裏方さんご苦労さん
凍てつく大地だ。
遥かに臨むは氷の霊峰。左を向けば雲海に沈み、右を見やれば樹氷が塞ぐ。
吹雪はひと段落したものの、芯から底冷えする中では気が滅入った。
イリスフィリアは黒いパンツスーツの上から防寒ジャケットを羽織り、目の前で左右に揺れる暖かそうな尻尾を眺める。
「フレイは寒くないの?」
赤毛の髪に乗るケモミミがぴくっと動いた。剣闘士風の格好は薄着と呼ぶにふさわしく、極寒の地で過ごせるとは到底思えない。
「ふん、鍛え方が違う。私にかかればこの程度、夏の湖畔のそよ風を浴びるがごとし!」
鼻水をたらしながらも実際にはそれほど寒くないようで、全身からほんのり湯気が立ち昇っていた。
「私は無理ですね。やはり辺境伯領で寒さには慣れているのでしょうか」
マリアンヌは聖職者風のローブの上からゆったりした白いロングコートを着こんでいて、白い息を吐き出す。「貴女はどうです?」と隣を行く青髪の少女に訊く。
「わたしはぜんぜん平気」
濃紺のローブをまといフードを被るのはリザ。言葉のとおりまったく寒さは気にしていない。
「リザはブリザード・ドラゴンだからな。鍛えるとかそんな話ではない」
大股で先頭を行くフレイは「それよりも、まだつかんのか」と不満を漏らした。
イリスフィリアは手元に半透明ウィンドウを表示させる。地図が映し出された。
「エリアボスはもうすこし先だね。この辺りは魔物の頻出ポイントだから、準備運動にはなると思うよ」
「なに! そうか、ふふふ、腕が鳴る」
フレイが両手をわきわきさせた、そのときだった。
「た、助けてくれーーーっ!」
「ひぃやぁああぁーーーっ!」
前方から悲鳴がこだまする。二色だ。
何かあったのだろうか、と目を凝らす前に。
「鳥、だね。しかもかなりの数だ」
イリスの言葉に、マリアンヌが半透明ウィンドウを開いて応じる。
「資料には『リーム・レイブンズ』とありますね。大きなカラスで、翼を広げれば人のサイズになるとか。上から集団で攻撃してくるので厄介ですね」
「ふははは、数で押してくるなら私の出番だな」
「すこしは残して。図鑑に登録してない」
などとのんびり構えていたら。
「なんか冷静な人たちだーっ!」
「でも今ってばマジヤバいんでいっしょに逃げてーっ!」
全力で駆けてくるのは男女二人組。どちらも重装備だがところどころ欠けていて、切り傷擦り傷がいくつもあった。そして、どこにも武器は見当たらない。
「武装なしは不用心すぎないか?」
「肉弾戦を得意とする方々では?」
「だから冷静すぎる!」
「武器は重いんで捨てちゃったんですぅー!」
ものすごい速さで脇を駆け抜ける。
「あの、できれば近くにいてください。遠くに行かれますと守れませんので」
「いやホント冷静だなあんたら」
「レベルいくつっすか? 70オーバーだと助かるぅってか、それくらいないとみんな死ぬぅ」
ぶっちゃけまだみんなレベル2だ。バカ正直に言わない方がいいだろう。
二人組は急停止して回れ右。訝りながらも近寄ってきた。
「マリアンヌ、彼らの治療と防御を頼む。フレイは前衛で、ボクとリザがサポートを――ん?」
カラスの群れがやってくる。
数は二十ほどだろうか。管理局が発表する脅威度は単体でC。群れでの波状攻撃はBとなっている。
この辺りの魔物としては珍しくないものだ。
ところが――。
「き、ききき来たぁ……」
「やっぱ逃げた方がいいっすよぉ……」
カラスの群れを引きつれるように、凍土を疾走するナニカが見えた。
大きな、獣だ。
「あれは『フロスト・パンサー』です。脅威度はB、ですけど……」
体高は五メートルほど。
白銀の毛並みに暗色の斑紋を散らした、雪豹型の魔物だ。脅威度は単体での設定で、孤高の狩人であるはずの魔物はしかし。
「三体……同時に? それに他の魔物と一緒に現れることもないはずだ」
出現がたまたま重なった。
そう考える方がむしろ不自然だろう。
「ともかく片づけよう。フレイ、今日は止めない。存分に暴れてくれ」
「はっ! 言われずとも!」
フレイは舌なめずりすると、
「いでよ! 我が眷属ども! 『逢魔獣宴』!」
凍れる大地に数多の影が染みのように現れる。
影はぬるりと浮かび上がってカタチを成し、その姿を顕わにした。
それは魔物の軍勢だ。
どこかの湖畔のログハウス辺りで見たことがあるような魔物たち。ただし自我はない。カタチがあるだけの存在であるが、その力はダンジョンの力にフレイの魔力が相乗されて、一体が脅威度C以上に相当する。
「突貫!」
フレイを先頭に、魔物の軍勢が前進していく。中には飛行種もいて、上空のカラスたちに襲いかかった。
「相変わらず壮観ですね。では、私も」
マリアンヌはどこからともなく銀の錫杖を取り出した。ハルトが用意してくれたものだ。
シャラン、と先端の銀環が鳴る。
「『女王の激励』……」
静かに、詠うように告げると、彼女の足元からあたたかな光が波紋状に広がった。光は一気に奔り抜け、前線のフレイにも届くほど。
「お、おぉ、傷が治ってく……」
「失礼しました! めちゃくちゃレベル高かったんすね」
魔法で効果を高めているがゆえだが、説明するのは躊躇われた。
前線の勝敗はほぼ決している。フレイが大型獣を二体、すでに片づけていた。
「カラスは数が多い。フレイのスキルだと空の分をすべて対応、とまではいかないか。リザ、ボクたちも――」
「待って」
リザの表情がこわばった。
「左……っ! 右からも来る」
ドドドド、と凍土を揺らす音は左から。
ギャーギャーと騒がしい鳴き声は右から。
「嘘だろオイ! フロスト・パンサーがさらに二体って!?」
「あっちからはリーム・レイブンズがあんなに!?」
増援と呼ぶには元の大軍と遜色ない規模だ。
イリスフィリアは「まいったな」とため息をひとつ。
「リザ、キミはカラスを頼む。ボクは左を狩る」
「わかった。でも一体は残しておいて。フレイ、ぜんぶ倒しちゃったから」
「わかった。倒さない程度にダメージは与えておくよ」
イリスフィリアは片手を天へ伸ばす。
「来い、破滅に誘う破城杭」
告げると、光が彼女の身体を包みこんだ。
腕には台座、背には三つの杭が装着される。腕を下ろす動作に伴い、背の一本が台座へと装填された。
「『異形蒐録』……」
一方のリザは、スキルで怪しげな魔導書を召喚する。ページを開きつつ、
「ん、これにしよう」
とある場所を指でなぞった。
彼女の周囲に、小さな旋風がいくつも生まれる。瞳を彼方へ、迫りくるカラスの大群に向けるや、旋風がそちらへ勢いよく放たれた。
同時。
イリスフィリアが杭を撃ち出す。狙いは違わず巨豹へ突き刺さった。だが滅すには至らない。ふらつき、その場に倒れるも、よろよろと立ち上がる。
「急所を外せば一撃とはいかないな。それじゃあそっちは――」
武器は装着したまま、空いたもう一方の腕を正面へ向ける。示す先は、突進してくる残りの巨豹。
「『終焉勅令』」
それは死の宣告だ。
巨豹の頭の上に、砂時計のアイコンが表示された。しかし砂はほとんど入っていない。
わずかな砂が落ち切ると、ガラス面に描かれた紋章が白から赤に変わった――直後。
巨豹の脳天に光球が現れた。
急激に膨張したかと思うと、逆に一気にしぼんでいく。そうして小さな点になったとたん、大爆発を引き起こした――。
イリスフィリアはリザの魔導書を読みながら、傍らの半透明ウィンドウへ語りかける。
「ああ、やはりダンジョン管理局が公表している内容とはすこし異なっている。フロスト・パンサーの単体での脅威度Bは変わらない。でも新たに『連携時はA⁻~A⁺』が追加されている。本来は一体でしか出現しないはずだったのが、複数で出現して連携するようになったらしい」
『難易度が高くなったってのはリザのスキルで確認できるのか。盲点だったな』
今日は休日を楽しんでいたらしいハルトが応じる。
「まだある。これはリザのスキルにも記載されていないことだ。保護した探究者から話を聞いたのだけど、本来フロスト・パンサーとリーム・レイブンズは同時に出現しないし、ゆえに連携などしないそうだ」
保護した二人の探究者は、けして無謀な探索をしていたわけではなかった。
すでに二十階層はクリア済みで、素材集めのため再度エリアボスに挑戦しようと準備万端でやってきたのだ。
その彼らですら、エリアボスに挑む前に命の危険に晒された。
今のところこの変化は今回に限ったものだ。
ここへ来るまでに出会った魔物たちは、元から同時に出現するパターン以外の組み合わせは確認されていなかった。
「このダンジョンの魔物たちは生物ではない。あらかじめ決められた行動しか取らない存在のはずだ。でも――」
それが崩れている。
下の階層に行けば行くほど顕著になっていくようだった。
「ふん、実にわかりやすい」
フレイが上機嫌でやってきた。暴れてすっきりしたのだろう。
「ここを統べる者はこう言っているのだ。『ゴールに近づけば近づくほど難易度は跳ね上がる。だから近づくな』とな」
画面の向こうに呆れ顔はなかった。
『フレイのその手の勘は、よく当たるんだよなあ』
彼女の推測は、きっと間違っていない。
彼が自分と同じ感想を抱いたことに、イリスフィリアはすこし頬が緩むのを感じるのだった――。




