死に戻った悪辣姫
奮闘記です!
あーあ。運がなかったな。
わたしを無感情で見つめてくる青い瞳を見つめ返しながら、そんな風に考えた。
もっと上手くやっていれば、こんなことにはならなかったはずなのに。
分厚い灰色の雲からは、ちらちらと雪が降り始めていた。雪のひとひらがわたしの頬に落ち、溶けて滴となって流れていく。だけどそんな一滴が気にならないほど、先日積もった雪の上にはもっと目立つ大量の赤い液体が滲んでいた。
裂けたわたしの腹から流れ出た血だ。牢の鍵が空いていて、逃げ出す時に兵に見つかって刺された傷。交戦になって向こうにも傷を負わせ返り血を浴びたから、二人の血が混ざり合っている。
治療する手立てもないままに逃げ出したから、雪の上にはわたしが通った跡が血の目印としてくっきり残っていた。追いつかれるのも時間の問題だって分かってたけど、そうね、最期に悪あがきがしたかったのよ。
彼が剣を引き抜いた。わたしの命の終わりは、どうやら彼に委ねられたらしい。そうして彼はきっちりと決着を着けるだろう。そういう人だってことは、うんざりするほどよく知っている。
最期に外の世界が見れたと思えば、まあ良かったのかもしれないわ。
だって牢から出るのは数ヶ月ぶりのことだったから。それがこんな凍える日じゃなかったら、もっと良かったかもしれないけれど、こんなふざけた日に死ぬって言うのが、なんともわたしらしくて馬鹿馬鹿しいじゃない?
処刑場の隣の塔の中で罪人の首が刎ねられるのを見ながら、次は自分の番だと怯える必要がもうないってこともまあ良かったのかもしれないわ。
彼の後ろを追いかけるようにして、兵士達が集まってきた。そんなにいっぱいこなくても、もうわたしに逃げる体力なんて残っていないのにね。
哀れに取り乱して見世物になるなんてごめんだったから、痛みを堪えて立ち上がる。余裕を見せようと髪の毛を振り払おうとして手が空を切る。髪なんてとっくに切られてしまっていたことをやっと思い出した。手を離したから、腹から殊更どす黒い血がごぼりと流れていった。
口から小さな笑いが漏れた。
わたしったら最期まで無様だわ。
結局碌でもない人生だった。
もっと身の程にあった望みを抱くべきだった。
妾の娘が王になろうだなんて間違っても思ってはいけなかったのに。偉大なる英雄王を相手に反乱を起こしたところで、行き着く先は玉座じゃなくて処刑台だなんて子供でも分かる簡単な問題だ。
でもこうなってしまったら仕方ない。せめて虚勢を張らせて欲しい。
「わたしとお別れするためだけに、こんなにもたくさんの方々にお集まりいただいてとっても嬉しいわ。ありがとう、そして永遠にさようなら」
スカートの裾を持ち上げて小さく一礼してみせると、兵士達が怯んだように見えて、ほんの少しだけ溜飲が下がる。
「それから――テオドシウスお義兄様。どうか妖精姫とお幸せに。冥界からお二人の栄光を見守っていますわ」
彼を兄だなんて思ったことは一度もないから、当然これは皮肉だった。
にっこりと微笑むと、彼の顔に微かな感情が走ったように見えた。だけどそれがなんだったのかは、よく分からない。
彼の感情が分からないのは何も今日だけの話じゃない。出会ってから今日まで、彼が何を考えているのか少しも分からなかった。
誇り高き英雄王の生まれ変わりテオドシウス帝。
この国を救った美しき皇帝。光り輝く金色の髪に、宝石をはめ込んだかのような青色の瞳のかつての義兄――に、殺される反逆者のわたし。
ああ、ほんとに笑える。わたしの人生ってなんだったんだろう。おだてられて利用し尽くされて、最後は反逆者として死ぬなんて。
生まれは悪くないはずだから、もっと上手く立ち回れたらもう少しは長生きできたはずだったのに。少なくとも十八歳になった日に、こんな風に死ぬことは無かった。
でも別に被害者ぶるつもりない。わたしの反乱で国は大混乱に陥ったし、大勢の人が死んだ。誰かが呼んだ「悪辣姫ルナ・ローゼン」もあながち間違いじゃないってこと。
「俺にやらせてください。彼女は俺の母を殺した」
そう言って兵士の群れの中から一歩進み名乗り出たのは知った顔の兵士だった。険しい表情を浮かべる赤毛の青年、ジェイク・バレン。かつて友人だったこともある彼は、今わたしを殺そうと剣を引き抜く。
だけどそれを、テオドシウスが制した。
「――いや、私がやろう」
自らわたしにとどめを刺したいみたいだわ。
テオドシウスはもう既に元の無表情に戻っていて、わたしにゆっくりと近づいてくる。わたしは恋人に抱きしめられるのを待つ無垢な少女のように両手を広げて彼を待つ。彼がくれるのは、愛ではなくて死だけどね。
彼の手が、わたしの肩にかけられた。
この手がわたしに触れるのは覚えている限り二回目だ。黒い革手袋を通してでは体温さえ感じられない。そのことに、わたしは傷つかないふりをする。彼が与えるなにもかもに、もう二度と心をざわめかせたく無かった。
ついに彼の持つ剣がわたしの心臓を貫いた。
逆流する血液が、わたしの口から自嘲と共に噴き出した。
ねえお義兄様。貴方からはお別れの言葉さえないのね? 憎しみ合ったわたし達だから、当然のことね。だけど心臓をひとつきで刺してくれたのは、まだ慈悲があったって思って良いのかしら――。
冷たい雪の上に体がどさりと落ちる。生暖かい血が氷の粒を溶かしていく。死ぬのって、こんな感じなんだ。案外、何の感情も抱けないものね。
雪が体の上に降り、まだ残る体温によって水滴に変わるのが見えた。だけどわたしの体が冷え切ればそれもいずれ変わらなくなるのだろう。妙に冷静にそんなことを考えた。
さっき冥界だなんて言っちゃったけど、死後もなお意識があるなんて絶対に嫌だ。古い伝承にあるように、輪廻転生だなんてまっぴらごめんよ。
わたしの願いはただ一つ。もう二度とこんなくそったれの世界に生まれてきませんように。
死を感じながら、わたしはただそれだけを願い続けた。
◇◆◇
などという記憶が一気に頭の中になだれ込んできた。息をするのを忘れるほどの衝撃だ。もしかしたら心臓だって止まってたかもしれない。
言い訳じゃないけど、ついさっきまでのわたしはただの赤ちゃんに過ぎず、自分の身に起こっていることといえば、温もりと寒さ、快適と不快――そのくらいしか分からなかった。
――なのにこれってなんの冗談!?
目の前にいる可愛らしい少年はにこやかな笑みを浮かべている。
わたしを迎えに来た義理の母となる人は、目を見開いて固まってしまったわたしを見て、困り果てたように眉を下げた。
だけどそんな二人の様子なんて少しも気にすることができずに、突如蘇った未来の記憶を、わたしは受け入れられずにいた。
「大丈夫よ、ほら、馬車の中でお話ししたお兄様ですよ。名前はテオドシウス。とびきり賢くて優しいお兄様よ?」
その名を聞いて思わずひいと引きつった悲鳴を上げた。
テオドシウスと呼ばれた少年が、城の石造りの外階段をゆっくりと降りてにじり寄ってくる。わたしの体は完全に硬直する。
義母が腕の中にいるわたしの手を優しく握り、少年に笑いかけた。
「さっきまでにこにこしていて、とってもご機嫌だったのだけど――初めて会う人に驚いているのかもしれないわ」
「無理もありません。旅は長かったでしょうし、疲れてしまったんでしょう」
声変わり前の可愛い声。
幼い少年は金色の髪を太陽の日差しの下に煌めかせながらまた一歩歩み寄り、真っ青な瞳の中にわたしを映してお世辞を並べる。
「お話に聞いていたとおり、とても可愛い子ですね。まるで妖精姫のようです」
わたしはまだなんの言葉も出てこない。
やっぱり体は動かずに、代わりに胸がチクリと痛んだ。言っておくけど比喩じゃないわ。英雄王に刺された心臓が、さっきの記憶を思い出して疼いたってこと。
反射的に心臓を抑える。良かった、体が動き始めた。わたしは自分の手を見つめる。小さくて丸い手。生まれたときから見慣れているその手が、まるで異質なもののように思えた。
おそるおそる顔を上げる。テオドシウスが笑ってる。見たこともないような温かな笑みで。それにさえ背筋が凍り付いた。
随分と幼いけど、この金髪、この青い瞳、この腹が立つほど整った顔。毎日毎日なんとしてでも倒そうと思い浮かべていたその姿を見間違えるはずがなかった。
頭は混乱を極めていた。
――あり得ない! どうして? わたし、赤ちゃんになってる!?
どうして英雄王が子供なの? これが死後の世界? 時が戻ったってこと? あの暗黒を、あの絶望を、あの恥辱を、また繰り返すということ? それがわたしの人生に対する罰ってこと!? わたし、またこの男に殺されるの――!?
「これからよろしく、ルナ」
そう言ってテオドシウスがわたしの手を掴んだ瞬間、あまりの恐怖にその場に吐いた。
こんにちは。さくたろうと申します。
第一話をお読みくださりありがとうございます。
ファンタジー、恋愛、戦記みたいな話にできたらいいなと思っています。長めの話になると思います。
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皆様が楽しめるようなお話を目指して頑張ります。よろしくお願いします。




