第五話 妖精に目を奪われる村(5)
「まだ閉まってない」
カーラが言った。
村長が押す力を強めた。
ユラが肩を入れ直した。
村長の甥はもうしゃがみ、扉の下に乾いた草を用意していた。
誰も広場の方へ身を引かなかった。
それでも足りない。
あと少し。
その少しを、村は毎年「このくらい」で済ませてきた。
リュカが扉の下をのぞき込むようにしゃがんだ。
足元には、飾り台のくさびが一本転がっていた。
片端が削れ、今朝まで広場の脚を立てていた木だった。
それを拾い、右扉の下に差し込んだ。
「右側、下を見ろ」
「何をする気だ」
「押すな。持ち上げるつもりで肩を入れろ」
「扉を持ち上げるのか」
「そう。下に食い込んでる」
ユラが扉に肩を当て直した。
村長も左扉を押し込んだ。
カーラは上の留め金を穴の口に合わせたまま待った。
リュカが靴底で、くさびを少しずつ押した。
木が石にこすれ、低い音を立てた。
右扉の下が、髪一本ぶんだけ持ち上がった。
カーラの指先に、それが伝わった。
受け口とのずれが、ほんの少しだけ詰まった。
「もう一度やる」
カーラが言った。
今度は誰も返事をしなかった。
返事のかわりに、皆、自分の持ち場へ力を入れた。
ユラが肩を入れた。
村長が支えた。
カーラが留め金を落とした。
かつ。
さっきより深い。
だが、まだわずかに足りない。
上の合わせ目から、白い息のような湿りがひとすじ入った。
甥が抱えていた乾いた草の端に、黒い点がついた。
乾いた草が、乾いたままではなくなっていく。
広場の向こうで、子どもの一人がまた口を開きかけた。
今度は、自分で両手を口に当てた。
誰かに止められる前に、自分で止めたのだ。
鍋係が、その頭を軽く撫でた。
笑わない。
ただ撫でた。
カーラはその動きを見た。
さっき北畑へ向いていた首が、何本か扉の前へ戻った。
けれど扉は、まだ戻ろうとしていた。
村長の手の中で、最後と書いた枝が小さく軋んだ。
リュカが受け金の縁に親指を当てた。
外から見れば、ただ金具の位置を確かめているだけに見えた。
見ているのは本当だった。
留め金は穴へ入る。
入るが、底へ届く前に扉の重みが戻り、留め金を押し上げる。
「もう一度。落としたら、すぐ手を添えろ」
カーラはうなずき、留め金を落とした。
かつ。
また浮きかける。
そこで止まった。
リュカの親指は、受け金の縁に触れているだけだった。
押したようには見えない。
それでも、浮きかけた留め金は戻らなかった。
「いま。押し込め」
カーラは留め金の頭に手を重ね、押し込んだ。
すとん。
今度は音が違った。
乾いた、深い音だった。
受け穴の底まで、留め金の先がまっすぐ収まる音。
戻らなかった。
リュカがそこで手を離した。
金具の埃を払うみたいに、指先を上着の端にこすった。
カーラはそのまま留め金に手を置いた。
冷たい。
けれど、閉まった扉の冷たさだった。
村長がゆっくり手を離した。
ユラも肩を抜いた。
甥が待っていたように扉の下に乾いた草を押し込み、手のひらでぎゅっとならした。
誰にも言われず、自分で最後までやった。
カーラはそれを見下ろした。
そして広場を振り返った。
北畑の束はまだ上がっていない。
飾り台は半ば崩れたまま。
だが、今日はそれでいい。
「今日は妖精じゃない」
カーラが言った。
声は大きくなかった。
それでも広場にいた人たちはみな、顔を上げた。
「最後まで残って閉めた」
今度は、誰も笑わなかった。
笑いの代わりに、束を抱えていた年配の女性が、その束をそっと足元へ下ろした。
下ろしてから、根元の縄を見た。
自分で指を差し入れ、もう一度だけ締め直した。
「そこ、まだ甘いよ」
年配の女性は、束の根元を見たまま言った。
けれど、その一言で、広場に残っていた人たちが何人か動いた。
飾り台の脚を支えていた若い男たちが木のハンマーを置き、台の板に手をかける。
子どもたちは、落ちたくさびを拾って集め始めた。
村長が言った。
「台は、こっちへ寄せる」
北畑へ向けるのではなく、貯蔵庫が横目に入る位置へ。
しまうものをしまってから、その年の見せ場を出す。
順が変わっただけだ。
ユラと甥が板を持った。
鍋係が脚の下に噛ませる平たい石を探した。
子どもがそれを抱えて走った。
脚の下に石が入り、外していた板が戻った。
束を載せる前に、ユラが天板を押して揺れを見た。
そこへ、村の入口の方から馬の鈴が近づいた。
西の商人だった。
去年も一昨年も来ている男で、村に入るなり、まず高いところを見る癖がある。
今年もそうするつもりで首を上げた。
けれど、見えたのは北畑の台ではなく、貯蔵庫の脇で立て直されている台と、その後ろでぴたりと閉まった扉だった。
「今日はそっちか」
商人が馬を緩めながら言うと、村長がうなずいた。
「先に閉めた」
それだけだった。
余計な言葉は足さなかった。
広場で、誰も先に束の自慢を挟まなかった。
商人は馬を降り、貯蔵庫の前へ来た。
扉の下の乾いた草を見た。
上の留め金を見た。
扉の合わせ目の白い筋が消えているのを確かめてから、今度は貯蔵庫の脇に立てた台を見た。
「去年は、帰りにここで下げたな」
商人が扉の下を見たまま言うと、村長の妹が聞いた。
「束は見ないの」
「見る。だが、ここが濡れていたら、束がよくても値は下げる」
商人は台の脚元をつま先で確かめた。
揺れない。
「台もこれならいい。載せてくれ」
村長は、その言葉を受けて何も言わなかった。
ただ、北畑の束を一つだけ上げるよう、顎で合図した。
年配の女性が、さっき締め直した束をユラに渡す。
ユラは受け取って、台の真ん中に載せた。
甥が根元の縄を見て、もう一度だけ引いた。
誰も急がせない。
誰も途中で口を挟まない。
台のまわりで、待っていた人たちが少し肩を下げた。
束が立った。
穂先が、風にそろって鳴った。
商人はまだ値を口にしなかった。
もう一度、貯蔵庫の扉へ目を戻した。
子どもの一人が、思わず口を開いた。
「妖精だって――」
そこで止まった。
自分で止めた。
貯蔵庫の扉が目に入った。
下の乾いた草は収まり、上の留め金も落ちている。
台の束も、さっき年配の女性が縄を締め直したものだった。
子どもは束を見上げて、言い直した。
「……きれいだね」
鍋係が頷いた。
「それでいいよ」
広場に、小さな笑いがこぼれた。
何かをごまかすための笑いではない。
言い直しが照れくさくて、それを受けて笑っただけの、軽い笑いだった。
カーラはその笑いを聞きながら、脇に立てかけてあった細い板を一本取った。
節の少ない板だ。
貯蔵庫の前に残すなら、これくらいでいい。
小さなナイフで板の表を削った。
白い木肌がのぞいた。
炭を指でこすって、二行だけ書いた。
妖精のせいにしない。
最後の番を決める。




