プロローグ
その日、カナミは追いつめられていた。
廊下の突き当たり。
後ろは壁で、逃げ道なし。
そして目の前には、三人の女子。
「……ええと。みなさん、ちょっと落ち着きませんか?」
カナミは引きつった笑みを浮かべながら、一歩、後ずさった。けれど、すぐに背中が壁に当たって、それ以上は下がれない。
まず正面に立っているのは、気の強そうな美人だった。腕を組んで、じっとこちらを睨んでいる。怒っているようにも見えるが、頬が少し赤くて、妙に怖い。
その隣には、にこにこと柔らかく微笑むお嬢様っぽい少女。見た目は穏やかなのに、一番逃がしてくれなさそうな目をしていた。
そしてもう一人。
楽しそうに口元を緩めた、からかうのが好きそうな女の子。今も面白がるように、じっとカナミを見ている。
どうしてこうなった。
本当に、心の底からそう思う。
カナミはただ、少しばかり要領よく生きていただけだ。
困っている相手に手を貸して、必要な言葉をかけて、うまく立ち回って、そのぶんの見返りをもらう。
綺麗事だけで生きていけるほど、この世界は優しくないのだから、それくらい当然だろう。
なのに……
「何か言いたいことは?」
「あります、ありますとも!」
即答してから、カナミは咳払いした。
「まず最初に言っておきますけど、みなさんが考えてるようなことじゃないです。たぶん誤解です」
「誤解?」
「はい。大変な誤解です」
三人の視線がいっせいに集まる。
ものすごく居心地が悪い。
だいたい、そんなふうに見つめられる理由がわからない。
いや、少しはわかる。少しはわかるけれど、認めたら負けな気がするので、できれば気づかなかったことにしたい。
「私、別に変なことした覚えないんですよね」
「へえ」
「夜遅くまで付き添ったり?」
「困ってたからです」
「やたら優しくしたり?」
「必要だったので」
「思わせぶりなことを言ったり?」
「言ってません」
三人とも、まるで示し合わせたみたいに黙った。
その沈黙が痛い。そんな目で見ないでほしい。
カナミは視線を逸らしながら、心の中で言い訳を並べていた。
仕方なかったのだ。全部、ちゃんと理由があった。
それに、カナミが欲しかったのは別にこんなものじゃない。
欲しかったのは、もっと単純なものだ。
金貨とか、生活の安定とか、ちゃんと明日を生きるための、現実的で役に立つもの。
それなのに、どうしてみんなこうなるのだろう。
気の強そうな彼女が、一歩だけ近づいてくる。
「じゃあ聞くけど。あんた、私たちにしたこと、全部なんとも思ってないわけ?」
「え、いや、それは……なんとも思ってないわけじゃなくてですね」
「私は嬉しかったですわ」
柔らかい声で、お嬢様みたいな少女が言う。
その言葉は穏やかだが、逃げ道を塞ぐみたいにまっすぐだった。
「ですから、きちんとお返ししたいと思っていますの」
「お返し……」
嫌な予感しかしない単語だった。
からかうような笑みを浮かべた女の子が、くすりと笑う。
「カナミってさあ、自分がどれだけ期待させるか、ほんと分かってないよね」
「期待って」
もうだめだ、とカナミは思った。
何を言っても墓穴を掘る流れになっている。
三人とも、本気なのか冗談なのかわからない顔をしている。けれど、その目だけは妙に熱っぽくて、冗談で済ませてくれそうにはなかった。
カナミは恐る恐る口を開く。
「……ちなみに、みなさんは私に何を求めてるんです?」
すると、三人は一瞬だけ顔を見合わせた。
最初に答えたのは、腕を組んだままの彼女だった。
「責任……かな」
次に、お嬢様みたいな少女が微笑む。
「ちゃんとしたお返事を」
最後に、楽しそうな女の子が肩をすくめた。
「逃げないって約束?」
それと同時に、カナミの視界の端で、見慣れた文字がちらついた。
【期待値:上昇】
【獲得可能報酬:——】
【報酬受取条件:受諾】
カナミは心の中で天を仰いだ。
「ええと……少し考える時間をいただく、とかは」
「だめ」
「だめですわ」
「なし」
ぴしゃりと返されて、カナミは黙り込んだ。
窓の外から差し込む夕陽が、廊下をやわらかく照らしている。
金色の光だった。
——本当なら、こういう金色を追いかけていたはずなのに。
カナミは引きつった笑みのまま、そっと息を吐く。
金貨が欲しかっただけだ。
ただ、それだけだった。
なのに彼女のもとには、金貨より重たくて、扱いに困るものばかり集まってくる。




