第25話 食の魔術師と、魔王の噂話
サオリとカミラは、子爵邸の料理人に案内され、広大な厨房へと向かっていた。
道すがら、二人は異世界の「上層部」の話題で盛り上がる。
「カミラさん、さっきの……魔王さんって、そんなに女たらしなんですか?」
サオリの問いに、カミラは呆れたように肩をすくめた。
「そうなのよ。ヴァンドレッドの奴、とにかく節操がないんだから!
妻が三十人いるとか、子供が五十人いるとか……。
魔族は基本、強い奴が王になる実力主義だけど、あいつは強いくせに仕事もできるし、おまけに甲斐性もあるからタチが悪いの。
奥さんたちに話を聞いても『凄く優しいのよ』なんてノロケられる始末だし。
正直、あいつが十人くらい分裂してるんじゃないかと思うわよ」
「まあ……。リナにも、悪い男に引っかからないようによく言っておかないと」
「だね。あの純粋すぎる勇者ちゃんには、きつく言い聞かせた方がいいわ。
全く、今の魔王たちはろくでもないんだから」
「……魔王って、他にもいるんですか?」
「あら、知らなかった? 魔王はもう一人、いえ、『一匹』いるわよ」
「一匹……?」
「魔族の王と、魔獣の王がいるの。
魔獣の魔王は確か、巨大なオルトロスだったかしら。
徹底的な人間嫌いでね、よく人間国と揉めてるわ。
まあ、こちらから近づかなきゃ大丈夫よ。……おっと、着いたわね。サオリ先生、お願いします♡」
「先生はやめてください、恥ずかしい……!」
サオリは顔を赤らめながらも、ずらりと並んだ子爵家の料理人たちの前に立った。
皆、最初は「村の屋台の女将さんに何が教えられるんだ」という疑いの眼差しだったが、サオリがマジックバッグから取り出した、プレデターブルの美しい塊肉を見た瞬間に沈黙した。
「では、ローストビーフを作っていきますね。
今回は牛系のお肉ですが、ボア(猪)や鳥のお肉でも美味しく作れますよ」
サオリが包丁を握る。
その瞬間、空気が変わった。
料理人たちの目は、すでに彼女を「格上の師」として認識し、一斉にメモを取り始めた。
「まずは、塩と胡椒を揉み込みます。
ここでポイントなのが、フォークで丁寧にお肉を刺して、小さな穴を開けておくこと。
こうすることで、厚い塊肉の芯までしっかりと味が染み込むんです」
サオリは手際よく、リズミカルに肉を仕込んでいく。
「少し時間を置いて味を馴染ませたら、いよいよ焼きの工程です。
フライパンにオイルと、潰したガリケ(にんにく)を入れます。
その次はロマリを乗せて、最初は中火。
香りが立ってきたらお肉を入れ、表面に美味しそうな焦げ目をつけていきます」
ジューッという、食欲をそそる芳醇な音が厨房に響き渡る。
「よし、こんな感じですね。
表面全体に焼き色がついたら、肉汁を閉じ込めるバリアが完成です。
そしたら、ここからが一番重要です。
火を、ついているかどうか分からないくらいの『極弱火』にします」
「そんな弱火で火が通るのですか?」
一人の料理人が思わず声を上げた。
サオリは優しく微笑んで答える。
「強火だと外が焦げて中がナマになりますが、極弱火でじっくり温めることで、お肉が柔らかく仕上がるんです。
このまま蓋をして蒸し焼きにして、十分待ちます」
厨房のタイマー(砂時計)が落ちる間、サオリは一切の妥協なく肉の状態を見守った。
「だいたい十分ね。
よし、火を止めて……さらに十分置きます。
この『お休みタイム』が、お肉をバラ色に仕上げる魔法の時間なんですよ」
十分後、サオリが蓋を開けると、肉はふっくらと落ち着いていた。
「このように串を刺して肉汁が透明なら大丈夫です。
さあ、仕上げにソース作りです。
フライパンに残っているこの脂に、ワインを注ぎます。
アルコールを飛ばしながら煮詰めていき、塩、ペパ(胡椒)で味を調えます。
そして仕上げに……これを入れます」
サオリがマジックバッグから取り出したのは、小さな固い実だった。
「これは『ニクズ(肉豆蔻)』の実の種の中を乾燥させたものなんですが、私の住んでた国では『ナツメグ』と呼びます。
これを少しだけ、削り入れますね」
その瞬間、カミラが顔色を変えてサオリの手を掴んだ。
「ちょっと待って、サオリ! ニクズの実なんて毒でしょう!?
食べたら幻覚を見たり、最悪死に至るって言われてるわよ。
そんなの料理に入れたら大変なことになるわ!」
料理人たちもザワつき、一歩後ずさる。
しかし、サオリは落ち着いた笑顔で首を振った。
「大丈夫ですよ、カミラさん。
確かに大量に食べれば毒になりますが、実をそのまま食べるわけではありません。
乾燥させて、ほんの少しの量を隠し味として使うだけなら、体に害はないんです。
これがあるだけで、お肉の臭みが消えて、驚くほど美味しくなるんですよ」
それでも不安そうな一同を見て、サオリは提案した。
「じゃあ、ナツメグがあるのと無いの、二つのソースを作って食べ比べてみましょう」
サオリは手際よく二種類のソースを仕上げ、薄く切ったローストビーフを並べた。
まずはナツメグ無しのソース。
「……うむ。これだけでも十分に美味い。肉の旨味が引き立っておる」
料理長が唸る。
次に、ナツメグ入りのソースを口に含んだ瞬間――
カミラと料理人たちの目が、こぼれ落ちそうなほど見開かれた。
「な、何これ……!
さっきよりお肉の味が深く感じるし、後味がすごく華やかだわ……!」
「毒だなんて信じられん。
この微量な粉が、これほどまでに肉のポテンシャルを引き出すのか……」
サオリは得意げに微笑んだ。
「毒と言っても少量なら無毒で美味しい、ということですね。
大事なのは、素材の性質を知って、正しく向き合うことなんです」
試食は大絶賛で終わり、料理人たちはサオリの「魔法の粉」の計量方法を必死でメモしていた。
一方、カミラは一口食べるごとに
「ヴァンドレッドの奴にも、毒消しにこれくらい食べさせてやりたいわね」
と物騒な冗談を言って笑っていた。
こうして、子爵邸の厨房はサオリの知識によって完全に制圧された。
三好家の料理人が、異世界の美食の歴史を塗り替えた瞬間だった。




