とんでもない誓い
まだ太陽は高かった。一日のうちにこんなに意味が分からないことが連続するなんてこと、ありえるの? なんだかどっと疲れた気分だった。
知らない森の中だけど、よく見たら知っている山脈が見えるから、城の近くではありそう。テオドシウスという何でもできる魔法の天才がいるからか、森への恐怖もなかった。
だけどそのテオドシウスの様子はおかしい。わたしから手を離すと、その場に座り込んでしまった。
「最悪だ……」
彼は頭を抱えていた。どうやらさっきのは彼にとって失態で、それを気に病んでいるみたいだった。
時が戻る前のわたしの数々の失態に比べたらそこまで最悪ではないように思えるけど、確かにテオドシウスがあそこまで感情を露わにするのは珍しかった。全く計算なしに、怒りにまかせて魔法を使うのも初めて見た。
「だい、じょぶ?」
あら、わたしったらやればできるのね。なんとか意味の通じる言葉を口から出すことができた。
彼の頭を撫でた。彼を元気づけてまた魔法を使ってもらわないと城に帰れないから。
「どーしゅる。ここ、どこ」
テオドシウスは顔を上げ、眉を顰めた。
「なに、そんなに話せるの」
うん、なんだか話せるみたいなの。
こんなに話せるなんてわたしも知らなかったわ。いつも誰かが気にかけてくれて、欲求はほとんど通るから話す必要なんてなかったし。
はあ、とテオドシウスは空を見上げた。
「俺、さっきルナの母親を殺してしまいそうだった。ルナに止めてもらわなかったら、実際そうしていたと思う」
テオ――さっきは夢中でそう呼んじゃったけどもうそれでいいわ。テオドシウスって呼ぶのも長いし。
テオは珍しく落ち込んでいるようだった。わたしをたぐり寄せるとそのまま膝の上に抱える。
「なあルナ、このまま二人で逃げようか。俺は魔法が得意だし、どうとだって生きられる。ルナが好きなもの、欲しいもの、なんだってあげるよ」
わたしは首を横に振る。わたしの態度に、テオは目を丸くした後で、納得したように頷いた。
「そっか。……まあそうだよな。言ってみただけ。責任と義務に背いたりしないよ」
そうね、貴方らしいわ。
「俺が英雄王の生まれ変わりなんかじゃなかったら良かったのに。そうしたら、もっとずっと自由だった」
驚いた。それは弱音だった。
だけど言われた意味は分からない。誰もが切望する立場でしょ? わたしだって代わって欲しいわ。
テオはまだわたしを抱きしめたまま、木にもたれかかった。
「あと少しだけ、ここにいてもいいか。父上と母様が心配で山狩りを始める前には帰るよ」
秋の風が少し冷たい。わたしはテオに身を寄せた。
「あったかいな、ルナは」
頭の上に、テオドシウスの息づかいを感じる。
男女であることなんて当然どちらも感じていなくて、ただ人同士の温もりがあるだけだった。二匹の犬のように、わたし達は身を寄せ合う。
大きな木の側にいると、わたし達がまだほんの小さな子供に過ぎないのだと思い知らされる。
ぽつり、とテオは言った。
「ルナが来る、少し前。俺の弟か妹は流れてしまったんだ。生まれる時期よりもとても早く外に出てきてしまった。それを皆、表に出さないようにしていたけど、ひどく気に病んでいた。ルナが来てからだよ、城に本当の笑顔が生まれたのは」
そうなんだ、わたし、少しも知らなかったわ。
きっとせっかちな子だったのね、そんなに早くみんなに会いたかったなんて。でも気持ちは分かるわ、だってグラディア家はとても居心地がいいから。
そうか、テオ、貴方は見たのね? その子の魂を。その小さな魂の灯が消える時を。
「母様は――エリィさんは、俺の実の母親じゃない。知っているかと思ったけど、知らなかったのか」
知らなかったけど、言われてみたら腑に落ちる。
家族の気遣い、優しさ、思いやり。過剰なまでの愛。愛の言葉。愛の態度。あえてそれを見せようとしている空気感。それは全て、彼等の努力だったのか、と理解した。
先王の側室の子であるクローディンは最初の妻を失い、エリィは後妻として先妻の子を育て、テオドシウスは実父と継母と義妹の間を取り持っていたのね。誰も家族の正しい形なんて知らない。
家族になろうとして、家族というものを守ろうとして、皆、必死に歩み寄っていたのかもしれない。
わたしは英雄王の孤独を少しずつ知る。
「しゃりゃあ」
「うん、シャリアって、俺の母親。今日行ったんだろ、墓参り」
行ったわ。優しくて綺麗な人だってエリィお義母様は言ってた。皆の憧れだったんだって。挨拶もちゃんとしたのよ。貴方の母親だったのね。
じゃあ、ルキウスは? ルキウスは――。
「いつか話すよ。いつか――もう少し、俺の気持ちに整理が付いたら。ルナには知っておいて欲しいから、必ず話す。だからもう少しだけ、待っていて欲しい」
うん、とわたしは頷いた。
そうね、いつか教えてね。ちゃんと聞くから。
「――なあルナ。もう一度、名前を呼んでくれないか」
「てお?」
「うん」
「てお」
「うん」
――てお。とまた言ってみる。彼は小さく頷いて、震える声でこう言った。
「この名前、好きじゃなかったけど、ルナに呼ばれると、なんだか悪くない気がする」
意味は分からなかったけど、わたしを抱きしめる彼の手に触れた。彼が悲しんでいるように見えたから。
それから二人して無言になる。わたしは木々を見上げた。森の木々が一面赤色に染まるって、出会った頃のテオが言っていたっけ。本当ね、間近で見るとより分かる。貴方が言ったとおりとても素敵だわ。
わたしは体を包み込む彼の腕に触れ続ける。まだ子供の細い腕だった。わたしを殺した腕とは、似ても似つかない。そうね、違うわ。だってここにいる貴方は、わたしを殺していないもの。
ねえ、テオ。
さっきは守ってくれてありがとう。なんだかわたしもグラディアの地が好きみたい。ここにもう少しだけいたいの。だってとっても美しい場所なんだもの。
それにしても、どうしてお母様は来たの?
ううん、彼女が来た理由なんて明白で、わたしという身を守るための保険が欲しいのだ。
気になるのは、なぜ五歳の時ではなく今来たのかってところ。
もしかして、時がもどる前も来ていたの? それともずれた運命の歯車が彼女にまで影響を及ぼしているのかしら。
わたし達が連れ立って城に帰ると、義両親によりすぐに抱きしめられた。
「テオ! ルナ! あと少しで兵士を動かして探しに行くところだったぞ!」
そう言うクローディン自身も外に出る寸前だったらしく外套を着るところだった。
はらはらと涙を流しながらエリィが言う。
「本当に、二人とも無事で良かった。話を聞いていたなんて全然気付かなくて。でも不安になって当然よね、ごめんね」
う……少し罪悪感。勝手に盗み聞きしたのはわたし達だもの。
テオが殊勝な口調で頭を下げた。
「すみませんでした。ルナがいなくなると思ったら、どうしたらいいのか分からなくなってしまいました」
これで一件落着――とはならない人が一人。
わたしの実のお母様がテオドシウスに食ってかかった。
「ふざけないで! お前、どう落とし前つけるつもり?」
一応言っておくけど、お母様はわたしと同じく魔法が使えない。
こういうところは尊敬するわお母様。さっき自分を殺しかけた圧倒的に力の強い英雄王の胸ぐらを一切の躊躇を見せずに掴むんだもの。
「考えたのですが」
とお母様の手を振り払いながらテオが言う。
「僕、ルナと婚約します」
しん、と静寂。
誰も理解できてなかった。
反応が芳しくなかったのか、テオは更に重ねる。
「婚約して、ルナが成人する十六歳になったら結婚します。貴女にとって悪い話じゃないと思いますが、いかがですか」
「ちょ――」
ちょっと待ってよ、聞いてないわ! わたしの意思は!?
言いかけたわたしの口を、テオの手が塞ぐ。彼の視線はお母様に向けられていた。
これは交渉なんだ、と気がついた。本気でわたしと結婚するつもりは彼にはないけど、手持ちの素材でなんとかわたしをこの城に留めておこうとしてくれている。お母様のところに戻ったらわたしが最悪死ぬと考える義両親の意思を汲んで。わたしも実母の家には行きたくない。この城で、甘やかされる生活がどれほど居心地がいいか知ってしまったんだもの。
お母様の中で、急速に計算が行われていることは明らかだった。愛情では決して動かない母だけど、損得では動く。
やがてお母様は頷いた。自分が生んだ子と英雄王の結婚は大いに得であると結論が出たようだった。
だけど、と右手の指を三本立てながら彼女は言う。
「条件が三つある。一つ、ルナにはグラディア家が養家であるということを隠さずに伝えること。
二つ、わたしフラローサ・オルエンヌが実母であるということも必ず伝えること。
三つ、十歳の祝いがあるわね? 昔の成人の名残の祝いよ。ルナが十歳になったとき、婚約を帝国中に公表しなさい。そしてわたしが危機に陥ったときは、必ずグラディア家が助けること。わたしの実子をあげるんだもの、当然でしょう」
さりげなく四つ目を付け足した後でお母様は義両親に目を向ける。
「それをクローディン、エリィ――それからテオドシウスが“誓う”というのなら、ルナをここに置かせてあげてもいいわ。グラディア家にとって誓いは重要な意味を持つのでしょう?」
クローディンとエリィが目配せし、代表してクローディンが言った。
「ああ、誓おう」
わたしの実母は隠しもせずに笑った。勝利か安堵か、あるいはどちらも含まれる笑みなのかもしれない。貴女も生き残るために必死なのね、それはよく理解できるわ。
わたしとお母様の間に家族の絆や情なんてないけど、共感は少しだけできるから、いずれ貴女の死も救ってあげるわ。そもそもわたしが英雄王に盾突かなければ、貴女も死なずに済むしね――。
後で冷静になったとき、英雄王であり義理の兄でもある彼と婚約だなんてとんでもないことになったな、なんて思ったけどあまり深く考えないようにした。
いずれディアナが現れたらテオドシウスの愛はそちらに向き、どのみち結婚なんてしないんだし、元婚約者で義妹として育ったわたしを邪険にはしないはずだもの。これは悪い話では決してないと思えた。
いつもお読みいただきありがとうございます!
作者が、なんか赤ちゃん育てたいな、とふと思って書き始めた話ですが、自分にとっては残念ながら一歳児編はここで終わりです。
次はもう少し大きくなり、赤ちゃんとは言えない年齢かと思います。
引き続き、よろしくお願いします。




