涙を薄っすらと浮かべた、もの凄くめんどくさくて、最高に綺麗な美緒が立っていた。彼女はトレイをギリィ……と指が白くなるほど強く抱きしめている。
「あんたって人は……! 最低の冷酷非道なプレデターね……っ! 天罰が下るわよ、バカッ!!」
「だからなんで俺が怒られるんすかーーーっっ!? 誰か説明してくれよ!!」
夕暮れの『サフラン』に、邪心ゼロの翔の絶絶叫と、勘違いを2万倍にこじらせて勝手に嫉妬の炎を燃やす美緒の怒声が響き渡る。
(第5話・終わり)




