117 まるで彼のように 静かに
結局、時間のことを考えて、トワはサンドイッチを諦めた。搭乗窓口が開くまで、あと十分ほどしかなかったからだ。
風がぬるんで、春の空気を感じる季節。硝子張りのロビーから見える風景も、一律に整備された自然の蒼さが滲みる。まだそれはつぼみではあったけれど、この出発のために用意されたような光景だった。
「私、昔、この同じ航空会社の機内食で、パンとご飯とそばの組み合わせを見たことがあるわ」
コーヒーの代金を払いながら、彼女は唐突に言った。
ガラスの外の光景に目を奪われていた私は、ぼんやりと心地いい喧騒に酔ったまま応えた。
「何? それ」
「パンと白いご飯がついているコースだったんだけど、スチュワーデスが『ヌードル・オア・シチュー』って聞いたの。私はシチューにしたんだけど、彼が……モトキが、」
私はトワをふり返った。
彼女は私を見てにっこりと笑った。
「彼はわけが分からないまま、『ヌードル』って言っちゃったの。そしたらそばが出てきて……炭水化物ばかりだって、笑ってたわ」
私は初めて、トワが兄の名を口にするのを聞いた。
モトキ、と彼女の口が動くさまははっとするほど魅力的だった。
彼女は笑っていた。思い出したことが、心底嬉しいかのように笑っていた。
私も何だか妙に嬉しいような気持ちになって、彼女の顔を見ながらにっこりと笑った。
笑いながら、私は思っていた。
まるでこの笑いかたは、
そう、
お兄ちゃんのようだ。