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『報酬:金貨』を狙ったはずが『報酬:一生の愛』ばかり来るんですけど!?   作者: 夜凪灯
第2章 面倒な元騎士

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第8話

 朝の光が差し込む酒場の二階、女主人が貸してくれた小部屋の前で、カナミは両手を腰に当てていた。


 机の上には紙束が置いてある。そこには、カナミが作った簡易の生活管理表がある。起床、洗顔、食事、軽い運動、外出など。わかりやすく並べてあるのに、文字が読めないのかと思うぐらい実行されていない。

 

 その証拠に、今日の予定の外出の時間が近づいているにもかかわらず、目の前では、アルトが長椅子の上で毛布にくるまっている。銀灰色の髪は少し乱れ、長い脚が半分はみ出している。


「起きてください」

「嫌だ」

「お腹空いてません?」

「空いてない」

「嘘ですね」

「なんで分かる」

「さっきお腹鳴ってました」

「……」


 カナミが呆れるように言うと、アルトはそこで黙った。


 ここ数日続けてやっと分かった事がある。

 この天邪鬼に普通の対応は効率が悪い。

 なので、スキルからも提示された案に変更しようと考えている。


「……よし」


 カナミは小さく頷いた。


 必要なのは割り切りだ。そう、心を無にすること。

 もうこれは大人の女ではない。元騎士でもない。

 

 赤ちゃんだと思えばいい。


 大きくて、文句の多い赤ちゃんだ。


「なにその顔」

「いま、役に入りました」

「どういうことだ?」


 アルトが怪訝そうに眉を寄せる。

 カナミは母性溢れる笑顔で、机の上に置いていた朝食を手に取った。女主人に頼んでおいた薄いスープと、柔らかいパンと煮た芋。胃に優しく、寝起きでも食べやすい内容だ。


 そしてスプーンでひとさじすくい、アルトの前へ差し出す。


「はい、アルトさん、あーんしてください」

「……は?」

「朝ごはんですよ」

「見れば分かる」

「じゃあ、口を大きく開けてください」

「は?」


 アルトが固まった。

 青灰色の目が、信じられないものを見るようにこちらを見ている。


 カナミは笑顔のままもう一度スプーンを差し出した。


「はい、あーん」

「待て」

「どうしました?」

「なんでそうなる」

「自分で食べないなら、こうするしかないでしょう」

「考えが雑すぎるだろ」

「効率重視です」


 アルトの耳が、じわっと赤くなる。


 その反応に、カナミは少しだけ内心で首を傾げた。

 嫌がるのは分かる。でも、ただ嫌そうというより、妙に落ち着かない顔をしている。


「早くしてください。冷めますよ」

「食べる。自分で食べるから、その顔やめろ」

「どの顔ですか?」

「その赤子を見るような優しい顔だ!」

「だって赤ちゃんですし……」

「余計に質が悪い!」


 アルトは勢いよく身を起こし、スプーンを奪うように取る。


 カナミはその様子を見て、胸の中で小さく頷く。


 ほら、起きた。やっぱりこの方向だ。


「……お前、こういうの慣れているのか?」

「まあ、慣れていますね(弟妹で)」

「……」


 アルトは何か言いたげな顔をしながら、スープを口に運ぶ。


 朝食を片付けたあと、カナミは次の課題へ移る。


「では次です」

「まだあるのか」

「もちろん。それでは、お風呂に入ってください」

「面倒だ」

「面倒なら私が入れてあげます」

「なんでそうなる!?」


 アルトは顔を赤くして、驚きながら指をさす。

 カナミは不思議そうに首を傾げる。


「だって、自分で出来ないなら、私がするしかないじゃないですか」

「本気か!?」

「はい」


 カナミはじりじりと近づいていく。


 アルトはたまらず立ち上がり、カナミから一歩距離を取る。顔だけでなく首筋まで赤い。そこまで慌てる意味が分からない。


「そこまで嫌ですか?」

「嫌とかそういう問題じゃない!」

「清潔は大事ですよ?」

「……はあ、分かった。入るから一人にしてくれ」


 アルトは肩を落としながら風呂場へと向かった。


 けれどその落とし方は、最初の頃の投げやりな諦めとは少し違う。単純に観念したような、妙に人間らしい仕草だった。


【対象:アルト】

【好感度:上昇傾向】

『対象が態度を改めています』


 カナミはアルトの変化と文字を見て、少しだけ目を細める。


 これでいいのだ。

 大人扱いして投げるより、この人には少し強引なくらいの方が合っているのかもしれない。


 しばらくの後、湯上がりのアルトが、濡れた髪を拭きながら部屋に戻ってきた。

 その姿は、朝よりずっとましだった。髪は少ししっとりして、肌の色も寝起きより明るい。少し見惚れるくらいには綺麗だった。


「これで外へ行けそうですね」

「外へ行くのか」

「行きますよ。せっかくここまで整えたので」

「整えたって……」


 最後まで文句を言い切る前に、アルトはふと窓の外へ目を向けた。


 昼の光が差し込んでいる。

 王都の通りは明るく、人の声が下から小さく届く。


 以前ならそれだけで顔をしかめたはずだ。

 でも今日は、そこまで露骨な拒否がない。


 カナミは、その一瞬を逃さず言った。


「少しだけでいいんです」

「……」

「買い出しの手伝いで、近くを歩くだけでも」


 アルトはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「分かった」

「ほんとですか? じゃあ行きましょう」

「……ああ」


 アルトはぶっきらぼうに返しながらも、ちゃんと扉の方へ歩き出した。

 カナミは、昨日まであんなに苦労していたのが嘘のように事が運び、上機嫌で付いていく。



 外に出ると、思っていたより太陽が上の方に上がっていた。


 石畳に陽が反射してとても眩しい。酒場の薄暗さから急に出たせいか、アルトは少しだけ目を細めた。


「日差し、眩しいですね」

「別に……」


 女主人に頼まれた買い出しは、パンと乾燥肉と、酒場で使う粗塩。それだけならカナミ一人でも十分だったが、アルトを連れ出す口実としてはちょうどよかった。


 最初のうちは案の定、歩幅が合わないだの、通りがうるさいだの、いちいち文句が多かった。だが、通りを二つ三つ曲がる頃には、少しずつ黙る時間が増えてくる。


 カナミはその変化を横目で見ながら、露店の品を見比べていた。価格、量、鮮度。条件のいい店から順に回る。いつものことだ。


「……慣れているんだな」

「どこの店が安いか、ある程度把握してるので」

「そんなに覚えるものなのか?」

「覚えますよ。生きるのに必要ですから」

「……」


 アルトが、ほんの少しだけ視線を落とした。


 またあの顔だとカナミは思った。

 何かに触れかけて、でも自分でもその正体が分からないみたいな、心の揺れ。

 カナミはその表情を消すように切り出す。


「はい、これ持ってください」

「急だな」

「荷物係ですから」

「いつ決まった」

「さっきです」

「勝手すぎる」


 面倒くさそうに言いながらも、アルトは紙袋を受け取った。


 その時、通りの向こうから声がした。


「アルト?」


 振り向いた先にいたのは、背の高い女だった。栗色の髪を後ろでひとつに結び、簡素な外套の下に動きやすそうな服を着ている。腰には剣を携え、立ち方だけで、訓練を積んだ人間だと分かる。


 その女はまっすぐアルトを見ていた。

 次に、その隣のカナミを見る。


 その瞬間。


 女の目が、わずかに見開かれた。

 空気が、変わったような気がした。


「……あなた」


 その一言は、カナミへ向けられていた。


 敵意というほどではない。

 けれど、警戒と戸惑いと、なにか言葉にしづらい感情が混じっている。


 アルトが露骨に顔をしかめた。


「……レオナ」

「久しぶり、でいいのかしらね」


 女――レオナはそう言ってから、視線をもう一度カナミへ戻した。

 じっと見ている。まるで、何かを確かめるみたいに。


 カナミは訳が分からず、ひとまず営業用の笑みを浮かべた。


「ええと、知り合いですか?」

「元同僚よ」


 答えたのはレオナだった。


「騎士団にいた頃の」

「……そうですか」


 アルトは何も言わない。ただ、さっきまでよりはっきりと不機嫌になっていた。


 カナミはその二人を交互に見た。

 元同僚。つまり、アルトがこうなる前を知っている人間だ。


 やがて、レオナは小さく息を呑んで言った。


「……似てる」

「レオナ」


 アルトの声が、さっきより低く落ちた。


 ぴしゃりと止めるような響きだった。

 レオナはそこで口を閉ざす。けれど目だけは、まだカナミから逸らさない。


「誰に、ですか?」


 カナミが恐る恐る聞くと、レオナは一瞬だけ迷うように眉を寄せた。

 アルトは目を閉じ、嫌そうな態度をとる。


 その空気に、さすがのカナミでもすぐ分かった。

 たぶん、あまり軽い話ではない。


「……今はやめておくわ」


 レオナが言った声は、さっきまでより少しだけやわらかかった。


「あなた、名前は?」

「カナミです」

「……そう」


 カナミは少しだけ背筋に違和感を覚える。

 自分の知らないところで、なにかを見られているような感じ。


 アルトが苛立ったように踵を返した。


「行くぞ」

「え? いいんですか?」


 レオナは去っていこうとする背中を見て、小さく息を吐いた。

 そして、カナミに近づき、小さくつぶやく。


「あなたは、少しは知っておいた方がいいかもしれない」


 カナミは目を瞬いた。


「何をですか」

「あの人のことを」

「レオナ」


 今度のアルトの声には、はっきりとした拒絶があった。


 レオナはそれ以上言わなかった。

 ただ、困ったような、痛ましそうな、複雑な顔でアルトを見ている。


「……昔は、あんなじゃなかったのよ」


 それだけ言って、彼女は視線を落とした。


 カナミは何も返せない。

 彼女の言葉が、胸の中に小さく引っかかった。


「……早く行くぞ」

「はい」


 歩き出す背中を追いながら、カナミは思う。

 ここまで露骨に何かある顔をされると、さすがに気になる。


『追及は避けてください』 


 今は追わない方がいい。それは、カナミも直感でそう感じていた。


 隣を歩く銀灰色の髪が、陽の下で淡く光る。

 その横顔は、さっきまでの面倒くささとは別の静けさを纏っていた。

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