アニメ「フェイト」と座頭市喧嘩旅と嫌いなものは食べないといいということと文章を第二稿で1割カットを目指すと増える話とレオンの組み立てを説明
快適な気分でなにごともこなすように、フロー重視にするといいはず。
一昨年くらいに録画したアニメ「フェイト」の最終回と座頭市喧嘩旅(勝新太郎主演1963年作品)を並べてというか2台のテレビを使ってみていると
座頭市すげえやっておもった。マンガのブラックジャックに出てきた座頭市みたいなのを知っていて、漫画に映画の与えた影響はデカいなとか、映画レオンは座頭市のぱくりなのかも、最後〇〇だし。あとこういうのみてたからか、ファイアーエムブレムの盗賊が女僧侶をつれて逃げる展開とか座頭市を見た世代は簡単に思いつくけど、そうでないとすごくオリジナルな感じをうける。ってことはだ。今の10代20代が、ぎりぎりわからない映画のすごいシーンとか
をまねてもオリジナリティーをかんじるということで、そうすると2017-29いや25くらいでいいか4歳までに見た映画って覚えてない気もするし、ってことで2017-25=1992年くらいまでの作品のいいシーンを、映画やらマンガやらゲームやらドラマからもってきてもわからないのだなきみら。あっはっは。といってみたりする。
そうそうフェイトの方は最終話といっても、もとがゲームでたぶん追加シナリオ的な感じの
ところを最終話にしたのかもしれないと思うくらいとくになにもないかんじで余計座頭市の
ラストが際立つ、勝新太郎といえば週刊誌で叩いていたので悪い人だと思っていたけど
週刊誌が悪い人たちと、映画を見ると分かる。
いまは録画ですぐに良かったシーンを見直せるのですごいシーンのありがたみも
少ないってのもあるけど、この動いている人たち、俳優さんなんだなって一歩引いてみてみると、この変わった動きというか殺陣というか、人間が練習してこの動きをして
カメラマンがうまくやられる方がちょっと映っているってかんじにしているとか
人ががんばった結果なのだけど、それを週刊誌が悪く言うので大衆は映画を見てないのもあって国際的映画スターを悪く言うという悪いことをなしていると。
ああ、そういえば、現在の携帯の位置情報とかのデータを処理するとだれが特定の場所に特定のタイミングで集まっているかも計算で分かるみたいなのが書いてある本があって、
そしたらそしたら特定の場所に二人でいたらそれもわかるという時代ってことで
そういうのがわかるってひとたちが週刊誌に不倫議員の情報を渡している気がした。
まあだいたいそうなのだろうなと。
外国のすべての国民の電話での音声データの保存に30億円くらいの費用しか
かからないという時代。日本だったら10億円くらい。
こういうのを扱った本があるというのを考えると、知ってる人は知っている話なのだろうけど。
アニメフェイト全体に話を移すと、すごかった。戦闘シーンもすごかった。
他のアニメに影響を与えたと思うし。外国からの何かの影響が強いのと残忍な展開なのと
が子供たちに見せたらいけない感じもするけど、残忍と思って避けていたけどそれなりに
おっさんになってしまっていろいろ読んでいるので悪い影響も受けない感じになっていると
影響を受けないけど、本も読まないアニメとゲームだけって若者には悪い影響があるのか
なんか若者が凶悪事件を起こす、そんな時代。先日もゲームの邪魔という理由で事件を起こす少年がいたし。
そうそういいたかったのは、嫌いなものを食べるとかそういう困難は、フローを止めて
しまって能力を下げてしまうのでそういうので無理しなくていいと分かってきた。
かかえている毎日の困難はそれなりに人生を大きくゆがめる。
健康にいい食べ物は取るべきだが。
そうそういいたかったのは、相手が座頭市なら追いかけてこないだろうから、
立ち向かわない、逃げるんだっていう判断をすればよかったねと。
それができたら、名将な気もする。
座頭市が戦うのはやくざだったからそれは無理だなと。
でもあれだよ、うちの物置にいたねこの一家も扉を開けたら なんすか、うちになんすか
って顔でこっちをみて、扉を閉じたあと、しばらくしたらずらかれってかんじで3-4匹で
でていくところみたから、危険を感じると生物は逃げるっていうのでうまく生き延びているのだと思うし。うち猫禁止だし。
それはそうと、海外の売れている作家が、第二稿=初稿から1割カットって言葉を
原稿を送り返した時にもらった文に書いてあったけどこれが良かったとかいうから、
書いたら見なおしてまず1割削るのが大事と。ここまででだいたい1800文字だから
なにかを180文字削る。
で、売れた作家が書いていたように、書き加えたい気持ちがでてきて、自然に文章が長くなる
のも自然なことで、そこからむしろ絞るってのは教わらないとできない感じ。
書いた文章を読むとそれが刺激になって、ほかのことを思い出すのでむしろ文章はどんどん
ながくなる。そうか、こうやって文章から刺激を受けてどんどん思い浮かぶところを足していくと、長編になっていくんだ。2000文字になったし。
ちょっといま信じられないことが起ったのだ、俺も書いていてよくわからないけど、
文章を減らそうと思ったらむしろ増えていた。っていう人気漫画の有名なところをつい
思い出す。
座頭市も、目が見えないのでなかったら、わかい人間を訓練してから戦うという感じで楽に片方を勝たせることもできたと思う。っていうかそうなるる七人の侍という名画になる。
ああ、こんなかんじで、もしも〇〇って考えると 別の作品になっていく気がする。
七人の侍は1954年と、11年前か。逆だった。
そういう WIKIPEDIAで調べると簡単。子母澤 寛 (しもざわ かん、1892年2月1日 - 1968年7月19日)このひとの随筆『ふところ手帖』が原案という。全集にあるというから
読めるチャンスがある人もいるかも。図書館で検索したらあったということで読める人はラッキー。
そうそういったかたのは、なんどもみたいとはおもわない北野武の座頭市のほうがいい
って最初思ったけど、音楽がいいだけでなにか残るものがないのが現代の日本映画。
って気もしてきた。いろいろな脚本のなかからいい物だけを作るってのと、
映画監督が自分で脚本を書いて、気に入ったら作るってのとは違うのかも。
北野武個人にかなりの才能があるので、ある程度うまくいってる気がするけど
昔の映画に及ばない部分もある感じ。
っていうか、昔の映画をさっき見たのと、昔の漫画を昔の時点で繰り返し読んだってのと
昔の映画からゲームがこうやってシナリオのアイデアを得ていたってのと、
ああでも、BSの映画を録画しておくっていう手間を惜しんでしまうと
そういうのにたどり着かないってのもあるってことで 人生に広がりをあたえていくために
努力しない姿勢はおかしいとか、いろいろ考えていって、こうやって書いていくことで脳からの出力がったということで記憶に残り、意識に影響を与えていくってのと
今だとさっきのシーンを見直すのも簡単って時代だと悩んで映画について考えることも少ないっていう悪い影響もあるかも。
銃で座頭市をつくると、レオンみたくなる気がする。ほかにもいろいろ表現ができる気もする。銃で座頭市っていうと分かりにくいけど、 剣の達人・おお 剣の達人で盲目といえば、タクティクスオウガのハボリムだな、すっかり忘れていた。
ほぼリムで名前があっているかわからない・・・攻略本見てもこっちでないのかよくわからない。ってときにネットは簡単。あ、攻略本もロールートの方にはかいてある。
そうそう盲目の剣士。剣聖ハボリム。
そうそう盲目の剣の達人っていうあるのか可能なのか不思議だってくらいであるから
座頭市は多数の作品がが作られることに。不思議だと金払ってみてもらえる。
話を戻すと、銃で無敵感を出すにはどうしたらいいかってのでそれで沢山の映画が
作られていった気がする。映画製作者はそこにむけてがんばった。
登場人物たちの出会い → ラストのバトル。
これだけでほとんどの映画ができる感じ。
2時間映画だと 登場人物出会い→小バトル→なにか→小バトル→なにか→ラストのバトル。で終わる気もする。
レオンだと 見せ場となるバトル → 登場人物たちの出会い。→目的のシーンまでのつなぎ → 目的の見せ場となるバトル → 恋愛的な本編のスタート
→ 小バトル → 変化しつづける別世界的な展開とバトルの果ての 見せ場となるバトル
→ 敵側の動き →見せ場となるバトルと 悲しいこと → その後のような最後のシーン。
こうやっていい機会だから考えてみると、見せ場が多い。それが名画になる。
他人の映画から何かをつかむっていいのだと思う。
減らすはずが3472文字まで増えた。
人間っていうのは、他人他国の視点を容易にっていっても翻訳者がいればだが、
外の視点を容易に使えるので、それで外の考えも使えるし取り込めるので、
高度に、多様に幾つもの目で見られるのが強み。そういう風に言語とか社会とか教育とか書物とかを整えた結果、単独の状態よりもずっといろいろなことをできるのが人類っていうか人。
ブッダのころにはそういうのができるだけの蓄積があった。そこから2500年。
週刊誌って悪いものだと分かるまでながくかかる。
日記だな、日記のような仕上がりだ。




