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プロローグ

 この世界は、《もしも》が起きなかった歴史の集積なんだと思った。

 火を知らなければ。

 農耕を始めなければ。

 蒸気を発見できなければ。

 魔法がこの地を覆ったのは、そんな起きなかった未来の果てだったのかもしれない。


◇◇◇


 あたしは、観月ぴかり、28歳会社員。大学卒業後、就職した会社は2年で退職。理由は上司のパワハラが酷く、うつ病になってしまったから。それからは、家から出ることすら億劫でひたすら実家の自分の部屋に引きこもっていた。

 そんなあたしを変えてくれたのが、たまたま動画サイトI tubeで見かけたキラキラ☆KISSという男性アイドルグループのライブ映像だった。


 その名の通り、キラキラと輝いていた。実物を生で見たい。そう思って、ライブの日程を調べた。外に出るのは怖かった。だけど、どうしてもライブが見たかった。


 そして、あたしはライブを見に行った。


 その光景はまさにテンション爆上がりで、周りの人の熱狂にも当てられ、あたしはすっかりファンとなった。


 そして、そのメンバーの一人、明智くんを推すために社会復帰を果たして、今の会社に入ったんだけど――


「観月さん」

「あ、柳原先輩」


 入って半年、いつあたしが失礼なことをしてしまったのか分からないんだけど、この先輩のあたりが厳しかった。


「悪いんだけど、スタザでコーヒー4人分買って来てもらえる?」

「……えっと、あの、課長に頼まれた資料整理がお昼までと言われてまして」


 スタザまでは片道15分はかかる。今は11時20分。とてもじゃないけど、間に合わない。


「え〜? 何々〜? 謙遜してるの〜? あなたなら余裕で間に合うでしょ? だって、あなた、優秀じゃない? 東大の理系卒だもの、ね〜、皆もそう思うでしょ?」


 彼女の言葉に3人の女性が同意する。このコーヒーの行き先になる予定の人物たちだ。


「……そ、卒業しただけで成績は下の方だと、何回も言ってるじゃないですか」

「やめてよ〜、そんなこと言われたら、早稲田卒なんて恥ずかしくて言えないじゃない」

「全然、そんなことは……」

「じゃ、よろしくね〜。お金は後で払うから」


 急がないと、仕事が間に合わなくなる――


「観月くん、困るんだよ。午後からのプレゼンで使う資料なのに…… 頼んだことくらいやってくれないかな? 仮にも東大卒だろう?」

「……すみませんでした」


 謝るあたしの後ろで、クスクスと笑い声が聞こえる。叱られて、落ち込んだあたしを見た先輩は、嬉しそうに微笑んでガッツポーズをしていた。

 今回が初めてじゃない。先輩はもう何度もあたしの邪魔をしている。お陰で、上司からの評判も悪く、後輩からは馬鹿にされ、同期からは距離を置かれる始末。

 相談できる相手も親くらいしかおらず――


「あんたもいい年なんだから、多少嫌な思いをしても、頑張んなさい」


 相談したところで、現実の厳しさを語られるだけで、あたしの気持ちなんて見てくれなかった。うつ病の頃に、友達とは疎遠になってしまい、今、唯一の仲間は――


「はろはろ、ぴかりん〜」

「何暗い顔してんの〜? せっかくのライブだってのに」


 それは、推し活仲間。趣味以外、交流しないとても薄くて都合のいい関係。彼女たちとはキラキスのSNSを通じて知り合った。家が近いという理由だけの、同じ推しのファン仲間で、ライブの往復を共にするだけの関係。


「いや〜会社で嫌なことがあってね〜」


 あたしはこの言葉に、深い意味はもはやない。


「そっか〜、嫌なことは誰でもあるよね〜。それをぶっ飛ばすのが〜?」

「「「キラキスッ! イェ〜イッ!」」」

「おっと、タイトだよ、急ごう」


 どんな嫌なことがあっても、推しの笑顔で全部忘れちゃう。推しの歌声で、癒され過ぎてヤバい成仏しそう。あの綺麗な身体が汗を散らして激しく躍動するだけで、あたしの鼓動はドキドキタイム。


「尊みぃぃぃぃぃぃっ!」


◇◇◇


「ラーメン食べていかない?」

「いいじゃん、いこいこ、ぴかりんは?」

「いいねっ! 行こうっ!」


 あたしたちは街を散策する。三郎ラーメンはあちこちあって食べ飽きたなど、あれこれ言いながら古びた雑居ビルの1階にある、何とも言えない店に辿り着く。


「ここ、ワンチャンありそう〜」

「え? マジで? デンジャラスだなぁ」


 決定権があたしにやって来てしまった。味噌ラーメンのお店か。なら、答えは一つ。


「行こう」


 期待はせずにシンプルな味噌ラーメンを注文する。出てきたのは、シンプルな味噌ラーメンだった。味は――


「……不味くはないけど、美味しくもないね〜」

「ハズレ、までは行かないけど何だか失敗した気分だ」

「そうだね、何かごめん」


 本当に美味しくないけど、不味くもない、何とも言えない味で、ライブの余韻が冷めるくらいだった。


「でも、今日は供給過剰でしんどかったね〜」

「それな」

「ほんとほんと」


 たくさん笑顔を貰っちゃった。また明日から苦痛の日々に耐える英気は養われた。グッズ収穫もハナマル。次のライブまで我慢できそう。


「……ね〜、ガス臭くない?」

「そうか?」


 あたしの鼻にもガスの匂いが溢れ出す。これって――


「何かヤバくない? これ、ガス漏れだと思うよ。すぐに逃げようっ!」

「マジでっ!」

「了解っ!」


 その時にはすでに時すでに遅し。他のお客さんが入口付近にごった返す。支払いとかしようとしてる人までいて、前には進まないし、何か厨房にいる人、火を付けようと――


 バァァァァァァァァァンッ!

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