第二十章 束の間の休息
緒戦の勝利から幾日かが過ぎ、反葛城公爵連合軍──長いので龍守たちは単に連合軍と呼んでいるが──に参加する者たちが徐々に増え始めていた。
数に劣る連合軍ではあったものの、龍守の策と隼人や建日・雷矢といった猛将たちの勢いが見事にはまり、その後の戦でもことごとく勝利を収めている。その鮮やかな戦いぶりは、今まで日和見を決め込んでいた諸侯たちの腰を上げさせるに十分な効果をもたらした。
そして織瀬にとっては驚くべきことであったが、
「翠蓮皇女殿下が連合軍を支持しておられるのなら、我らもお味方いたします」
そう言って連合軍に加わる者たちが、身分の貴賤を問わず少なくなかったのだ。
「私の言った通りでしょう? みな口では何と言っていても、皇族とか姫とかいった存在に惹かれるものがあるのですよ。……ことに貴女のように、若く美しい姫君なら尚更です」
目の前で膝をつく者たちを不可解そうに見つめる織瀬に対し、龍守はそう耳打ちした。
そして今では当初の倍ほどの規模に膨れ上がった連合軍であったが、盟主である安比路保があからさまに龍守を見下している状況に変わりはない。それでも龍守は路保に礼を尽くし、戦の前には必ず路保に策の是非を問うことを欠かさなかった。
織瀬はいつ龍守が路保に対して我慢の限界に達するかとはらはらしていたのだが、隼人に言わせれば、
「心配しなくても大丈夫だと思うぜ。龍守は路保に対して何も期待してねぇから、何言われてもその場では全部スルーするだろうから。……ま、後で誰かに八つ当たりくらいはするかもだけど」
とのことだった。
そして今まさに路保も交えた軍議へ織瀬と龍守が向かおうという時、雷矢が眼を輝かせながら織瀬たちのいる天幕へ飛び込んで来た。
「龍守、あんたすげぇな! 昨日の戦、何であそこに敵が隠れてるってわかったんだよ?」
「こら雷矢、いきなり入ってはいけないよ。──龍守殿、申し訳ない。雷矢がどうしても貴方と話したいようで……」
深々と頭を下げる青弦に、龍守は鷹揚に笑う。
「気にすることはない、青弦殿。雷矢も建日も、昨日の戦ぶりは見事だったぞ」
「那岐山侯爵の仰ったところに敵の伏兵がおりましたので、我ら兄弟で悉く討ち果たして参りました」
建日が龍守に向かってうやうやしく頭を下げる。
「ご苦労だった。──青弦殿、貴方の家臣は非常に優秀だな。我が軍に引き抜きたいくらいだ」
「それだけはご勘弁を。我が家の家臣はもうこの二人しか残っていないのですから」
苦笑しながらも、家臣を褒められた青弦は誇らしげな表情を浮かべている。
(彼らのやりとりを聞いていると、今が戦の最中ということを忘れてしまいそうね)
龍守の隣に座した織瀬は思わず微笑んだ。すると雷矢が織瀬に向かってニカッと子どものような笑みを向ける。
「なあなあ、お姫様! 俺すげぇ頑張ったんだぜ!」
「ええ。雷矢殿も建日殿もとてもお強くて驚きました」
「だろー!」
「……調子に乗ってはいけないよ、雷矢。確かに君は強いけど、今まで勝てているのは龍守殿の策が優れているからなのだから」
青弦は苦言を呈すが、雷矢は気を悪くした風もなく、却って嬉しそうに笑いながら龍守を見る。
「そうそう! 龍守の言う通りにするとすっげえ楽に勝てんだよなー!」
「確かに……那岐山侯爵はまるで呪術でも使っているようですな。あの緒戦での策も見事でしたし」
雷矢と建日からの称賛を受け、龍守はふっと唇を緩める。
「呪術などと、そんな大層なものではない。俺はただ兵法書に書いてある通りにやっているだけだからな。……それに建日に褒められた緒戦の策は、もともと織瀬姫の発案だ。俺はそれを応用しただけにすぎぬ」
「えっそうなの!? すげぇじゃんお姫様!」
「た、龍守殿! 何を言うのですか!」
全く身に覚えがなく慌てる織瀬だったが、青弦がああ、と手を打って口を開く。
「そう言えばあの時、翠蓮皇女は相手の戦力を分散させ各個撃破する策を提案されていましたね。成程、龍守殿はそれを踏まえて……。確かに撤退する龍守殿の速度についていけない敵兵たちが多く、結果的に取り残された敵を各個撃破できた……」
青弦の言葉で、苦し紛れに絞り出した意見を思い出し織瀬は恥ずかしくなった。そんな織瀬をちらりと見やった龍守は、再び青弦に顔を向けると、
「その通りだ。それに青弦殿たちが敵の補給部隊を攻撃してくれたお陰で兵糧を得ることが出来たうえ、思いがけず相手の大将も引き摺りだせた。一石三鳥の策だったな」
そう口角を上げる。
「あの豺牙って奴かー。惜しかったなぁ、もう少しでやれそうだったのに」
雷矢は唇を尖らせて、残念そうな声を上げた。しかしそんな雷矢とは対照的に、建日は腕を組んで溜め息を吐く。
「私は豺牙将軍が撤退してくれてほっとした。あれはきっとお前より強いぞ」
「ええ〜そんなのやってみなきゃ分かんないじゃん」
「やらずとも分かる」
雷矢が建日の言葉に頬を膨らませていると、不意に天幕の入り口が開き隼人が顔を覗かせた。
「おっ、姫さんここに居たのか。龍守、ちょっと姫さん借りていいか?」
「隼人殿、どうされたのですか?」
「……隼人、まずは用件を言え」
龍守に紅い瞳で睨まれた隼人は、鼻の頭を掻きながら苦笑いする。
「おっと悪りぃ。兵たちがさ、俺の説明じゃ分かんねぇって言うんだよ。鷹比古は今外出てるし、龍守は軍議があんだろ? だったら頼みの綱は姫さんしかいなくて」
「分かりました。……龍守殿、行って来てもよろしいでしょうか?」
「ええ。申し訳ありません、我が家の兵たちが我儘を言いまして」
「とんでもありません。では隼人殿、行きましょうか」
「おう、ありがとな」
隼人とともに天幕を出ていく織瀬を見送りながら、雷矢が首を傾げる。
「なあ龍守。お姫様何しに行ったんだ?」
「ああ、今我が軍の兵たちに詩書の講義をしているのだ」
「シショ?」
「昔の詩とか偉人の言葉が載った書物だよ。……礼儀作法と一緒に、名前だけは教えたはずなんだけどな……」
「そうだっけ?」
溜め息まじりに呟く青弦だったが、雷矢はきょとんとした表情を浮かべる。
「でも何で戦場でそんなことやってんだ?」
「……今は戦が続いているが、いずれ世が治れば必要とされるのは武よりも知だからな。うちの軍は武一辺倒で文字すら書けぬものも多いゆえ、織瀬姫にも協力していただき少しでも知を身につけさせようとしているのだ。読み書きが出来ればそれだけでも食いはぐれずにすむ」
「皇族である翠蓮皇女殿下は教養がおありだろうから、そのお話が聞けるとは羨ましいですな。……しかし耳の痛い話だな、雷矢」
建日がちらりと雷矢を見やる。
「……」
急に押し黙ってしまった雷矢に、龍守はふっと笑いかける。
「雷矢、良ければお前も行ってくると良い。織瀬姫の講義は分かりやすいと評判なのだ。……構わないだろう、青弦殿? 何なら目付け役として建日も行かせるか」
「ええ、勿論構いません。行っておいで、雷矢、建日」
「はっ、ありがとうございます。青弦様、龍守殿。……ほら行くぞ、雷矢」
「うん……」
急に不安そうな声で呟く雷矢を引き立てながら、建日が天幕を出て行った。
「……龍守殿。建日も貴方の話に興味を持っていたのに気づいてお声がけくださったのですね。ありがとうございます」
「気にすることはない。……それよりもこう言っては何だが、路保との軍議にあの二人を同行させると面倒なことになりそうだったからな。うちの隼人もそうだが、血の気が多い奴がいると安比家と諍いを起こしかねん」
「確かに……。ですが私も路保殿の態度には首を傾げざるを得ませんね。龍守殿の策があるからこそ連合軍は勝てているのに、路保殿は頑としてそれを認めようとはしない。なぜあそこまで意固地になるのか」
「安比家は橘花国建国以来の名門だからな。穢らわしい宦官を祖父に持ち、あげく金で爵位を買うような男を父を持つ成り上がり者など、名家の当主からしてみれば唾棄すべき存在なのだろうよ」
「私は、貴方の生まれがどうであろうとも……貴方ほど優れたかたはいないと思いますよ。建国以来の名家という括りならば一応我が豊雲家もそうですが、私や路保殿が貴方より優れているところと言ったら家の名声以外にないのですから」
「それは謙遜だ。建日と雷矢──あのように秀でた武人が従っているのは、貴方に人望があるからだろう」
皮肉ではなく、本心から龍守はそう言った。
「さて、では路保のところへ行くか。……あいつの相手をするほうが、戦場で千の敵を相手にするよりよほど疲れる」
「全くですね」
苦笑を交わしつつ、龍守と青弦は安比家の陣へと向かった。
*
「──悪かったな姫さん。龍守と一緒に居たかっただろ?」
講義を終えた織瀬が天幕に戻るやいなや、隼人は開口一番そう言った。
「なっ……何を言うのですか、隼人殿!」
その言葉に、織瀬は思わず手にしていた書物を取り落とした。
「ん? いや、姫さんも一緒に軍議聞きたかったかなって。俺は路保と話すの嫌だから別に良いけど……あ、姫さんも路保嫌いだから兵たち相手のほうが良かったか?」
「あ……そういう意味だったのですね……」
織瀬は自分の早とちりに気づき顔を赤らめる。隼人は不可解そうに織瀬を見やったが、
「……なあ、姫さん。あんた最近龍守の話すると様子がおかしくなるよな。まさかとは思うけどさ……」
「そ、そんなことありません! 隼人殿まで何を言うのですか!」
「うん。俺まだ何も言ってねぇけどな……」
不自然に慌てふためく織瀬の様子に、隼人はにやりと意味ありげに笑った。
「織瀬姫様、お疲れ様でした。お茶をどうぞ」
そこへ倶知比古が穏やかに微笑みながら、織瀬の前に茶器を置く。
「ありがとうございます、倶知比古殿」
「倶知比古、俺には茶はねぇの?」
「全く……貴方は自分で淹れる気はないのですか?」
渋々といったふうを装いながらも、倶知比古は隼人へも茶碗を差し出した。
優しい香りが立ち上る茶器に口をつけ、織瀬はほっと一息をつく。
「……それにしても、皆さんに教えるのが私で良いのでしょうか? 龍守殿はお忙しいにしても、鷹比古殿や倶知比古殿のほうが良いと思うのですが」
「そんなことねぇよ。俺はむしろ姫さんが適任だと思うぜ。鷹比古は教えるの上手いかもしれねぇけど、あの顔で睨まれたら兵たちも萎縮するだろうし……。倶知比古はそもそも教えるの下手くそだもんな」
「……」
珍しく隼人の言葉を否定せず沈黙する倶知比古に、織瀬は眼を瞬かせる。
「え? 全くそんなふうに思えないのですが……」
「倶知比古は一回聞けば大体何でも解っちまうから、出来ないやつがどうして出来ないかとか分かんねぇんだよなー。今まで読んだ本の内容とかも全部覚えてんだろ?」
「まあ、そうなのですか?」
「ええ、一応……」
「姫さんが今日やった詩書とか経書とかもさ、官試で必要だから龍守も暗記してたけど……あいつですら三回くらいは読まなきゃ覚えられなかったって言ってたしなー」
「あれを三回って、それでも十分すごいと思いますけれど……倶知比古殿は一度で覚えられるのですか……」
「龍守が面白がって変なのばっかり勧誘するからさ、うちの軍って規格外の奴らが多いんだよな。鷹比古とかだって真面目くさった顔してるけど、龍守至上主義の変人だし。──な、倶知比古もそう思うだろ?」
「……否定は出来ませんね」
「でもそれは……」
隼人や倶知比古も人のことは言えぬのではないだろうか、と織瀬が思ったその時、
「つっかれたー! 倶知比古、お水ちょうだーい!」
「姫様、ただ今戻りました」
腕をぶんぶんと振り回しながら叫ぶ菊理と、薬箱を抱えた明瑠が戻ってきた。
「もーあいつら体力底無しじゃん。あの金髪野郎、安易に稽古でもつけてやれとか言いやがって……。絶対分かってて言ったな……」
「姫様、負傷者の手当てはほぼ終わりました。華彰先生は軍医殿とともに薬草類の点検をされています」
「そう。二人ともご苦労様」
織瀬は侍女たちに向かって微笑んだ。
菊理は新たに加わった者たちのなかでも特定の主を持たぬ者たちに稽古をつけ、明瑠は華彰と共に病人や負傷者の治療に当たっていたのである。
「菊理殿、お水です。明瑠殿はお茶でよろしいですか?」
「はい。ありがとうございます、倶知比古殿」
「あー冷たくておいしー! 倶知比古って気が利くわねー!」
「……じゃじゃ馬め。すっかり馴染んでやがるな……」
隼人が呆れたように呟き、織瀬も思わず苦笑する。
「倶知比古殿、菊理がいつもすみません」
「いえ、お気になさらず。菊理殿のほうが年上ですし、私は全く気にしておりませんよ。それに龍守様から、織瀬姫様の侍女のかたは丁重に扱うよう言われていますから」
「あんたって良い奴よねー。どっかの馬鹿と違って」
菊理は隼人を横目で見やる。
「……おいじゃじゃ馬女、誰が馬鹿だって?」
「別にぃ? あたしは誰がとまでは言ってないわよ。……って言うかさ、そのじゃじゃ馬ってのやめてくんない? あたしには菊理っていう名前があんの。あんたの主君だってあたしの名前覚えてんだから、あんたもいい加減名前で呼びなさいよね」
「五月蝿ぇじゃじゃ馬」
「何だとこの馬鹿男!」
睨み合う菊理と隼人に溜め息を吐いたのち、明瑠が織瀬に向かって口を開く。
「名前と言えば……。姫様、那岐山侯爵に真名を教えたのですか?」
「ええ。少し翠蓮皇女と呼ぶと障りがある状況になったものだから。……いけなかったかしら?」
小首を傾げる織瀬に、明瑠は厳しい表情を向ける。
「姫様。皇族にとって真名は神聖なもの。みだりに他人に教えてはなりません」
「……ごめんなさい。でも真名を口にするのが禁忌だったのは昔の話だし──」
「昔も今も関係ありません。それに殿方で皇女の真名を呼ぶことが許されるのは、同じ皇族か夫となる者のみです。まさかご存知ないわけではないでしょう?」
「それは……知っている、けど……」
珍しく叱られている織瀬を見やり、隼人が小さく笑う。
「何だ。それなら別に問題ねぇじゃん。姫さんは龍守と結婚すんだろ?」
「えっ……」
隼人は助け舟を出したつもりだったのかもしれないが、その意図に反して織瀬の鼓動は跳ね上がった。そこへすかさず菊理が隼人に食ってかかる。
「ちょっと馬鹿男! その約束は無効よ、む・こ・う! だって結局反乱止められなかったでしょ!」
「でも龍守はまだ約束は生きてるって言ってたぜ? 葛城乙彦を引きずり落としたら姫さんと結婚するって。……そうだろ、姫さん?」
「そ、それは……いつの間にか話がすり替わっていて……」
「途中で前提条件変えてくるなんて卑怯よ! 姫様もなに丸め込まれてんの! ふざけんなってバシッと言わなきゃ駄目でしょ!」
びしりと人差し指を織瀬に突きつける菊理だったが、
「……姫様。何か顔赤くない?」
そう言って探るように織瀬を見つめる。
「まさかとは思いますが、姫様……」
明瑠にまで鋭い視線を向けられて、織瀬は思わず腰を浮かせた。
「そ、その……お茶が熱くてのぼせたのかしら。少し風に当たってくるわ」
我ながら苦しすぎる言い訳だと思ったが、これ以上の追及には堪えられそうもない。とにかく侍女たちの視線から逃げなければ──と思ったその時、天幕の外から兵士の緊張した声が聞こえてきた。
「隼人様、倶知比古様! ご歓談中申し訳ございません。緊急のご報告です!」
「……何でしょうね」
倶知比古が天幕の入り口に向かい、兵士を招き入れる。
「どうしたんだよ、そんなに慌てて」
茶を啜りながら問いかける隼人のそばで、兵士が膝を付く。
「そ、それが先程偵察に出ていた鷹比古様がご帰還されたのですが……大殿──龍守様のお父上が身罷られたとのことで……」
「……何だって?」
「……!」
隼人は大声をあげ、織瀬は思わず両手で口元を覆った。
「義龍様が……しかしなぜ……ご病気という話も聞いておりませんが……」
狼狽える倶知比古に、兵士は絞り出すような声で返答する。
「鷹比古様の報告によると、どうやら殺害されたようなのです。──陶州の民の手によって」
「……陶州……!?」
その地名を聞き、織瀬は全身の血液が凍りつくような感覚に襲われた。




