2話『流し流され』
これは逆に、変に距離を取ろうとする方が恥ずかしいやつかもしれない。
緊張はやっぱりするけど。
取り敢えず夏季休暇の間だけってことで、渋る僕に無理やり合鍵まで持たせた男だ。押しが強い。
適当なところで折れるのが無難だろう。
「えと、じゃあ……依、さん。で良いですか? 僕は呼び捨てで良いです」
ごくごく普通のアパートの一室。
それなのに、彼の独特なテンポの所為かどこかぼんやりと非日常のように感じられる空間で、何だかずっと流されっぱなしだ。
「ん。よろしく利一」
佐藤さん改め、依さんは何やら満足気に僕を見ている。
表情筋があまり動かないわりに、主張が強いと言うか圧が強いと言うか。喜怒哀楽がはっきりしていると感じるのは僕だけだろうか。
名前を呼び合っただけなのにやたら楽しそうだ。
買い物袋片手にいそいそとシンクに向かう後ろ姿。
それを見送って、いや、見送ろうとして、僕は彼のシャツの裾を掴んで止めた。
不思議そうに振り返った依さんの髪はまだしっとりと湿っている。
「まず、髪乾かして来て下さいね」
「……」
だから、不服そうな顔をするな。
病み上がりだろうが。
「ほら、早く。大人でしょ?」
買い物袋を奪い返して背中を押すと、一瞬立ち止まったもののわりかし素直にバスルームへ消えていった。
ブオーっと低い風の音がする。
良かったドライヤーは有った。
今日買ってきた物を広げながら、昨日のやり取りを思い返す。
ほんと、改めて凄い恥ずかしいんだけど、それでも。
彼と関わっていくこの先を想像して、ちょっとわくわくしている自分がいる。
依さんに先生になって欲しいと言われたが、あんまりにも目標がふわっとしているのでいくつか取り決めをした。
《目標一》ある程度自炊できるようになる。
簡単に作れるレシピをいくつか覚えてもらって、一人で出来るまでを目指す。
ちなみに今現在の彼の自炊力は、精々袋麺を茹でられるくらいだ。もちろんトッピングは無い。
米だけは美味しく炊けるとドヤっていたが、ほぼ炊飯器のおかげである。
《目標二》メリハリのある生活をする。
たとえば、洗濯物を溜め込まない。ゴミを溜め込まない。
とか、家事を習慣づけるみたいなことだ。
それから、バイト代のようなものは貰わないことにした。
買い出しなんかで掛かった費用は依さん持ち。
作った食事は僕も一緒に食べる。
これは、友人として付き合いを続けていく意思があるからだと言うことで押し通した。
そもそも彼の生活力がかなり低いので、授業料を貰うほどのことを教える予定はないのだけど。
「……利一。これでいい?」
「依さん」
いつの間にか出て来ていた依さんが、僕に頭を見せるように軽く腰を屈める。
乾かしたてのふわふわの髪。見上げるような視線。
撫でてと催促されているような気がして、危うく手を伸ばしかけた。
「触って?」
ほんとに催促されてた。
髪、あったかい。
「お、OK。完ぺきですよ」
だから距離感。どうにかなりませんか。
大型犬め。