9.それはひとつの詐欺である
その支部長の言葉通り、朝食後戻った客室の中には、ハルカ支部最新作の衣服が運び込まれていた。
――『支部長を美しくし隊』と共に。
ひぇ。
ニコは咄嗟にその悲鳴を飲み込んだ。
笑みを湛えた女性に対し、示す反応ではなかったからだ。
たとえ相手が飢えた獣の如き目をしていても――それがヒトである限り、礼を忘れるべきではない。
それに看板となることを了承したのはニコの方だ。
今更拒否することなど、天が許してもメルが許すはずがない。
かくしてニコは早朝の事件とは比べ物にならない程に、ありとあらゆるところを触られ、揉まれ、飾られた。
地味なニコの意見など一切通ることはない。
流石商会、適当な看板など、作るはずがなかった。
***
一時間後。
支度を終えたニコは、支部長邸の玄関を抜け、ようやく外へと踏み出すことができた。
(……いいお天気、ですね)
秋晴れの空に雲は少なく、日差しは柔らかく暖かい。
頬を撫でる風は少しひんやりとしているが、活気溢れる街にはちょうど良いだろう。
こつり、と靴を鳴らす。
するとスカートがふわり揺れて、折りに隠れていた刺繍が全景を現した。
裾が広がる形といい、施された意匠といい、とても可愛らしい服である。
これが他人に囲まれ散々弄ばれた結果と思えば、深く溜息を吐くところなのだろうが――。
(……どう、言えばいいのでしょう)
むずむずする、のだ。
薄く化粧をした肌も、ベロアのリボンで結われた髪も。
普段ではありえない形になっていて、きっと『着ている』というよりは『着られている』ように見えるだろう。
でもどうしてなのか、もう少しこのままで過ごしてみたいとも思うのだ。
気持ちの整理をつけられないまま歩いていくと、ニコの目に門に凭れて立つ長身が映った。
一瞬どきりとしたものの、早朝ほどの抵抗感は消えている。恐らく別の手で散々揉みしだかれたからだろう。
息をついて気持ちを改め、お師匠様、と声を掛けようとした――その時だ。
飴色がこちらを向き、そしてふっと、細くなった。
「あぁ、来たな」
(……っ来ました、が)
ニコは咄嗟に俯いて、心の中で返事した。
駆け寄ろうとしていたのが一転し、迷うように足を進めて行けば、さほど歩かずとも師匠の靴が向かい合う。
迎えに来た相手を前に、ニコは意を決して息を吸い――。
「……何を改造されているのです」
文句を言った。
「悪かったか」
当たり前だ。
だって、これは。
(……詐欺、です……)
恐らく支部長の仕業だろう。
濃い茶色の髪は分け目を変えられ、崩されがちな襟は臙脂のタイで締められていた。
僅かな手入れではあるが、変態とは思えない仕上がりになっている。
「……お師匠様もなんて聞いていません」
「まぁ、大事な看板の隣に立つにはな」
ちょっと窮屈だけどなと言ってからりと笑い、彼は改めてニコを眺めた。
「お前の方はどうだ? 着てみた感想は」
「……繊細で素晴らしい仕事だと思います」
「可愛いとか素敵とか出ないのか」
それはメルにも言われたが。
「着用中は本体を含む感想に聞こえかねませんので」
妹と同じ返事を兄に返せば、彼はふぅん、と呟きニコとの距離を一歩詰めた。
「なら、代わりに言おう」
笑んだ師匠の手が伸びる。
頬のすぐ傍、結わずに流した髪が掬われて。
「可愛い」
「――」
一瞬、飴色の瞳が丸くなる。だがすぐにまた、柔らかく細くなった。
可笑しそうというより――、嬉し、そうだ。
(…………)
落ち着きをみせない胸。ニコはそれをぎゅぅ、と抱えて顔を伏せた。
大丈夫だ。
そのうちに、きっと消えると言い聞かせ――今度こそ、ニコは師匠と共に街へと繰り出した。
お砂糖盛り……
あと2話ですので、どうか飽きずにお付き合い頂ければ……!
この先を含め、この章が一番甘々です(多分)




